午前はパン作り。
午後山に行って、コナラの玉切り。
今日もまた、かかり木の始末に苦労したため、2本しか切れず。
それでも、原木が着々と揃っているので、来月には植菌できそうだ。
帰宅後、煙突掃除。
午前はパン作り。
午後山に行って、コナラの玉切り。
今日もまた、かかり木の始末に苦労したため、2本しか切れず。
それでも、原木が着々と揃っているので、来月には植菌できそうだ。
帰宅後、煙突掃除。
午前中はパン作り。
このところ、安定してよい品質のものができている。
手間をいとわなければ、小麦をもっと作りたいところだ。
午後は農作業。
落ち葉堆肥の3回目の切り返し。
第二次分堆肥も、順調に仕上がっている。
第三次分の仕込みが見えてきた。
セルリアックや玉レタスあとの片づけと耕耘。
1月も半ばを過ぎたので、今年の作付け計画を考えなければならない。
家庭菜園だから、連作障害を考慮し、最も能率的に農作業ができる植付けが理想だ。
帰宅後、煙突掃除。
写真は、大ナゲシから見た浅間山。
この季節、浅間山を望むのが、このあたりから西上州一帯の山歩きの一番の楽しみだ。
朝の気温が公称で氷点下7.3度と、このシーズンの最低を記録した。
こんな低温がしばらく続きそうだ。
先日の南岸低気圧は、少々のミゾレ雪に終わったのだが、降った雪が凍結して道路はアイスバーンになっている。
自動車の運転には気を使う毎日だ。
年始早々、繁忙状態が続く上、退勤後の野良仕事は日没の関係でまだできないので、畑も放りっぱなしだ。
写真は、麦のうねの現況。
麦は踏めば踏むほどよいという説もあるので、畑を横切る必要のある時には、麦の上を歩いている。
今日も午前はパン作り。
午後、山に行って、コナラの玉切り。
昨秋に伐った時に、かかり木になったのを処理するのに手間がかかってしまい、結局1本しか玉切れなかった。
暮れにもらってあるクヌギと合わせて、シイタケ500コマ分ほどの原木ができた。
畑仕事の合間を見つけて、今月のうちに、残りのコナラを玉切って、自宅に運ばなければならない。
帰宅後、煙突掃除。
午前はパン作り。
午後は薪作り。
その後畑に行って農作業。
落ち葉堆肥の二回目の切り返し。
ちょうどよい塩梅に発酵が進んでいた。
自宅では凍ってしまうため保存できない里芋の親芋を堆肥の中に入れておいたのだが、高温すぎて駄目になったかもしれない。
大量の水汲みとトンネルに潅水。
小鳥がほうれん草をかじるので、防鳥のために網掛け。
畑の周辺整備。
以上で日没。
冬型が強いと見えて、強風が終日吹いていた。
そのわりには気温が上がって、いい陽気だった。
午前中はパン作り。
出来はまずまず。
午後は農作業。
畑に行ったらいきなり腰痛を発症したのだが、原因は運動不足だろう。
軽症なので、日常生活に大きな支障なし。
落ち葉堆肥の切り返しをするつもりだったが、腰が痛くてはとても無理なので、早春野菜の種まき。
人参とほうれん草の種をまいて、チンゲン菜の双葉苗を植えつけた。
自宅で、紙ポットにキャベツの種まき。
二上山の山行記を追加。
山から帰ると、いい印象しか残らないのが普通なのだが、この山には二度と登らないだろう。
ここは、山頂が私有地だという理由で、休日に行くと、意味不明のお金をとられるらしい。(詳しくは毎日放送のサイト参照)
平日に行ってよかった。
昨夜は夜半まで、神社でみかんなど配っていた。
強風がやんでくれたのはよかったが、今朝は氷点下6.1度と冷え込んだ。
午後から、集落の新年会。
夕方、畑に行って、落ち葉堆肥の切り返し。
ネギの土寄せ。
帰宅後、煙突掃除。
9月に家に来た子猫は、ずいぶん大きくなった。
先住猫がよく世話をしてくれるので、傍若無人にイタズラばかりしている。
今年中には、もう少し落ち着いてくれるだろう。
年の瀬も押し詰まってきたが、自由になる時間がとれるのは希有なことなので、また越生に出かけた。
今月になって、越生に行くのは5度目なので、今日あたりは通勤気分だった。
