今年の登り納めは丹沢にした。
天気がよくて、感謝に耐えない。
まずは二ノ塔からの富士。
2019年12月アーカイブ
岐阜城址(旧稲葉山城)。
急傾斜な山体の要所に岩場を構える。巨大かつ堅固な山城だ。
江戸時代風な天守が建ってるが、道三や信長の時代の形ならもっとよかった。
照葉樹の自然林が全山を覆っていて、それもみごとだ。
油日岳から望んだ山容が秀麗だったので、錫杖ヶ岳を歩いてみた。
天気が悪かったので、展望は今ひとつだった。
下山後、芸濃町の椋本の大椋を見た。
樹齢1500年はちと盛り過ぎだと思うが、巨古木であることに違いはないと思う。
夏野菜・戸隠大根の片づけと跡地の耕うん。
日陰がちの土が凍ってしまった。これは春まで融けないかもしれない。
写真は、源義賢の墓とされる五輪塔。
源義賢は甥の悪源太義平に殺され、義賢の子の義仲は従兄弟の義経・範頼らに殺され、孫の義高は義父の頼朝に殺された。
どれだけまとまらない一族なんだろう。
年内の仕事を仕舞にしてから、小川町へ山歩きにでかけた。
小川町駅から仙元山・割谷城址・小倉城址・大平山と歩いて嵐山町に出て、大蔵館跡と源義賢の墓を見て武蔵嵐山駅まで歩いた。
嵐山駅に着いたら、日が暮れた。
写真は、仙元山頂近くにあった百庚申。
ここには、登山口にも「庚申大神」なる石碑があった。
江戸時代の庚申信仰の意味について、もっときちんと考える必要があるような気がする。
鷹ノ巣山への業務登山から帰宅。
雨とか雪の予報だったのだが、外れてくれて助かった。
土曜日には霧氷がきれいだった。
菌が回ったので、冷蔵庫に入れてこれから熟成に入る。
夏野菜の片づけの続き。まだ最後まで終わらないが、かなりはかどった。
来る日も来る日も、夜なべに豆を転がす。
まだ先は見えない。
たぶん3升くらいとれてる。
ろくな種じゃなかったことを考えれば、大豊作の部類。
養沢から沢沿いの道を歩いて御岳山へ。
七代の滝はみごとだった。
これは最下段だが、その上に数段が重なっていて、全景は見えない。
長尾根で落ち葉掃き。
そろそろ一回仕込むほどは集まった。
夜なべに大豆ころがし。
相変わらずコンニャクを煮ては食っている。
万場町の鷹止へ。
鷹止と呼ばれるピークは期待に反して植林の地味なピークだったが、近くにとても気持ちのよい岩峰があった。
短い時間だが、コーヒーをいれて至福のひとときを過ごすことができた。
畑のあれこれを片づけ。これはまだちっとも終わらない。
ヤーコン掘り。芋があまりに巨大化していたので、途中まで。
長尾根で落ち葉掃き。
箱根に行けばまだ紅葉が見られるかと思ったのだが、稜線はすでに冬の佇まいだった。
その代わり、名残のリンドウを見ることができた。
退勤後、軽トラのタイヤ交換。
冬の準備ができてホッとした。
写真は、小田原城から望む相模湾。
房総半島が見えている。
伊勢宗瑞没後500年ということで、小田原城址に行ってきた。
城址全体は、江戸時代に再興されているが、北条時代から壮大なスケールの城だったことがわかった。
天守閣の常設展・企画展ともに充実していた。
つくね芋の掘りあげ。
大豆(麹イラズ)の摘み取り。
赤大豆の豆ころがし。
長尾根で落ち葉掃き。
写真は、矢那瀬の石幢。石灯籠に似ているが、庚申供養塔だ。
京芋の掘りあげ。
日が短くなって、野良にいられる時間が少なくなった。
柏崎の純吟・越の誉。越後の酒なので、すっきりとした風味に仕上げようとした意図を感じるが、原酒なので米と麹の味が強い。自分にはそれがむしろ、いい感じである。
長尾根丘陵で落ち葉掃き。
ここ数年、ライバルが多くてすぐになくなってしまう。
赤大豆の摘み取り。これで終了。
豆ころがしは気長にやるしかないのだが、貧相な種をわずかばかりまいたにしては大収穫の部類で、言うことなし。