清滝周辺のシオジ林
シオジ林
大カツラ
下山道の大カツラ
小豆の収穫とタマネギの植えつけ。今日も時間切れで途中まで。
自分でタマネギを育苗すると、何本の苗ができたかわからない。
今年はまぁまぁ調子よかったので、200本以上の苗を植えることができそうだ。
帰宅後、小豆こなし。
両神山の清滝小屋付近は、沢状地形ではないが、シオジやカツラの美林に囲まれた別天地だ。
暑くも寒くもない時期に、ひねもすここでゴロゴロしていたら、さぞいい気分だろうと思う。
小豆の収穫とタマネギの植えつけ。今日も時間切れで途中まで。
自分でタマネギを育苗すると、何本の苗ができたかわからない。
今年はまぁまぁ調子よかったので、200本以上の苗を植えることができそうだ。
帰宅後、小豆こなし。
両神山の清滝小屋付近は、沢状地形ではないが、シオジやカツラの美林に囲まれた別天地だ。
暑くも寒くもない時期に、ひねもすここでゴロゴロしていたら、さぞいい気分だろうと思う。
今朝の最低気温は2.5度まで下がり、思ったとおり、降霜を見た。
今朝は大豆を摘んで、夜なべに大豆をこなした。
明日は小豆かな。
信州の山日記に、石仏山行記を追加。
最低気温が6.6度と、降霜の近いことが感じられる朝になった。
今朝はインゲン種実とルバーブの収穫。
ルバーブは暑さに弱い植物だが、霜にも弱く、霜が降りれば地上部は枯れる。
枯れれば食べられないので、株にダメージを与えない程度に、今年最後の収穫だ。
ルバーブの収穫期は、4月から入梅までだ。
春に収穫したルバーブはすべてジャムにして冷凍保存し、ほぼ毎日食べている。
ルバーブは、通年近く食べることのできる貴重な作物だ。
タマネギ苗を植え始めた。
今年は豆類の収穫が忙しいので、タマネギの植えつけも、一気にはいかない。
帰宅後、インゲン・大豆の脱穀と、ルバーブジャム作り。
写真は、石仏で見たきのこたち。
今日も早朝に、小豆と大豆摘み。
帰宅後、豆の脱穀。
豆仕事の先はまだ見えないのだが、そろそろタマネギを植えつけなければならない。
それが終われば、畑も冬を迎える準備ができたことになる。
うなり音を立てて、北西風が吹いている。
これが関東地方の冬の音だ。
手の指が割れ始めた。
これもまた。冬の訪れを感じさせる。
写真は、石仏で見たツガの木たち。
両神山への業務山行(ルートはこんなだがInternet Explorerでは表示されない)から帰宅。
願ってもない帯状高気圧に恵まれ、二日間ずっと快晴だった。
八丁尾根の紅葉は、残念ながら盛りを過ぎていたが、年少の友人たちが無事に歩ききったので、言うことなしだった。
下山後、まだ明るかったので、暗くなるまで畑仕事。
小豆・インゲン・大豆の収穫。
小豆は峠を越えた。
インゲンは今がピーク。
大豆は収穫を急がねばならない。
写真は、今日の両神山からの展望。
パソコンに向かう時間がないほど忙しいのは、豆仕事をしているからだ。
豆仕事とは、小豆やインゲンの種実を莢から取り出して害虫を排除し、貯蔵瓶に入れる作業である。
山になど行ってないでせっせと働けばよいではないかと自分でも思うのだが、名残のきのこや紅葉を見に行くことの方が、畑仕事より優先順位が高いのだから、仕方がない。
昨朝はインゲン豆、今朝は小豆摘み。
大麦・小麦は、順調に発芽した。
ニンニクもほとんど芽を出した。
帰宅後、豆仕事。
写真は、石仏で見た葉っぱたち。
三日間の短期出張から帰宅。
雨続きなので、麦の芽が出始めているのではなかろうか。