梅林でバスを降りて、まずは梅林神社を参拝。
秩父で氷点下4度を下回る、非常に寒い朝だったが、スダジイやツバキなどが生い茂り、ちょっと南国ムードのある社叢だった。
ここから歩き始めて、石仏など見ながらまずは、山入の大楠を見に行った。
話にたがわず、巨大なクスで、紀州あたりの木にまさるとも劣らない凄い木だった。
山入から山道で都幾川村に出て、まずは大附日吉神社に参詣。
大津の日吉大社が延暦寺の守護神であるように、こちらが天台宗系の慈光寺の守護神の位置にあることは、容易に想像できる。
ここの本殿裏の大ケヤキも凄かった。
ここから西へ下って行く途中に、西平の大カヤがある。
説明板には樹齢1000年と記されている。
寺社の境内に植えられた大カヤはときどき見るが、山の中にこんな巨木があるとは驚きだ。
さらに少し下って、今度は萩日吉神社。
こちらも、慈光寺と対峙する位置にあり、ワンセットで考えられるべき神社だと思う。
日吉神社としては当たり前なのかも知れないが、猿の狛犬は、とても珍しかった。
ここには、杉の巨木が二本(児持杉)あり、境内の至るところに大きな杉が植えられていた。
さらにしばらく歩いて町中に出て、関堀の大イチョウを見て、巨木めぐりは終了。
直売所でみかんを買って、あとはのんびり、明覚駅まで歩くだけだった。
帰宅前に畑に寄って、枯れ草燃しと早春野菜用のマルチかけ。
日没にて終了。
写真は、山入集落奥で見た石像墓石。
万延元年という年号があるから、幕末である。
戒名からして、童女か若い娘さんの墓石と思う。
リアルな表情から、子を亡くした親の悲しみが感じとれる。
まずは紙ポットにチンゲンサイの種まき。
温室など必要ないのだが、飼い猫が悪戯をするので、猫対策にミニ温室を買って芽出しをかけた。
午後から農作業。
落ち葉堆肥の第一次分を堆肥箱へ移し替え。
すでに3回の切り返しがすんでいるので、ほぼ完成状態。
仕込んだときと比べて、体積は半分程度になっているが、それでもコンパネ箱にぎっしり詰めて、この量である。
この冬のうちに、これをあと2箱分作るつもり。
ビニールトンネルを作って、カブの種まき。
昨年くらいの出来であれば、3月末には食べられる算段。
もう少しやりたかったが、日没のため終了。
耕したあとの畑をハクセキレイやジョウビタキが歩いて、餌を探していた。
高い木の枝では、カワラヒワが群れを作って鳴き交わしていた。
霧雨もようだったが、せっかく休みをとったので、また奥武蔵修験のお寺にお参りしてきた。
今日は、越生町の龍穏寺を見学した後、大平尾根に登り、羽賀山を経て、飯盛峠の先のピークから町屋敷経由で西吾野駅に下山した。
午後前から天気は回復したが、寒気が入ったと見えて、曇っていた午前中よりずいぶん寒くなった。
龍穏寺は今は禅寺だが、かつては修験寺院だったようだ。
室町時代から江戸時代にかけては武将や幕府の保護を得て繁栄したとのことだ。
山門や経蔵などは、かつての栄華を偲ばせる、じつに立派なものだった。
室町時代に、太田道灌によって再興された由緒を持ち、道灌の墓だという五輪塔がある。
上は、道灌墓のわきに建っていた江戸時代の石像墓石だが、150年たってなお、とてもリアルだ。
龍穏寺先から少々のヤブこぎで大平尾根に上がり、飯盛峠に至ったのだが、峠西の三角点ピーク(飯盛山という道標あり)から西吾野へ下るところに、馬頭尊の形をした道標があった。
「此方 しかうじ ちゝぶ みち」と彫られているが、「しかうじ」とはもちろん、慈光寺のことである。
このあたり一帯が、里山修験や武蔵・秩父札所めぐりでにぎわっていたことが知れる。
下山後、畑で農作業。
ヤーコンの片づけ。
今年のヤーコンは完全に収穫遅れ。半分以上が凍ってダメになった。
ヤーコンは遅くとも、霜の降りる前後には収穫しないと失敗する。
冬の菜っぱ予定地の耕耘とうね立て。
以上で日没。
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