玉ねぎ

スカリ山

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本仁田山・棒ノ折山・川苔山・鷹ノ巣山・蕎麦粒山


大持山・小持山・武川岳・武甲山

 先月に引き続き、鎌北湖周辺を歩いてきた。

 今回は、自動車で鎌北湖まで行って、北向地蔵-スカリ山-通行止めルート-鎌北湖と歩いてきた。
 概ね植林の、地味なコースだが、北からいくらか強い風が吹いていて、じっとしていると寒かった。

 お昼前には下山して、夕方まで農作業。

 ネギの土寄せ。
 5月初旬に大量に植えた下仁田ネギが、とてもよくできた。
 この冬はネギを飽食できそうで楽しみだ。

 タマネギの植えつけ準備。
 苗はまずまずよくできているので、2週間くらいたてば、植えつけできるだろう。

 インゲン豆摘みと里芋掘り。
 今年の里芋は、とてつもない大収穫だ。

 帰宅後、インゲンとヤーコンの処理。

 写真は、スカリ山からの展望。

ハナビラタケの炒め飯

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ハナビラタケの炒め飯


 風呂用の薪作りを半日。
 あと半日は、農作業。

 西瓜あとにマルチを張って、ほうれん草・カブ(開田蕪)の種まき。
 玉ねぎ(ノンクーラー)とネギ(宮ネギ)の種まき。
 三陸つぼみ菜の小苗植えつけ。

 カボチャあとを片づけ始めた。

 写真は、ハナビラタケの炒め飯。
 和名倉山で拾得したハナビラタケだが、乾燥して保管している。
 乾燥させると、旨味が凝縮される。

ブナ新緑

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ブナ新緑1


ブナ新緑2


ブナ新緑3


 そろそろジャガイモ掘りの季節なので、ジャガイモ収納箱作りの準備。
 リンゴ箱とベニヤ板を使って、ジャガイモをネズミに食われないようにしたい。

 田んぼの畔刈り。

 玉ねぎの収穫。
 肥料が少なかったのか、今年の玉ねぎはずいぶん小さいが、昨年秋に250本ほど植えたのがほとんどモノになったので、収穫コンテナ2箱になった。
 これを吊るして、秋まで食う。

 大麦の刈り取り。
 つい10日前までは絶好調だったのに、あっという間にスズメかカラスに食害されてほぼ全滅した。
 なんとも力の落ちる話であるが、刈らないわけにはいかないので、全部刈って来年用の種くらいは確保したい。

 小麦の成熟はこれからだが、こちらも危ない。

 そら豆の頂部を刈った。
 花の最盛期である4月にアブラムシにやられたが、薬散でしのいだ。
 種実が成熟してくると、その重さで倒伏してくる。
 倒伏防止のために、頭を刈って軽くし、支柱を立ててやった。

 ミニトマトの剪定。
 トマトという植物は、雨がまったく降らなくても、何の問題もなく成長する。
 うっかりすると、お化けのようになるので、早めに枝を剪定して、主幹を伸ばす。

 里芋のウネの草むしり。
 昨年収穫して保存しておいた子芋を植えたのだが、ほとんど発芽してくれた。
 芽が出てくれれば、これからしっかり管理すれば収穫にこぎつけられるだろう。

 写真は、権現堂山で見た新緑のブナ林。
 なんと美しいんだろう。

豆取物語

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タマネギ苗
 ボイラ用薪作り少々。  ストーブの掃除。

 タマネギの植えつけ終了。
 250本くらいは植えたと思う。

 インゲン・小豆・大豆摘み。

 インゲンはほぼ終了。
 大豆と小豆はどんどん獲らねばならないのだが、摘んだ種実を夜なべでこなしながらなので、一度にたくさん収穫することもできない。
 あと10日ほどで、全て終わるだろう。

 里芋や大根・白菜などができているので、食わねばならないのだが、ミニトマトとナス・ピーマンあたりが、気息奄々ながらまだ、頑張っている。

キヌメリガサ


カベンタケ



 最低気温が6.6度と、降霜の近いことが感じられる朝になった。

 今朝はインゲン種実とルバーブの収穫。

 ルバーブは暑さに弱い植物だが、霜にも弱く、霜が降りれば地上部は枯れる。

 枯れれば食べられないので、株にダメージを与えない程度に、今年最後の収穫だ。

 ルバーブの収穫期は、4月から入梅までだ。

 春に収穫したルバーブはすべてジャムにして冷凍保存し、ほぼ毎日食べている。

 ルバーブは、通年近く食べることのできる貴重な作物だ。

 タマネギ苗を植え始めた。

 今年は豆類の収穫が忙しいので、タマネギの植えつけも、一気にはいかない。

 帰宅後、インゲン・大豆の脱穀と、ルバーブジャム作り。

 写真は、石仏で見たきのこたち。

賢治・嘉内の碑前祭



 午前中は雨降り。

 絵に描いたような秋雨前線である。

 鎮守の秋祭りの集まりがあった。

 午後は、宮沢賢治・保阪嘉内の碑前祭という催しに出かけてきた。

 碑前祭の碑とは、こちらである。

 賢治が盛岡高等農林における小鹿野への見学旅行に訪れたのは1916年、嘉内は1917年である。

 嘉内の足跡はきっちりわかっていないようだが、賢治は、当時国神が終点だった秩父鉄道で来秩し、小鹿野町寿旅館に宿泊して、下小鹿野の"ようばけ"や三山地区皆本沢の中生代地層を見学し、三峯神社に登って泊まり、皆野の角屋旅館(秩父困民党の本陣としても使われた)に泊まって長瀞の岩畳を見学したらしい。