読書ノートに、『テレビに映る北朝鮮の98%は嘘である』、『原発ゼロで日本経済は再生する』、『被災者支援政策の欺瞞』を追加。
越後の山日記に、鋸尾根から飯士山を追加。
チト出遅れたが、上野村の金比羅山(高くつ山・日影山とも)から社壇ノ頭あたりを歩いてきた(ルートはこんなだがInternet Explorerでは表示されない)。。
自動車で上野村を走っていると、「まほーばの森」という看板があるのだが、それはいったいどのような施設なのか、知らないでいた。
また、不二洞の奥あたりに大きな吊り橋がかかっているのが見えるのだが、あれはなんだろうと思っていた。
今日は、「まほーばの森」から金比羅山に登り、尾根伝いに社壇の頭へ至り、古い尾根道経由で不二洞近くの吊り橋を渡って、「まほーばの森」に戻ったから、これらがすべて理解できた。
「まほーばの森」とは施設の整った立派なキャンプ場で、吊り橋は「まほーばの森」から不二洞へ直行できるように作られているのだった。
山は、やせ尾根あり、美しい雑木林あり、紅葉ありで言うことなしだったが、クリタケが出ているかもという淡い期待は、成就しなかった。
下山後、畑で小豆とインゲン摘み。
帰宅後、小豆の脱穀。
小豆の収穫はようやく、峠を越えた。
気温が下がって、ゴーヤが一気に元気をなくした。
夏野菜も今月いっぱいで終了だろう。
ここまでほんとによく頑張ってくれた。
午前いっぱい、ボイラ用薪作り。
午後は、農作業。
陸稲とシコクビエの脱穀。
陸稲(トヨハタモチ)の収量は、それなりだった。
小豆とインゲン豆の種実摘み。
今年は、小豆もインゲンもまずまず豊作だった。
虫に食われないように、注意しなければ。
帰宅後、インゲンの脱穀。
夏野菜がまだ頑張っているが、大根ができ始まった。
久しぶりに食べる自分の大根は美味しい。
大根と待ち合わせするように、山のナメコやキヌメリガサも出てくるのである。
これが、日本列島の暮らしというものだろう。
なんとありがたいことではないか。
「日本を守りたい」と意味不明なことをのたまっている御仁には、芳醇な山のきのこを子どもたちが安心して食べられるようにしていただきたい。
「日本を守る」とは、日本列島に育まれてきた民の暮らし方を守ることでなければならない。
南相木村の石仏という山を歩いてきた。(ルートはこんなだがInternet Explorerでは表示されない)。
登山道はなく、篤志家の残した踏み跡をたどるのだが、それもかすかで、ほぼずっと倒木またぎをしていた。
ときどきこういう山歩きをしておくと、山歩きの感覚を磨くことができる気がする。
今日は、小麦の種まきと大量の小豆摘み。
小豆の黄熟がスピードアップしてきた。
収穫が遅れると、ゾウムシがつくので、なるべく早めに摘むようにしたい。
帰宅後も、小豆の脱穀(手作業)。
写真は、色づき始めたヤマウルシ。
読書ノートに、 『中世武蔵人物列伝』と『マングローブの沼地で』を追加。
週末によく働いたので、自分へのご褒美として、ちょっくら山行き。
湯沢町の飯士山に登ってきた(ルート)。
鋸尾根を登って、岩原スキー場に降りたのだが、小さな山なのに、かなり登りでがあった。
少なくとも、山名ほどにeasyな山ではなかった。
体力が落ちているのかも。
登りだしはガスだったが、山頂で休むうちに晴れてきて、いい展望が得られたのだが、巻機山の雲がとれなかったのは残念だった。
ヤマウルシやタカノツメの紅黄葉が美しかったし、雑木林では、ナメコやムキタケが出始まっていた。
