2015年1月アーカイブ
雪の花咲く
サイカチ大木
レンタルサーバーの仕様変更により、しばらくMovable Typeのプログラムにアクセスできなかった。
その後、Movable Typeが自分でバージョンアップを始めてくれ、CGIへのアクセスはできるようになったのだが、今までのエントリーがすべて消失していた。
山里生活記自体は、現状、見ることができるのだが、このエントリーを投稿して再構築した途端にすべて消失した状態で上書きされるのではないかと恐れている。
バックアップを取ろうにも、すべて消失した状態でしか、記録されない。
悩んでいてもしかたがないから、思い切ってエントリーを書いてみる。
太郎山山行記を追加。
ようやく夜明けが早まり始めた。
とはいえ、畑の土は凍っているし、朝はひどく寒いので畑仕事もままならない。
本日は、葉先が枯れそうになりながらも頑張っている大麦を踏んだ。
寒いのもあと一ヶ月だが、根はまもなく動き始める。
そろそろ肥料が必要だ。
コンニャクを消費しなければならないので、モツ煮。
変形した武甲山
酉谷山を望む
氷点下4.5度と、大した冷え込みでもないのに、水道管が凍った。
経験的に、水道管の凍結は、前日比の寒さとも関係があると感じる。
ボイラ用の薪作り少々。
昨日、コンニャクを作ったので、夕方から火を燃やして、炒めコンニャクとモツ煮を作った。
『ピケティ入門』の読書ノートを追加。
ピケティそのものを読む根性がないので、とりあえず紹介本を読んだ。
ピケティの概要はわかったが、別の人の紹介本も読んでみたい。
写真は、文殊峠界隈からの展望。
この時期恒例となった天宮尾根から品刕・大日峠への業務山行(ルートはこんなだがInternet Explorerでは表示されない)。
冬型気圧配置なので晴天かと思いきや、お昼前後に雪雲がかかって、風花が舞った。
とはいえ、大崩れするでもなく、冷たい西風が吹き、寒いながらもまずまず快適な低山歩きができた。
季節風は夜半になってもまだ、やんでいない。
昨日は、最低気温が氷点下6.0度とかなり冷え込んだのだが、今朝は一転して+2.1度と、前日比8度も暖かい朝だった。
それは南岸低気圧が暖気を引き込んだためで、お昼過ぎに降りだした雨はすぐに雪となり、夕方まで降り続いた。
相変わらずネットワーク関連の仕事を強いられて、大幅に超過勤務。
ゆっくり食事をとっている暇もない。
それにしても、着雪で華やいだ樹木は、じつに美しい。
朝日新聞デジタルが、川内再稼働同意の2県議、関係企業が九電関連工事を受注と報じている。
川内原発の安全対策調査を担当している自民党所属の2人の鹿児島県議の親族企業がそれぞれ、計1億9000万円分と計1億円分の原発関連工事を受注していたという。
こちらの有権者は、いったいどういう神経で、こういう連中に投票するのかね。
このような構造は以前から変わっていないのだが、自公政権になってから、「利権のための原発だけど何か?」という雰囲気になってきた。
丁目石祠寄進碑
山ノ神前の馬頭尊
『週刊金曜日』で、佐高信氏が、尾崎放哉の「咳をしても一人」という句にふれていた。
暮れの12月20日に三ツドッケに登った際、かなり厚着をして、枯れていた一杯水から下って水を取りに行った。
下り15分、登り25分程度だったが、ここで大汗をかいてしまい、その後冷えて風邪ひきになった。
風邪を引いても熱も出ないことが多い。
今回も、激忙の最中だったこともあって自然に治癒したのだが、それ以来咳がとまらなくなった。
似たような咳で、百日咳とかマイコプラズマ肺炎などの診断をいただいたこともあった。
今回は医師に診てもらってないのだが、たぶん咳喘息だと思う。
そんな状態だったので、「咳をしても一人」がいたく気になったのだった。
吉村昭氏の放哉伝『海も暮れきる』を読んだ記憶があるのだが、本は見あたらないし、1996年以来書いている読書ノートにも記録がない。
おそらくもっと以前に読んだのだろう。
しかたがないから、また手に入れた。
写真は、太郎山の風景。
