また米山薬師に行ってきた。これで5度目。
今日は、谷根(たんね)から登って、吉尾へ降りた。
今年は秋の進むのが遅く、紅葉はまだこれからというところだった。
2019年10月アーカイブ
木灰処分のため秩父市へ。
その後、暗くなるまで畑仕事。
タマネギ苗を植えた。
芽出しは悪くなかったのだが、大雨が続いたくらいから調子が悪くなって、今日植えたのは200本以下だと思う。
戸隠地大根ができてきた。
こたつを出して、冬の準備。
クサギカメムシが飛び、部屋の中にカメムシ臭が漂い始めた。
この冬の初こんにゃくをこねた。
雨続きだった間は、やらなきゃならない課題に取り組んでいたのだが、雨がやんだので、連日農作業。
こんにゃくの掘りあげ。
今年の出来はまずまず。
種芋とキゴは出来すぎだ。
この冬は、こんにゃく飽食の毎日か。
大麦の種まき。
今年は、再び弥富もちにした。
収穫後の処理が画期的にラクなこの品種は、最高のはだか麦だ。
明治17年10月28日、秩父困民党は11月1日の一斉蜂起に向けて、準備に怠りなかったはずだが、密偵を操りながら状況を探っていた県警の鎌田冲太警部は、「未だ以て手段の如何を知る者はこれなきように察され候。それ故か、麦蒔き最中にて近日中、暴発すべき景況なし」との復命を出している。
困民党の人々も、麦蒔きを終えてから立ち上がったのだ。
そんなのはまあ、アタリマエのことだが、学者などは、こういうことにあまり関心を持たないようだ。
135年前に比べて温暖化しているので、麦蒔きはもう少し先でもいいのかもしれない。
雨がやんだので、里芋掘りの続き。普通の里芋をようやく掘りあげた。収穫コンテナに16箱分とれた。
ありえない豊作だ。
今年の里芋について思い当たる点といえば、芽が出るのが例年より幾分早いなと思った。
だいたい忘れた頃(へたすれば梅雨前)にようやく芽が出るので、いつも草だらけになる。
それが嫌なので今年は、防草シートを全面にかけておいた。
それが地温を上げてくれたのかもしれない。
昨年は除草不十分のため大不作だったと思っているので、草取りはまずまず頑張った。
これも効果があったと思う。
いつもこのくらいとれるのなら植えつけを減らしてもいいのだが、今年は多分、出来すぎなので、来年も同じくらい作ろう。
倒壊したゴーヤのヤグラを片づけ。
ミニトマトのヤグラも片づけ。
つくね芋の支柱も片づけ。
こんにゃく種芋掘り。
まずまずできているので、来年の種芋は確保できた。
帰宅後、暗くなるまで薪作り。
写真は、中野市の純吟・勢正宗。やっぱりよくできている。文句なしの美酒だ。
台風のとばっちりの雨が降り始めた。
小雨のあいだに里芋掘り。
毎日食っているが、現状で収穫コンテナ13箱。
読書ノートに『神仏分離』と『原発に挑んだ裁判官』を追加。
時間をかけて大豆を茹でた。
豆好きなんだよな。
新天皇の時代を予感させるような土砂降りの雨だった。
台風崩れの低気圧が通過。
風は吹かなかったが、降雨は普通の台風並みで、やはり渓流がゴロンゴロンとなって、怖ろしかった。
昨夜中に地震があったのだが、どの地震情報を見ても当地の地震は記録されていない。
あれが地震でなかったとすれば、なんだったのだろう。
これは信州上田の純吟・互・先発。生酒なので、麹の香りが強烈だ。列島民が長らく飲んできたのは、このような酒だったのだろう。美酒。
全国自由民権研究顕彰連絡協議会第1回大会という集まりに顔を出してみたら、古い友人(先輩)と会った。
過去を振り返る年齢ではないのだが、昔の先輩と邂逅すると、嫌でも過去を思い出す。
過去を語るのは好きでないが、ひょっとすると意味があるかもしれないので、7年前にとある同窓会で話した内容を、ホームページに載せてみた。
すでに全文は散失し、のせたのは残った部分だけなのだが、外部記憶装置としてのWEBに、残しておこうということである。
史跡めぐりの案内が終わったあと、里芋掘り少々。
どうも大豊作を通り越して、とてつもない豊作の模様。
普通の里芋だけで、収穫コンテナ10杯分はとれそうだ。
今年の冬は、里芋が主食となること必至の情勢だ。
昨年はほぼ収穫なしで、とった芋は食わずに全て種芋にしたことを思えば、えらい違いだが、今年は生育初期に除草を徹底したのが、成功の鍵だったと思う。
里芋に限らないが、除草はとても大切だ。
終日、各種用足し。
里芋掘り始め。
たいへんよく育っていたので、豊作と思っていたが、思ったとおり、大豊作だった。
今夜からさっそく、里芋を食べ始めた。
今掘ってるのは普通の里芋で、京芋(竹の子芋)はまだ手つかず。
京芋の生育も絶好調なので、収穫が期待できる。
こんにゃく種芋掘り。
これは途中まで。
夕方以降、頭の痛かった書き物をひとつ仕上げた。
台風で各種支柱が倒壊したのはやむを得ないと思っていた。
ところが、ここまで順調に育っていたほうれん草がいっせいに枯れ始めた。
ほうれん草は雨に強くないとは聞いていたが、これだけ完璧に生育していたものが全滅(たぶん)するとは、思わなかった。
郡市内の公共交通と道路は少しずつ復旧しつつあるが、車道が全面的に崩落したところも少なくなく、復旧の目処は立たないと思われる。