帰宅前に、畑で農作業。
インゲン豆種実の収穫。
大麦とそら豆の種まき。
麦飯にして毎日食べている弥富モチがなかなか美味いので、昨年よりたくさんまいてみた。
麦蒔きしているところで、雨が降りだした。
よいタイミングだった。
台風は当地を直撃したが、大雨にはなったものの、暴風は吹かなかった。
とりあえず、やり過ごすことができてよかった。
一昨日にコメの脱穀をしておいて、本当によかった。
畑はまだ入れる状態でないので、今朝はそら豆の種まき準備と小豆摘みのみ。
小豆の莢には、すでにゾウムシの幼虫がついていることが多い。
これを放置して貯蔵すると次から次へと種実を食害して、貯蔵中にすべて台なしにするから、恐るべき害虫だ。
薬を使わない防除策はまず、脱穀直後に種実を観察し、ゾウムシ幼虫を見つけることが第一だ。
意外に図体が大きいので、よく見れば容易に見つけることができる。
その後、暑い日に自動車内に置いて乾燥がてら熱燻蒸する。
とりあえず、こんなところか。
ほうれん草・大根・里芋などができ始まっている。
しかしまだ、夏野菜が頑張っているので、ほうれん草以外の秋野菜は今しばらく放置する。
ほうれん草は、大きく育った株を収穫すれば、周りが伸び始めるので、なるべく消費したほうがよい。
食べものに余裕があるのは、ありがたいことだ。
「日本」とは、ほうれん草の品種名である。
ほうれん草は、西洋系より日本系のほうが美味いと思う。
朝から雨降りなので、午前中は在宅。
夕方になって台風対処のため、出勤した。
そろそろ雨が強くなってきている。
斜面に建っている家なので、深夜の台風通過は、不安感がある。
はと麦を金槌で叩いて、殻を飛ばし、炭火でじっくり焙煎して挽いた上で、淹れてみた。
とても香ばしい。
しかし、とても手がかかる上、殻の全てを除くことはできていない。
もっと丁寧にやれば、さらに美味しくなると思うが、もう少し簡便な方法はないものか。
終日、田んぼ作業。
今年のコメを脱穀した。
収穫はコンバイン袋4俵半と、昨年に比べれば少なかったが、上出来だと思う。
たくさん獲ろうなどと欲張らずに、納得のいくコメを程々に作れればよいと思う。
午後もハザ棒の片づけなど。
今年の田んぼ仕事はこれで終わりだ。
そんなにたくさんとれなくても、収穫したコメを軽トラに積んで家に帰る気分は、歌でも歌いたいほどだ。
コメは、特別な作物なのだと実感する。
夕方まで、畑仕事。
草むしりとインゲン種実その他の収穫。
昨年は種にするくらいしかとれなかったつるあり金時だが、今年は煮豆がたくさん食えそうだ。
ほぼ終日、農作業。
この間片づけていた陸稲跡地を除草を兼ねて耕耘。
ここには来春、里芋を作る。
玉ねぎ予定地・そら豆予定地のうね立てとマルチ張り。
玉ねぎの作業にかかったら、今年度の農作業も先が見えてくる。
大麦・小麦の種まき準備。
大量の除草。
晩生小豆の収穫。
小豆は一度に塾さず、一本の株でも莢によってバラバラと熟していく。
株を引き抜いたのち、叩いて脱穀するということができないから、いちいち莢を摘み取らねばならない。
恐ろしく辛気くさいのだが、小豆とはそのようなものなのだから、仕方がない。
相変わらず虫食いが多少まじるとはいえ、いい小豆だ。
9月28日のエントリーで、「1日に数千人が登る富士山で、今回のような電撃的な噴火が起きたらどうするのか、誰も考えていないこの「国」はどうなっているのか」と書いたのだが、朝日新聞デジタルによれば、富士吉田市では「庁内に富士山の噴火対策を専門に推進する「富士山火山対策室」を、安全対策課内に新たに設置する」とのことだ。