雪の斜面
第一次落ち葉堆肥の作業が終わったので、第二次落ち葉堆肥を仕込まなければならなくなった。
落ち葉は集まっているのだが、小糠が足りない。
そこで、例によって、信州へ精米山行に出かけた。
やや運動不足気味なので、市街地からほど近くの軽い里山ということで、上田市の太郎山に行った(ルートはこんなだがInternet Explorerでは表示されない)。
ここは秩父の武甲山に似て、山頂直下に太郎山神社があって、眼下に市街を一望できる。
表参道の途中に、丁目を示す古い石祠がある(武甲山の場合は丁目石)のも、地域のお山だということがわかる。
薄く積雪もあるのに、登山道は、老若男女で賑わっていた。
下山後、思惑通りに、十分な量の小糠も手に入った。
暖房用とボイラ用の薪作り。
とりあえず数週間分の薪はストックできている。
畑に行って、落ち葉堆肥の三回目の切り返し。
第一次落ち葉堆肥は、このあと三週間ほどの熟成で完成するから、ジャガイモの植えつけに十分間に合うことになる。
現状で、1100リットルほどで、熟成すれば1000リットルほどになる。
今後、夏野菜用の第二次落ち葉堆肥を仕込む。
帰宅後、こんにゃく作り。
こんにゃくを茹で鍋に入れる際、素手で掴んでしまったため、手のひらがピリピリする。
ムクゲ公園のコナラ間伐に今シーズン初めて出かけた。
完全に冬枯れた里山だが、雪が降る前に頑張っておきたい。
午後は秩父事件の研究会。
研究会が終わったあと、営業の仕事。
このところ、畑違いのネットワーク関連の仕事に忙殺されているので、精神衛生上よろしくない毎日なのだが、今日はまずまずまともな一日だった。
北河内郡交野町(今は市になっているかも)の酒だが、端正で真面目なかたの桜。
馬頭観音
仕事始め。
天候が穏やかでよく晴れているので、山散歩でもしたいところ。
「北秩父」の山日記に、釜ノ沢五峰山行記を追加。
32番には、観音窟を始め、観音の石仏がたくさんあるのだが、その多くは、首を叩き割られている。
廃仏毀釈は、江戸時代の仏教が民衆からいかに深く憎まれていたかという文脈で説明される。
それは的外れではないだろう。
しかし石仏への憎悪はただそれだけで説明できないような気がする。
二子山
昨日は氷点下6.6度まで冷え込んだため、家じゅうの水道がすべて凍りつき、たいへん困ったのだが、今朝は氷点下4.1度とずいぶん穏やかだった。
週明けの南岸低気圧が雨になるか雪になるかはまだわからないが、低気圧が去ったあとは再び冬型で、冷え込みが案じられる。
寒いのはいたし方ないが、水道管の凍結が困るのである。
午後からちょっくら、近所の山を歩いてきた(ルートはこんなだがInternet Explorerでは表示されない。また途中からトラックデータなし)。
去年あたりも何度かここを歩いているのだが、長若山荘から図根三角点を経て札所32番に降りるルートである。
山中で現在地がわからなくなったという男性に遭遇し、途中まで一緒に歩いたのだが、図根三角点から四等三角点経由で黒部幹線657号鉄塔に降りるつもりが、655号鉄塔に降りてしまった。
それでは困るので、655号鉄塔から図根三角点へ登り返し、再び657号鉄塔からぐるっと回って655号鉄塔へ登り、32番へおりた。
山は風も穏やかで、気持ちよかった。
集落の新年会を、今年から午前中に行うことになった。
もちろんお酒をいただくので、午後は外出できず。
軽く薪作り少々で、一日が暮れた。
午前中、一時的に激しい雪が降ったが、風花だったようで、ほとんど積もらなかった。
朝日新聞デジタルに、ピケティのインタビューが掲載されている。
彼は市場経済もグローバリズムも否定しないが、経済は人間の幸福のために存在すべきであり、そのような経済のあり方とはどのようなものなのかという議論をしている。
弱肉強食の経済が人間の誰をも幸福にし得ないことは明らかであり、そんな経済は再構築されなければならないとピケティは言うのだが、「この道しかない」と大見得を切る御仁はいったい、何を考えているのか。