 この催しを機に、賢治と嘉内に関する研究がさらに進むことを期待したい。

 催しの中で、いろんな人からこもごも話があった。

 賢治だけがクローズアップされるのではなく、賢治と嘉内の"友情"に焦点が当たるのはよいと思うのだが、二人の"友情"とは何だったのかについては、今ひとつ分析されていないような気がする。

 この点について、もっとも深く迫っているのは『宮沢賢治の青春』『心友 宮沢賢治と保阪嘉内』だと思うが、これらの本も、自分としては今ひとつ感がある。

 わたしの分析は以下のとおりである。

 盛岡高農の寮でのルームメイトである二人は、現実社会のさまざまな矛盾について語り合い、この解決方法を語り合った。

 同人誌『アザレア』は、彼らの思想的模索を表現する場であった。

 しかし嘉内は、その思索と表現を理由に学校を逐われ、二人のつながりは引き裂かれた。

 じつは、賢治と嘉内の思想的方向性は、かなり異なっていた。

 賢治が、現実の問題を法華経という理念を普及することによって解決しようとしていたのに対し、嘉内はそれに懐疑的で、農村の改革という実践によるしか、問題は解決しないと考えていた。

 二人に共通していたのは、疲弊した農村や不幸な"農民"たちの現実に対する。強烈な問題意識だった。

 彼らはおそらく、夜も昼も、この問題とその解決策について語り合っていただろう。

 嘉内の放校処分によって二人の関係は断ち切られてしまったが、社会に出た二人の前に、昭和恐慌という最悪の現実が待っていた。

 賢治は花巻農学校の教師として、嘉内は甲州韮崎の若き地主として、その現実に直面し、村の惨状に為す術もない無力さを思い知らされた。

 そういう中で二人はそれぞれ、試行錯誤を続けた。

 自分にも経験があるのだが、賢治は困難に現実に直面すると、「こんなとき嘉内だったらどうするだろう。どう考えるだろう」と考えたに違いない。それは嘉内も同じだった。

 彼らが羨ましいのは、二人ともに、自分の思いを文学的に表現する才能を持っていたところだ。

 賢治の詩も童話も、全て嘉内への芸術的なメッセージ=暗号だったのであり、嘉内はそれを全て、読み解くことができたはずだ。

 作品を通して嘉内は、学生時代と同じように賢治の思索と対決し、賢治とは異なるが賢治の誠実さに恥じない人生を生きようとしただろう。

 賢治もまた、作品が嘉内に読まれることを想定して、嘉内を感服させることができるような作品を書かねばならぬと考えただろう。

 二人の"友情"は、農村の現実に対する問題意識を共有し、それに正面から向かい合おうという誠実さを共有して、お互いを信頼し、お互い相手に恥じない人生を送ろうとしたところに成立したのである。

 催しが終わったのち、畑で野良仕事に精を出しながら、そんなことを考えた。

 雨のために畑はドロドロだったが、せっかく雨がやんだので、タマネギの種まき。

 はと麦あとの片づけ。

>白岩ヶ丸から富士山



白岩ヶ丸の草原



バイケイソウ群落



大石のある風景



奇岩



 朝、コナラの半割。

 水が十分でないのだが、田植えを終えた。

 次の雨が予想されているのが土曜日で、ここが梅雨入りとなるだろう。

 稲たちにはここまで、頑張ってもらわねばならない。

 畑のジャガイモ掘り続き。今日もインカ。

 タマネギの収穫。

 帰宅後、ボイラ用薪作り。

 最高気温が35度を超える酷暑の中の作業だったので、かなりダメージがある。

 楢ノ木尾根山行記を追加。

渓流清掃2013

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秋色の渓1


秋色の渓2


ムキタケが出ていた


 恒例の渓流清掃山行。

 今年は、大血川下流部を片づけた。
 釣り人によると思われるゴミは、二度の台風による増水で流れてしまったのか、ほとんど見あたらなかった。

 大血川は、釣れない川だが、今日はじつにたくさんのヤマメが走るのを見た。
 来年は、ここでヤマメと遊びたいものだ。

 向沢の先で、大宴会の後なのか、車道から投棄したものか、大量のゴミを拾ったので、今日はそこまでとした。

 下山後、畑に行って、玉ねぎ苗の植えつけ。
 先日伐った柿・梅の小枝の、ボヤ丸き。

復帰一週間

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 職場復帰一週間目が、無事に過ぎた。
 昨日も今日も、超過勤務1.5時間程度。
 オーバーヒートしないように、抑えてはいる。

 晩生玉ねぎの種まき。
 早生玉ねぎは、発芽し始めた。

 『奥州藤原三代』『土佐のかつお一本釣り』の読書ノートを追加。

豆焼沢

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豆焼沢


 一年ぶりの渓行き。
 豆焼沢最下流部を清掃してきた。

 呆れたことに、出合に降りる踏跡の入口を忘れていて、しばらく探しまわった。
 ここを遡行するのは1997年以来だから14年ぶりだった。

 出合からしばらくは、小さなゴルジュ帯だが、もちろん見覚えなどない。
 以前なら特に問題なく行けたと思われるが、岩登りにひどく緊張した。
 とりあえず、事故らなかったので、よしとする。

 近年、ゴミが少なくなっていたのだが、この渓はやけにゴミが多かった。
 最初の堰堤手前で、50リットルのザックがいっぱいになってしまったので、そこまでとした。

 午後はずっと、農作業。

 懸案だった、タマネギ苗の植えつけ。
 すべての苗を植え終えた。
 合計543本。今までの最高記録だ。

 里芋掘りの続き。
 全部は掘れなかったが、あと少しになった。

 自然薯支柱の解体。
 これはかなり面倒な作業なのだが、終わってよかった。

 帰宅後、薪作り少々。

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