これから「対策室」を設置して、そこで対策を検討して、予算をとってから動き出すのだろうが、県や他の自治体と連携した対策を立てる必要がある。
さらに降灰や土石流対策も。
日没が早くなって、退勤後の農作業がいよいよできなくなった。
今は出勤前に畑に出ているが、夜明けも遅くなるから、それもできなくなっていく。
晩秋とはそんな季節だ。
ところで、夏野菜のゴーヤは今なお絶好調である。
他の夏野菜たちが終了の気配を漂わせているところで、連日、キュウリ並みにできている。
ということで、ゴーヤの消費方法もまた、悩ましい。
健気に頑張り続けている夏野菜と玉ねぎ苗・ネギ苗・大根に追肥。
追肥は、粉状の鶏糞を水に溶いて潅水している。
ネギ苗たちはまだ弱々しいので、ときに除草と潅水が必要だろうが、育成のための管理はこれで完成だと思う。
そろそろ晩生小豆の収穫にかからねばならない。
写真は、小川山のきのこ3。
自分としては、ベニテングタケの写真がお気に入りだ。
今年はウツロベニハナイグチの写真をかなり撮ったが、まともなのはほとんどなかった。
じっくり取り組めば、かなり面白いウツロが撮れるかもしれない。
来年の楽しみにしたい。
台風は当地の南をかすめて通った。
太平洋に近い地方では、かなりの被害が出たようだ。
被災された方々には、お見舞い申し上げます。
こちらはかなりの雨が降りはしたが、さほどひどい風が吹かなかったので、畑にも田んぼにも、大きなダメージはなかった。
ここ二日ほど、畑にご無沙汰したのだが、ずいぶん秋が深まった感じがする。
写真は、小川山のきのこ2。
朝から祭礼の片づけ。
例大祭なので、都合3日かかるのである。
さすがに少し疲れてしまった。
今日の雨は確実に予想できたので、昨日早朝に野菜類を確保しておいた。
夏野菜がまだよく獲れているのはありがたい。
夏のあいだ中、こんなものばかりずっと食っていた。
全て畑の土から生じたものばかりだ。
大麦を米と混ぜて炊いてみた。
これも畑から生じた。
米は田んぼから生じた。
弥富モチという大麦は裸麦なので、モミを外すのは容易だが、安物の精米機程度で薄皮を削るのは不可能だ。
麦の割り飯を作るには、圧力鍋で麦を炊いておき、コメを炊くときに炊いた麦を混ぜる。
もち麦なので、パサパサせず、消化も悪くならないが、炊きあがりはずいぶん黒っぽい。
味は悪くないが、薄皮が残っている。
このやり方で味噌を仕込めば、味はよいが食感の今一つな味噌ができそうだ。
昨夜来、庭をイノシシが歩いている。
そこらを掘り返しているので、草むしり代わりにはなるが、はたしてこんなことでよいのだろうか。
早朝から日没まで終日、集落の祭礼。
天気が崩れたらたいへんなことになると思われるが、雨のお祭りというのは、記憶にない。
今日も、曇り按配ながら、まずまずの天気だった。
明日は雨予報なので、いいタイミングだった。
終日、鎮守の祭礼準備。
夕方前に終わったが、畑に行って、ネギ苗に潅水と赤大根の間引きと追肥だけで日没。
写真は、小川山のきのこたち。
時間がまったくとれないため、きのこ画像の処理がしばらくできないでいた。
活を入れたのが効いてきたのか、ゴーヤがとてつもなく元気になった。
今夜はゴーヤの炒めものとゴーヤの甘酢漬けをおかずで食べたあと、ゴーヤジュースを飲んだ。
甘酢漬けは、漬ける前に軽く塩もみしたのだが、仕上がりが硬い。
湯通ししたものを漬け込んだほうがよいかもしれない。