霧藻ヶ峰からの両神山
昨日下山後、コンニャク芋と落花生を掘りあげた。
落花生は、自宅で加温して芽出しをした上で植えつけ、土寄せスペースをたっぷり取った。
これはとてもうまくいき、昨年のおそらく2倍以上の収穫を得た。
コンニャクは、昨年なぜかうまくいかなかったのだが、今年は例年同様、自家消費に十分な収穫となった。
種芋もキゴも確保できたので、よかった。
写真は、雲取山登山道からの風景。
昨日下山後、コンニャク芋と落花生を掘りあげた。
落花生は、自宅で加温して芽出しをした上で植えつけ、土寄せスペースをたっぷり取った。
これはとてもうまくいき、昨年のおそらく2倍以上の収穫を得た。
コンニャクは、昨年なぜかうまくいかなかったのだが、今年は例年同様、自家消費に十分な収穫となった。
種芋もキゴも確保できたので、よかった。
写真は、雲取山登山道からの風景。
雲取山への業務登山から帰宅。
登山行動は昨日だけだったので、天候に恵まれ、下界より少し早い紅葉をちょっと眺めることができた。
せっかくの紅葉をちょっと眺めるしかできなかったのは、時間に追われて、気苦労が絶えなかったからだ。
このオオモミジの紅葉を撮るため一瞬立ち止まるのに、周りの人(特に後続の登山者)に心で平身低頭しなければならなかった。
山が混んでいたわけではない。
雲取山荘など、見たことがないほど、閑散としていた。
登山する前にエライさんの高説を延々聞かされたり、君が代を歌わされたり(もちろん自分は立たず歌わず)、進めとか止まれと言われながら行軍のように登山道を歩くのは、魂の自由を求めて山や渓を彷徨する山歩きの対極である。
今朝、埼玉県高体連登山専門部長という肩書のエライさんが「今回の登山はパイオニアワークである」とのたまったときには、体育座りしていた自分は思わず、でんぐり返りしそうになった。
本多勝一氏がこれを聞いたら、20回くらいでんぐり返りするだろう。
暖かい晴天がしばし続いていたのだが、明日から雲取山方面へ業務山行なのに、低気圧がやってくる。
できれば、降るのは夜のうちだけに願いたい。
写真は、武甲山のお狗(いぬ)様石像。
上は一丁目(登山口の一ノ鳥居)のもので、下は御嶽神社前(山頂直下)のもの。
デフォルメされていながら、とてもリアルだ。
これを石で作るのは、かなり高度な技術だと思う。
出勤前にインゲン種実摘み。
農作業が遅々としてはかどらない。
名だたる林業地である名栗村で、上のような風景を見た。
よく成長し、収穫適期と思えるスギを伐倒して寝かせ、そこにヒノキ苗を植えて鹿よけネットを掛けてある。
ヒノキ苗を植えること自体、格別怪しむに足らないが、林道のすぐわきでよく手入れされて育った立派な丸太が転がしてあったりするのは、ひどくないか。
ここまで育てるのに20-30年程度の時間と手間が、かかっているだろう。
伐倒するのに手間賃が払われる。
苗の植樹にも、費用がかかる。
これらのコストも、GDPに計上されるんだろうが、この一連の作業で、いかなる価値が創出されただろうか。
20-30年程度の時間と手間を、無にしたに過ぎないように思うのだが。
ここに転がっている木は、売られ、使われることによって価値を生ずる。
伐った木を転がしてそこに苗を植える行為は、価値を損なう以上の意味を持たない。
これではまるで、渋谷駅前の「再開発」なんぞと同じ泥んこ遊びではないのだろうか。
えんどう豆の種まき。
そら豆はいくらか発芽しはじめたが、カラスか何かにほじくられて、かなり損耗した。
やむなし。
秩父の里山は、紅葉にはまだ早いのだが、かなり色づいている樹もあった。
尾根向こうに見えたこの樹の樹種は不明。
