ブナ
やぐらネギの片づけ。
むかごで増えるので、種まき・苗の植えつけ・土寄せ・種採りという一連の作業を省くことができるかと思ったが、身が太らないため、薬味にはできてもネギとして食べるには、今ひとつだった。
玉ねぎの畝の除草と追肥。
えんどう豆とそら豆に潅水。
えんどう豆は寒さのために虫の息という感じだ。
『火は我が胸中にあり』の読書ノートを追加。
読書ノートの総目次のリンクを修正し始めたが、修正点が多すぎ、遅々として進まず。
写真は、稲村岩尾根のブナ。
やぐらネギの片づけ。
むかごで増えるので、種まき・苗の植えつけ・土寄せ・種採りという一連の作業を省くことができるかと思ったが、身が太らないため、薬味にはできてもネギとして食べるには、今ひとつだった。
玉ねぎの畝の除草と追肥。
えんどう豆とそら豆に潅水。
えんどう豆は寒さのために虫の息という感じだ。
『火は我が胸中にあり』の読書ノートを追加。
読書ノートの総目次のリンクを修正し始めたが、修正点が多すぎ、遅々として進まず。
写真は、稲村岩尾根のブナ。
畑の草むしり少々。
厳冬期に入り、草など生えないように見えるが、マルチ穴などにオオイヌノフグリやホトケノザが出ている。
真冬になると、これらの草は根を一段と深く張って早春に備えているので、抜くにも骨が折れる。
三陸つぼみ菜とのらぼう菜に追肥。
これらが食える2月中旬以降に効かせるには、今くらいがちょうどよいような気がする。
飯田冬菜はもうすぐ食べ尽くすので、畑に残っている野菜は、埋めた大根とキャベツ少々だけになる。
写真は、鷹ノ巣山から見た午後の富士。
四天王寺にお参り。
新年でないので、それほど混雑してはいなかった。
大阪城あたりとは違って、中国人だらけでもなく、世界各地からまんべんなく観光客を集めている感じだった。
伽藍・諸堂宇は広いが、古そうな建物と新しい建物とが混在していた。
宝物館を見たかったが、どういうわけか、扉が閉じたままだった。
境内に植えられていた樹木は、すべて楠だった。
巨木というほどの木は見なかったが、少なくとも戦災の以前から生えていた木がほとんどだと思う。
鷹ノ巣山から帰宅。
今日の未明に二つ玉低気圧が通過したのだが、南側の低気圧は伊豆半島を横断したから、山はみぞれ模様となった。
とはいえ、明け方には雲がとれ、冬型になったため風は冷たかったが、歩き出すころにはすっかり晴れた。
ありがたいことだった。
富士山の東側では、恐ろしげな雪煙があがっていた。
ちょっと遅くなったが、庭の柚子とり。
今年は少なめで、ちょうどよい。
読書ノートに、『獄中手記』と『軍旗はためく下に』を追加。
読書ノートの総索引のリンクがおかしくなっているのに気づいたのだが、半日程度の根つめが必要なので、修正は後日。
明朝から奥多摩方面へ出かける予定なのだが、このところ、晴れて冷え込む日が続いていたのに、明日から雨予報である。
山は雪だろうが、やむなし。
畑の空いたところを耕して、枯れ草燃し。
これしきの仕事が重労働に感じるのは、歳のせいだろう。
しかし、頑張ったかいあって、ずいぶんはかどった。
大豆やエゴマの枯れ木は自宅に持ち帰って、風呂の薪にする。
ほっくり温まったら、豆仕事する気もなくなった。
純米笹一は、華やかさはないけれど、新酒より落ち着きがあるので、どちらかと言えば、こちらが好み。
大豆摘み終了。
どれほど穫れたかはまだわからないが、かなり少ない。
空ザヤ・虫食いも多い。
来年の種がとれただけでもよしとする。
不作の原因は夏の雨降りだと思うが、種まきが例年より一週間ほど遅かったのもよくなかった。
種まき遅れの原因は、小麦を収穫した跡地に大豆を作っているからで、来年から大豆は、大麦跡地に作る。
今朝も氷点下5.6度と、そこそこ冷えた。
畑の大根も限界なので、片づけた。
たたら辛味は埋蔵、上野は吊るして干した。
このところの冷え込みと乾燥のおかげで、コンニャクがよく乾いてきた。
今朝の最低気温は、公式発表で氷点下6.5度と出た。
気象庁は、10月からラニーニャの発生を報じているが、この温度は、昨冬もっとも寒かった日より寒い。
