新田義貞

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新田義貞供養塔

 シジュウカラが無事巣立ったので、巣箱を片づけて、庭の草取り。
 育雛中は、庭に出ただけで親鳥がすっ飛んできて、ジュジュジュ、と威嚇された。

 ほぼ終日、薪作り。
 まだ終わらないが、夏までの風呂用薪ができた。

 ポットで育てていたベルガモットが植えられるようになったので、植えつけ。
 実生のオミナエシとかハナニラなど、鉢に入れてあった草花を地におろした。

 徳川家が征夷大将軍を世襲するにあたって、如何ともし難い問題点があった。
 三河の地侍出身だという、同氏の出自である。

 徳川家は御用学者を動員して『尊卑分脈』という家系図集を改訂させ、自家を上州新田氏の末裔だとする系図を書かせた。
 これによって、徳川氏は新田氏=源氏の末裔だということになり、家柄にうるさい公家たちを黙らせることができた。

 その後、徳川氏の先祖になった新田氏を粉飾する歴史が書かれ、それに合わせて「史跡」も作られた。
 金山山麓・金龍寺の「新田義貞供養塔」あたりはその一例である。

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2022年8月

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