向こうに見えるピークは小持山。
武甲山にて。
たぶん今年最後のハナイグチ。
畑のナスも頑張っているが、こちらも先が見えてきた。
きのこうどんも食い納めかな。
奥武蔵方面への業務山行から帰宅。
土曜日に吾野駅から子ノ権現へ至り、ナローノ高畑山先から名郷へ下降。
その日は白岩集落跡手前のキャンプ場で幕営し、今朝、鳥首峠から大持山・小持山・武甲山と峰を巡って、橋立川経由で浦山口駅へ下山した。
白岩集落は、地形図に家屋記号があるものの、住んでいる人はいないようだった。
自動車が入らないところなので、住むにはきびしいところだ。
下山後、農作業。
コンニャク掘りの続き。
小豆の収穫。
ビニールポットに、バックアップ用のそら豆種まき。
早起きをして、大麦と小麦の種まき。
コンニャク掘り。
先日歩いたのは、ほとんどスギ・ヒノキの植林地だったが、点々と伐り残された立派な広葉樹を見ることもできた。
それだけに大事な樹木たちだ。
コンニャクを掘り始めた。
夕方はもちろん、退勤時に真っ暗なので、早朝仕事。
今年のコンニャクはまずまず上出来だ。
11月3日まで、一日も休めそうにないので、農作業は早起きするしかなさそうだ。
この時期の里山には、いたるところにコウヤボウキの花が咲いている。
いんげん豆を摘み始めた。
この秋のいんげんは、連作障害に気を使わなかったため、一部が不作だったものの、まずまずの収穫になりそうだ。
そろそろ、落花生やコンニャク掘りの季節だ。
栗ご飯など食べると、すぐに冬が近づいてくる。
茶の花
準備・競技・片付け・直会で夕方になった。
奥武蔵の植林帯では今、お茶の木が花盛りだ。
今はスギ・ヒノキの森になっている尾根は、かつて、お茶畑だったのだろう。
刈られずに残ったお茶の木は、スギ・ヒノキが成長したあとも枯れずに、ささやかながら花を咲かせ続けている。
一帯は、西川材の生産地だが、人々は木材生産でのみ、生計を立てていたわけではない。
職業といえば、その人がもっぱらその仕事にだけ従事していると考えるのは、現代人の偏見である。
かつて人々は、生きて暮らすために、手仕事・山仕事・農作業・自然物採取など、あらゆる仕事に従事した。
自分は大学で江戸時代史を専攻したが、この時代に「農民」という身分が存在したということは、聞いたことがない。
この時代の主たる被支配者は、「百姓」すなわち、さまざまな仕事をする人と呼ばれた。
お茶の花は、ここが茶葉生産地でもあったことを物語っている。
ちなみに当地も同様だが、お茶を摘む人はもう、いない。
水稲の脱穀。
思った通り、不作だった。
原因は気候ではなく、自分にある。
来年はしっかりやりたい。
畑のミニトマトを、感謝を込めて片づけ。
西武線沿線の低山を歩いてきた。
夜明けとともに東吾野駅を出発して、天覚山・大高山へ。
更にスルギ尾根を通って子ノ権現。
ここで大休止して、さらに高畑山へ。
高畑山先から廃道を下って名郷へ。
名郷からしばし林道を歩き、古い峠道を歩いて妻坂峠。
ここから駆け下れば武甲山表参道の一の鳥居。
時刻はここで16時になったため、山歩きは終了して、車道を歩いて西武秩父駅近くの駐車地点。
ここに着いたところで、日が暮れた。
夜明けから日没まで歩いたのは初めてだ。
鹿の小娘もビックリしていた。
ちょっと早いような気もするが、そら豆の種まき。
えんどう豆の種まきはいくらなんでも早いので、自重。
そろそろ麦蒔きする時期なのだが、大麦と小麦をどれほどの比率にしようか、考え中。
車載用靴箱作り。
これは、登山靴を常時、自動車に入れておくため。
大峯山登山口のある坂城町入横尾の速素戔嗚(ハヤスサノオ)神社には、大きなケヤキがある。