寒さの底は、1月下旬から2月中旬くらいだから、12月中旬でのこの寒さは特筆モノだ。
今朝は、水道管が初凍結した。
先日、庭にスズメがやってきた。
ここではスズメという鳥をほとんど見ないから、スズメは意外な珍鳥なのである。
しかし落ち着きのないスズメの写真は撮れず、悠然と周囲を見回すジョウビタキが撮れてしまった。
薪作り少々。
軽トラのタイヤ交換終了。
今朝は氷点下5.5度と、この時期としてはかなり冷えた。
大豆摘みに畑へ出かけたが、雲も出ていたので、かなり寒かった。
明日は移動性高気圧なので、また冷えるはずだと踏んで、この冬初めて、コンニャクを戸外に晒してみた。
首尾よくカチカチに凍ったら、今度は干して保存する。
落花生をしばらく干していたので、そろそろよかろうと思い、取り込み。
摘んできた大豆も、いくらか干してから、こなす。
生姜は、年間を通じて重宝するものだが、低温にあうとてきめんに傷む。
そこで今年は、乾燥保存することにして、干した。
低温に多少は耐えるヤーコンも、いずれはダメになる。
これは、乾燥して乾燥芋状態にすると風味も増すから、干す。
上野大根はずっと干してあるので、そろそろ取り込んで漬けたほうがいいかも。
写真は、大久保山から望んだ南アルプス。
冬型のため季節風が強い。
畑のさまざまなものが吹っ飛んだため、その補修。
軽トラのタイヤ交換をはじめたが、あと1本というところで日没。
夜なべに豆仕事。
写真は、一宮・山宮神社の夫婦杉。
この木は元気そのものだ。
甲州一宮の小さな周回コースを歩いてきた。
蜂城山の大ヤマボウシ(笛吹市天然記念物)は、数年前までは健在だったようだが、大往生を遂げていた。
同じく大久保山の天然記念物・大アカマツも、枯死したのか、伐倒されてあった。
人生のスケールが人間とは桁違いな樹木たちの最期に、遭遇することもある。
秩父事件関係の集まりのあと、長尾根で落ち葉カキ。
来春、畑の土に食わせてやらねばならない。
帰宅後、豆仕事。
少しずつこなしてはいるが、全く捗っていない。
写真は、大持山からの帰途、生川沿いの工業地帯で見た紅葉。
今年の紅葉はさすがに終了したようだ。
里芋をようやく掘り終えた。
収量が今ひとつなのは、芽出しが遅れたからだ。
しかし、小芋が少ない割に大ぶりなので、食べるときに使いやすそうで何よりだ。
ごく弱い南岸低気圧のせいで、さっとみぞれ。
この時期らしい寒さが続く。
読書ノートに、『昭和史発掘12』、『昭和史発掘13』、『熊が人を襲うとき』を追加。
写真は、大出山で見たもう一本のモミ大木とアカマツ。
今日も大豆摘みと豆仕事。
朝は氷点下3度とそこそこ冷えたが、昼間は暖かい。
ヤーコンの収穫。
惰性のように作っているヤーコンだが、今年は呆れるほどの豊作だった。
写真は、富士山周辺の大木たち。
アズキナシは天然記念物だが、実はもうついていなかった。
大豆摘み。夜なべに豆仕事。
大豆摘みがまだ、終わらない。
乾燥コンニャクと大根葉をじっくり煮てエゴマを散らした。
粗末な食べ物だが、まあまあ美味しい。
これが全て、畑の土から出てきたものなのだから、不思議やらありがたいやら。
残っていたムキタケをすべて煮た。
ムキタケは、鍋に最適だが、煮物にも向いている。
アスパラ地上部を刈って、ついでに枯れ草燃し。
夏野菜跡地の片付けをようやくにして、始めることができた。
植えるものは、昨日のいちごで終了だが、取り入れなければならないものはまだずいぶん、残っている。
飯田冬菜をいくらか抜いてきて、塩だけで漬け込み。
写真は大持山南西尾根のブナ林。
上野大根を半分ほど収穫。
小さくて細長い大根だ。
漬物にするため、洗って軒に吊るした。
残りはまだ畑に植わっているのだが、漬けるか煮食するか、考え中。
いちご苗の植えつけ。
もう少し早く植えるべきだったが、遊ぶのに忙しくて師走になってしまった。
水を切らさなければ、活着してくれると思う。
上は、先日見た、大室山のイヌブナ。
下は、7月8日に撮った同じイヌブナ。
同じ個体だが、季節を変えると、こんなにも印象が異なってくる。