朝から田植え。
自宅周辺は終日雨だったが、畑や田んぼのある小鹿野市街地周辺は、曇り案配ながら青空が見えていた。
おかけで、さほど暑い思いをせずに田植えが終わった。
少々疲れてはいたが、午後を回ってからプチお出かけ。
児玉町の競進社模範蚕室を見学してきた。
これは完成形なので、木村九蔵が明治前期に考えていたものと同一とは限らない。
しかし、温度と湿度を制御することにより好結果を得るという基本ラインですでに完成していたので、おおむねこのような蚕室(高窓付きの家屋)が普及しつつあったのだろう。
これだけの建物を建てようとすれば、現在なら数千万円の投資が必要になろう。
ここから、秩父民衆の負債の内容が設備投資資金だったのであったという仮説が、現実的になる。
同時に、「秩父暴動雑録」に記載されている高利貸の暴利が、じっさいのところ一般的だったのかについての疑念も生じる。
とても有意義な見学だった。
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