まずはインフラの復旧が最優先だろう。
大雨になると、家のわきを流れている小渓流がもの凄い音を立てる。
水流がドウドウと鳴ってる間は、まだましで、激しい雨になるとドウドウ・ゴロンゴロンという音に変わる。
大きな石や流木がのべつ幕なしに流下する恐ろしさったら、ない。
昨日はそれがほぼ一日中、続いた。
国道沿いでは至るところで、土砂と倒木が歩道に押し出している。
畑では、先の17号で半壊したゴーヤが全壊し、四角豆が半壊し、その他の多くの作物が倒伏した。
とはいえ、去年ほど絶望的な状態でもないので、まあ、よかった部類。
昨夜から、かなり強い風が吹いている。たぶん風速にして5ないし15メートルほど。
ヤフー天気の風情報だとほぼ無風になってるので、この情報は正確ではない。
恐ろしい一日だった。
明け方から、かつて経験したことのないような豪雨が、ほぼ終日、降り続いた。
もちろん家から一歩も出ることができなかった。
屋根の樋にゴミが詰まると雨水が樋から溢れてそこら中に降り注ぎ、崖上に立っている自宅の斜面を液状化させる。
昨日、屋根に登って樋掃除したのだが、今日また樋が詰まった。
土砂降りの雨の中、屋根になんか登れないので、二階の窓から棒を使って樋掃除した。
雨が強かったのがむしろ幸いして、樋のゴミを流すことができた。
が、一部の樋は手も出せなかった。
夕方から強風が吹くはずだったので、雨戸をすべて閉めた。
めったに閉めないので、雨戸の桟にゴミが詰まっていたが、とりあえず雨戸が動く程度に掃除した。
雨の強いときにはYahooの雨雲レーダーで一時間あたり40ミリから80ミリの間を行ったり来たりしていた。
心配しても仕方がないのだが、かといって仕事や勉強をする気にはとてもなれず、一日中、不安を抱えてぼんやりしていた。
暗くなるころから、ときおり強い風が吹きつけたが、風に関しては、今のところさほどひどくはなかった。
台風の中心は現在、至近距離にいるはずだが、雨が降ってはいるものの、ピークは越えたような気がする。
これから心配なのは、関東平野のあちこちである。
荒川の場合、熊谷あたりの水位は、やや下がりつつある。
このまま行けば大災害は回避できそうだ。
しかし、二瀬ダムが22時から「異常洪水時防災操作に移行します」と告知している。
予断はまだ、許されない。
台風に備えて、樋の掃除と煙突の修理。
しばらく畑に入れないので、食べるものを収穫。
大除草。
この季節、庭でも畑でも、たくさんの蝶が舞っている。
モンシロチョウ・テングチョウ・ツマグロヒョウモンが多い。
岩木山ではヒメアカタテハが多かった。
終日、農作業。
台風で倒壊した秋きゅうりを片づけ。
いちご苗の植えつけ。
草むしり。
畑でも、モズが鳴いている。冬の備えを急かされてる感じ。
以下は、太宰治『津軽』の一節。扁柏はヒバである。彼は大倉岳を遠くから眺めただけでこの小説を書いているが、大倉岳のヒバ林は写真のような感じだった。
「観瀾山からほぼまっすぐ西に青く聳えている大倉岳は、この山脈に於いて増川岳などと共に最高の山の一つなのであるが、それとて、七百メートルあるかないかくらいのものなのである。けれども、山高きが故に貴からず、樹木あるが故に尊し、とか、いやに興ざめなハッキリした事を断言してはばからぬ実利主義者もあるのだから、津軽の人たちは、敢えてその山脈の低きを恥ぢる必要もあるまい。この山脈は、全国有数の扁柏の産地である。その古い伝統を誇ってよい津軽の産物は、扁柏である。林檎なんかぢゃないんだ。」
出勤前に通院と畑仕事といくらか用足し。
玉ねぎ苗周辺の除草。
玉ねぎに追肥。
写真は、先日訪れた津軽の温泉。
見た目はさほどでないが、泉質は抜群。
歯の痛みは一段落したが、不快感は残っているので、昨日らいお粥ばかり食べている。
それでも煮潰した野菜をたくさん食べている。
ちょっくら勉強しに、秩父市の図書館へ。
たいした雨が降りそうにないので、石灰追肥を兼ねて、ほうれん草やカブに潅水。
写真は、金木町の斜陽館。
「太宰らうめん」の旗がはためき、土産物屋に太宰まんじゅうが並ぶ。含羞の作家は何思ふ?
朝から憂鬱だったのだが、親知らずを抜いた。
抜歯自体はさほど痛くなかったのだが、その後痛みが出てきた。
ほうれん草とカブに潅水。
明日は雨予報なので、潅水を休むことができるかも。
気温は公式発表で30度を越えて、今日はヒグラシとツクツクボウシの声を聞いた。
これは記録しておきたい。
写真は、東津軽の広大な水田。
なんと美しい。
チト遅いかもしれないが、津軽紅カブの種まき。
何とかモノになってほしい。
庭と畑の草むしり。
昨日、ミンミンゼミを聞いたと思ったら、今日はモズの声を聞いた。
夏と冬が同居している。
写真は岩木山の肩・種蒔苗代から上部を見上げたところ。
実質的に仕事のない日が続いたので、思い切って再び津軽へ。
岩木山と東津軽の大倉岳を歩いた。
太宰治が岩木山を、歯の浮くような美辞麗句で称賛している。
広大な平野にそびえる独立火山で、確かにその美しさは他に例を見ない。
ゴロ石が積み重なった荒々しい頂部からは、津軽平野の美田が望まれた。