薪作り少々。
大豆の片づけ。
見たこともない凶作で、来年の種も確保できない模様。
台風で倒壊したヤグラの解体。
たたら辛味大根の埋め込み。途中まで。
今日の気温は氷点下5.1度だったが、あまり寒く感じなかったのは、昨日が寒かったからだろう。
写真は、立岩直登コース。
頂稜直下からしみ出た微量の水だから、普段は気づかない。でも少しの寒さで凍結するから、意外な氷爆を見せてくれる。
薪作り少々。
大豆の片づけ。
見たこともない凶作で、来年の種も確保できない模様。
台風で倒壊したヤグラの解体。
たたら辛味大根の埋め込み。途中まで。
今日の気温は氷点下5.1度だったが、あまり寒く感じなかったのは、昨日が寒かったからだろう。
写真は、立岩直登コース。
頂稜直下からしみ出た微量の水だから、普段は気づかない。でも少しの寒さで凍結するから、意外な氷爆を見せてくれる。
久しぶりに立岩に行ってきた。
23年前と同じコースだが、相変わらず、胸のすく展望が気持ちよかった。
夕方から、瀬音・源流部会の忘年会。
今朝の気温は氷点下6.1度。
この冬初めて、水道が凍った。
また南牧村に行ってきた。
南牧村・火とぼし岩。
盆の送り火の起源がここでは、戦国領主を撃退する狼煙だったとされている。
えらく人望のない領主である。
眼下は山仲集落。正面の鉄塔下に蓼沼の一軒家が見える。その上が大屋山である。
帰宅後、柚子煮ひと鍋。
味噌が少なくなってきたので、味噌を買いに南牧村の大屋山へ出かけた。
26年前には、ずいぶん下の山仲集落から登ったのだが、車道をどんどん走っていくと、蓼沼まで来てしまった。
以前は青いモノレールが現役で動いているようだったが、自動車で簡単に来れるようになって便利になったと思いきや、蓼沼はひどく寂れたように見えた。
古い山行記には、
蓼沼集落は、山の斜面を開墾した畑が広がり、急に開けた感じ。林道をはさんで二軒の民家。下の家には、モノレールが庭先まで引いてあった。
モノレールに塗られた青のペンキが真新しい。
コンニャク玉のとり入れをしているご夫婦に、
「いいあんばいです。大屋山への道はこれでいいんでしょうか」
とたずねると、
「うちの庭先を通って裏をまわって...」
と、親切に教えてくれた。
教えられたとおりに裏手をまわって、畔道を登る。送電鉄塔下に出るとリンドウの花が咲いていた。
とあるが、山畑もあぜ道も草に埋もれていた。
最低気温は氷点下0.7度(実測)。
水道の心配をしなければならない季節が来たと思うと、憂鬱だ。
業務登山でまた、観音山へ。
今回はバスでアプローチしたので、自宅から自動車で数分の距離の栗尾バス停まで、2時間ほどかかった。
前回は小雨模様だったが、今日は快晴でよい山歩きができた。
牛首峠。
峠の幅約1メートル。
日本で最も幅の狭い峠ではないだろうか。
昨日、ちょっと寒い思いをしたら、風邪が一気に悪化した。
今日の午前中、鎮守の感謝祭があったのだが、ようやくの思いで参加してきた。
午後は寝込んだが、体温計の電池が切れていて検温もできないので、買い物にだけは行ってきた。
写真は、観音山に立てられている立て札。
矢印の方向に行けばどこに着くかは書かれていない。
立て札がないとどっちへ行けばよいのかわからない人向けに建てられたものだろうが、用が済んでも、片付けない。
小さな山なのに、これが10本以上残されている。
火曜日から風邪ひき。
今日は、食べ物を取りに畑へ行った以外は自宅で自重。
ケツメイシの処理。
かなりはかどったが、まだかなり残っている。
写真は、月曜日に出かけた南信・高鳥谷山から望んだ宝剣岳。
足利の低山歩きと観光の一日。
このあたりには以前しばしば、自動車で出かけたのだが、今回は電車でアプローチ。
所要時間はあまり変わらなくて、電車のほうが格段にラクだ。
山は、織姫神社から浄因寺まで。
このコースは、21年前に歩いているのだが、今回はお寺めぐりが中心なので、コースは微妙に異なっている。
前回は立ち寄らなかった大岩毘沙門天や浄因寺をじっくり見て回った。
今日もいい山歩きができた。
1泊2日かけて武甲山へ業務登山。
歩いた時間は合計14時間半だった。
けっこう疲れた。
26年ぶりに南牧村の桧沢岳へ。
秩父は晴れていたのに、南牧谷はガスで霧雨だった。
標高は高くないが、展望の山なので、できれば晴れた日に登ったほうがよいが、やむなし。
濡れた岩稜も慎重に行けば問題なかった。
下山後、畑に行って、大根など予定地の耕耘。
写真は、桧沢岳で見たヒラタケ。
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