アカヤシオ1
アカヤシオ2
アカヤシオ3
雨が降り出す前に、南小太郎山を歩いてきた。
瓔珞橋から夜叉の瓔珞・持倉越から行こうとしたが、残雪のため道を失い、やむなく尾根から南小太郎山に登って、持倉越経由でもとのところに下山した。
アカヤシオは満開で、あまりのみごとさに、言葉を失うほどだった。
下山後、畑でカボチャ小苗の植えつけ。
一昨日掻けなかった田んぼを耕耘。
ビニールポットに、キュウリとコリンキー・ユウガオの種まき。
今夜からようやく、待望のお湿りに恵まれそうだ。
アカヤシオ1
アカヤシオ2
アカヤシオ3
雨が降り出す前に、南小太郎山を歩いてきた。
瓔珞橋から夜叉の瓔珞・持倉越から行こうとしたが、残雪のため道を失い、やむなく尾根から南小太郎山に登って、持倉越経由でもとのところに下山した。
アカヤシオは満開で、あまりのみごとさに、言葉を失うほどだった。
下山後、畑でカボチャ小苗の植えつけ。
一昨日掻けなかった田んぼを耕耘。
ビニールポットに、キュウリとコリンキー・ユウガオの種まき。
今夜からようやく、待望のお湿りに恵まれそうだ。
雨が降り始める前に、畑仕事をこなした。
里芋の植えつけ。
キャベツ小苗の植えつけ。
宮ネギの植えつけ。
宮ネギはちょうど、ニうね分の苗ができた。
種は、ミケさんにいただいたものである。
紙ポットに、ピーマンとキュウリの種まき。
大麦が穂を出し、小麦も伸び始めた。
冬を越したえんどう豆やニンニク・タマネギも、スイッチが入ったように伸び始めた。
夕方から、激しい雨が降り始めた。
キュウリ小苗の植えつけとラッキョウの収穫(半分)。
キュウリはこれで植え終わり。
秋キュウリなので、夏キュウリの3分の1くらいしかとれないが、残暑の時期に身体を冷やすには、美味いキュウリがほしい。
新三郎山行記を追加。
この時期、何がもっとも気になるかといって、朝の最低気温ほど決定的なものはない。
「八十八夜の別れ霜」とは、岐阜県の山間部でも同じ言い草が伝えられているらしいから、当地に限った話でもないらしい。
要するに、八十八夜が過ぎれば、遅霜はおりないという俚諺なのであるが、自分のささやかな経験から言っても、これは当たっている(地元には5月23日に遅霜が降ったことを記憶しているご老人がいるが)。
従って、4月いっぱいは、ジャガイモが全滅する危険性があるのであり、ナスやキュウリを野良に出すのは、たいへん危ないことなのである。
言い方を変えれば、八十八夜を過ぎれば、各種夏野菜を一気に植えつけねばならないのである。
今日は半日、自動車のタイヤ交換。
自分の経験でも、たしかこの日だったと思うが、4月13日に降雪を見たことがある。
しかし、それより遅い雪はなかったと思う。
午後は薪作りと農作業。
薪は、風呂用。
自宅で、紙ポットにキュウリ(スウヨウ)の播種。
畑で、ブロッコリー苗(購入苗)の植えつけ。
ラディッシュの播種(直播)。
アスパラガスの支柱立て。
紅菜苔を片付けた跡地(オクラ予定地)の土作り。
三陸つぼみ菜は、太いトウを食べ尽くしたので、わきから出る芽を食べている。
やや細いので、摘むのが面倒ではあるが、味はよい。
しばらく、つぼみ菜ばかり食べていたが、ようやく、アスパラガスが伸び始めた。
大麦が出穂し、そら豆の花が盛んに咲いている。
樹種不明の丸太をいただける話があったので、軽トラ一杯分の丸太運び。
里山の雑木林は、日毎に淡く色づいている。
人里のソメイヨシノは満開で、ヤマザクラも咲き始めた。
林床では、タチツボスミレなども咲いている。
昨日遊んだので、今日は農作業。
予想されていた午前中の雨が空振りに終わったのは残念だった。
自宅で紙ポットに、カイランとルバーブを播種。
陸稲播種地に潅水。
ジャガイモの追肥と土寄せ、芽かき。
ジャガイモは芽かきをしなくても、見た目は立派に育つが、芋が小さくなってしまう。
インカのめざめや大滝芋などは、芽かきをしないと、小さな芋ばかりついて、結局食べられなかったりする。
土寄せと芽かきが終われば、ジャガイモに関する主たる作業は、ほぼ終わったことになる。
残りのトマト苗をすべて植えつけ。
夏キャベツ苗の間引き。
間引いた苗も使えるので、ビニールポットに取り置き。
キュウリ小苗の植えつけ。
オクラの直播。
今日もまずまず、はかどってよかった。
まだ明るかったので、ミューズパークへ春きのこの探索に出かけた。
今年は、いろいろな花木の開花も、一週間ほど遅れているのだが、昨年はかなり出ていたアミガサタケ類もシメジモドキも、全く出ていなかった。
梅園には、白いスミレと普通のスミレが群生していた。
別のところでは、シュンランやハルリンドウも咲いていた。
きのこは見つからなかったが、春の草花を見ることができて、よかった。
多少、早起きをして、薪作りとキャベツ小苗の植えつけ。
その後半日の休みをもらって、農作業と薪原木運びをしようと思っていたのだが、丸太置き場まで行ったところで、チェーンソーのエンジンがかからず、丸太運びはやめて、農作業のみ。
きゅうり・南瓜・ゴーヤを紙ポットに種まき。
ミニトマト苗を大きなビニールポットに植えかえ。
畑で、里芋の植えつけとニラの植えかえ。
こちらは、途中までで日没。
さすがに働きすぎて、へとへとになった。
写真は、潅水の甲斐あってようやく大きくなってきたカブ(百万石青首)。
福島第一原発からの高濃度汚染水の漏出が今朝になって止まった。
とはいえ、ここまでに、高濃度の放射性物質を含んだ水が、大量に流出しており、事態は「風評被害」にとどまらないと思われる。
取り返しのつかないことになってしまったことに重ね重ね、憤りを感じる。
汚染水をめぐっては、低濃度汚染水を海に捨てたことに対する反響のほうが大きいのは、手続きに瑕疵があったためだろうか。
低濃度汚染水は海に捨ててしまったはずなので、事態はようやく、原子炉内部の高濃度汚染水をどうするかという、本来の難問に直面することになった。
高濃度汚染水の問題をめぐって、28日に原子力安全委員長がどのような形ですみやかに実施できるかについて、安全委ではそれだけの知識を持ち合わせていないと述べて、国民を唖然とさせたところだが、原子力安全委員会が、原発設計に際し「長期間にわたる全電源喪失を考慮する必要はない」という指針を出していたことが判明した。
こうなると、今回の事故に関しては、東京電力ではなく原子力安全委員会=国に主たる責任があると考えざるを得ない。
また産経新聞によれば、作業員の被曝に備えた自家造血幹細胞の事前採取について、原子力安全委員会が「不要」と判断していた。
同紙は、この判断の裏には、「政治的配慮」があったという憶測を述べているが、現在も100万円近い給料を食んでいる特別職公務員が、危機的状況下において、どんな役割を果たしているかを考えると、またまた暗澹たる思いにならざるを得ない。
原子力安全委員会については、wikipediaを参照されたい。
もっとも、wikiの記述は現在進行形で改変・追補されつつある。今後また、問題が出てくるかもしれない。
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