身体の生態系

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沢小屋沢より一つ手前・右岸から入る小沢


秋色の渓


右岸山道


 大豆いじりを始めた。
 今年はずいぶん、カラ莢が多い。
 不作の予感がするが、小豆ほどの凶作ではない。

 「健康食品」という言葉がある。
 例えば、今日の『朝日』(メール登録で全文が読める)は、「体によいことを売りにする健康食品には、サプリメントや特定保健用食品(トクホ)など、いろいろな種類があります。新しく「機能性表示食品」も登場しました。しかし、中には大げさな広告やいい加減な表示をする商品もあり、時には健康への悪影響が懸念されることも。」などと書いている。

 近代の栄養学は、おそらく、ヨーロッパの受け売りだ。
 食べものを食べものとしてでなく、それに含まれる「栄養素」として把握し、何がどれだけ必要かと問題を立てる。
 そこでは、食べものは「栄養素」に還元される。

 上記「栄養食品」の発想も全く同じで、あれこれの「成分」が含まれているから「健康」によい、と言っているにすぎない。
 各種栄養素が「健康」によいという説を否定する根拠を持ち合わせていないが、先日読んだ西村和雄氏の『有機農業原論』の論旨が気になっている。

 西村氏は、田圃や畑も一つの小さな生態系だと述べている。
 ならば、人間の身体も同じく、さらに小さな生態系ではないのか。

 身体のメカニズムが、体内に生息する無数の生物との相互依存によって維持されているとすれば、健康とは、そのような相互依存が保たれた環境を意味する。
 であれば、健康を維持したいと願うならば、体内生態系の維持にこそ、意を用いなければならない。
 自然界にもともと存在しない物質など、生態系に無関係もしくは有害なことは常識だろう。

 「健康食品」の発想は、農作物に窒素リン酸カリを与えればよい、というのと、構造は同じである。

 健康原理主義者でないから、時と場合によりカップラーメンを食うことに躊躇しないが、食の基本は、土から生じたものをひたすら食うのが、人間の食というものだろうと考えている。

 秩父渓だより2015に、秋色の滝川を追加。
 読書ノートに、『空白の世紀』を追加。

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