拝殿は新しいが、二本の巨木はこの神社の由緒を物語っているようだ。
ライラックフウセンタケを見つけたのは東信・太郎山麓だった。
きのこの特徴その他については、こちらに詳しく書いた。
日本語サイトの一つに「おいしいきのこ」と紹介されていたので、「アタル事はあるまい」と考えて、炊き込みご飯及びお澄ましにして、10本ほど食べた。
なかなか美味しく、熱も出ず、下痢もせず、幻覚が見えもせず、飲んでも悪酔いせず、吐き気もせず、腹が痛くもならなかった。
「いいきのこを食ったものだ」と喜んで寝に就いた翌朝も、特に変調を感じなかった。
しかし、職場へ出勤してみると、何か変な感じがした。
目の焦点が合いにくいのである。
それだと、なんだか歩きにくい。
目が見えないわけではない。
よく見れば見えるのだが、右目と左目が一つのものをしっかり見ていない感じだった。
目を開けたままの片足立ちが、いつもなら3-4分程度はできるのだが、この日は10秒とできないのだった。
ライラックフウセンタケを食べたせいかと直感したが、そのように断定することもできないと思った。
よせばいいのに、弁当に入れてきたライラックフウセンタケの炊き込みご飯をまた、食った。
その日は終日、目が見えにくく、仕事にも大いに、差し支えた。
帰宅時の自動車の運転は、不安ながら、非常に慎重に行ったので、無事に家に帰ることができた。
夕方から夜にかけて、チューインガムをしっかり噛むことができにくかったり、ごはんを食べるのに箸を持ちにくかったりした。
もちろん、ライラックフウセンタケはもう食わなかった。
早めに休むと、翌日に症状はほとんど収まっていた。
ライラックフウセンタケは食べないほうがよい。(自サイトに同文掲載)
坂城町の大峯山と太郎山を歩いてきた。(ルート地図)
開拓地の林道終点から尾根に上がって、まずは大峯山。
好展望の峰だが、今日は雲が多く、あまり見えなかった。
来た道を戻って直進し、今度は太郎山へ。
この時には、かなり晴れてきたが、やはり雲多め。
きのこは、それほどでもなかったとはいえ、さすがこの時期だけあって、いろいろ見ることができた。
えんどう豆とそら豆の種まき準備。
種まきは今月下旬だと思うので、チト早い。
キャベツ・白菜などの追肥と害虫とり。
今度は、白菜とつぼみ菜にダイコンサルハムシが大発生している。
冬の間ずっと食べるはずの大根が皆無なので心細いのだが、この上白菜まで壊滅したら、食べるものはネギしかなくなってしまう。
帰宅しようとしたら、薄暮の国道で鹿が跳ね回っていた。
あってはならない風景だ。
オカノリとバイアムがなくなってから、夏から秋にかけて、ずっと食べてきたエンサイに花が咲いた。
エンサイもそろそろおしまいだ。
たいへん重宝な野菜なので、来年も作るつもりだが、花の咲くのがこの時期なので、種がとれないのが難点だ。
職場の庭を散策して、きのこを見た。
秋になればいつでも出ているシバフタケだが、この季節になるとそろそろ、終わりになりそうだ。
アカハツを食べたことはないのだが、同定しやすくて、いいきのこだ。
おおむね周年、庭に、シジュウカラが来ている。
この鳥はおそらく、ガビチョウを嫌っていて、ガビチョウが来るようになってから庭で営巣しなくなった。
ガビチョウを排除する方法があればいいのだが。
稲刈り終了。
例年の倍ほどの手間がかかったのだが、収穫は半量ほどだった。
いろいろと反省点が多い。
終日、稲刈り。
雨降りと業務登山のために、例年より一週間遅れてしまった。
草が多くて刈りきれなかったため、続きはまた明日。
枝豆が収穫できるようになった。
これは赤大豆だが、もちろん枝豆の状態では緑色だ。