奇跡的に見えた富士山
ポンコツ腰を騙し騙し、笠取山-雁坂峠への業務山行から帰宅。
前線の影響を受け続けて、雲は多かったが、晴れ間もあった。
コースは、こんな感じ(ズームで縮尺変更可能)。
天気のもっともよかった時間帯に、展望地に居合わせた感じだった。
帰秩後、畑で農作業少々。
黒熟し始めたはと麦を一部刈り取り。
ヤーコン葉の摘み取り。
これらは、お茶用。
せっかく芽の出た玉レタスの双葉苗を、何ものかに食われてしまった。
残念至極だ。
ポンコツ腰を騙し騙し、笠取山-雁坂峠への業務山行から帰宅。
前線の影響を受け続けて、雲は多かったが、晴れ間もあった。
コースは、こんな感じ(ズームで縮尺変更可能)。
天気のもっともよかった時間帯に、展望地に居合わせた感じだった。
帰秩後、畑で農作業少々。
黒熟し始めたはと麦を一部刈り取り。
ヤーコン葉の摘み取り。
これらは、お茶用。
せっかく芽の出た玉レタスの双葉苗を、何ものかに食われてしまった。
残念至極だ。
自宅のある山間部ではしとしと雨が続いているのだが、町へ出ると道路が乾いている。
北高型気圧配置の日に、こういう天気がありがちだ。
そんなわけで、今日もささやかに農作業。
草むしりと畑のあぜの草刈り。
夏小豆あとの耕耘。
家で、白菜の種まき。
読書ノートに、『ビルマ』を追加。
貧血気味のため、カフェインはあまり摂らないようにしている。
そうすると、お茶は適当な植物を干したものを煮出すことになる。
晩秋から早春までは、ヤーコン葉粉末などを飲むのだが、春から夏はヤーコン葉がなくなるので、ドクダミなどを使う。
身体にいいかどうかは、不明(効果は感じられない)。
ドクダミ葉は、梅雨があけると部分的に枯れ始めて、品質が落ちるが、枯れ尽くすわけではない。
やはり終日雨もようなのだが、霧雨程度のときに農作業。
夏小豆とフリントコーンの片づけ。
大除草。
8月15日以来、軽度の腰痛なのだが、草取りや穴掘りばかりしているので、今ひとつ、治りが遅い。
大量に作っておいたゴーヤ佃煮を食べ尽くしたので、また作った。
これはたいへんイケル食べ物なので、ゴーヤの季節が終わるのが名残惜しいくらいだ。
そういえば、6月初旬以来食べ続けてきたジャガイモを、種芋を除いて明日で食べ尽くす。
この間、コメをほとんど食わないので、コメをずいぶん食べ伸ばすことができた。
今年の新米がとれる(ことを切に願う)まで、昨年のコメが持ちそうだ。
ありがたいことだ。
写真は、職場の駐車場に芽生えたタカサゴユリ。
名神高速道路の土手には、10年以上以前から群生していたが、ここ1.2年の間に東日本の至るところに咲くようになった。
風で飛ぶ種がアスファルトやコンクリートのちょっとした隙間で発芽して、2年くらいで開花にいたる。
外来種なので、あまり増殖してほしくないのだが、生態系をどの程度撹乱するのか、まだよくわかっていないようだ。
読書ノートに、『人びとのアジア』を追加。
終日雨なのだが、若干のやみ間があるので、そこでちょいと農作業。
残りの種ラッキョウの植えつけ。
ラッキョウの植えつけはこれで終了。
今年も、ラッキョウに肥料を与えた。
夏小豆の収穫。
どうも実入りがよくないのは、カリが不足しているからだろうか。
オクラ(ダビデの星)の収穫。
とてもでかくて、食べでがあるオクラだ。
大きくなっても柔らかいが、収穫後時間が経過するとどんどん硬くなる。
読書ノートに、『東南アジアを知る』を追加。
ずっと雨模様なのだが、やみ間を狙って農作業。
カブ(大野紅)の種まき。
大根(青首宮重)の種まき。
白菜予定地のうね立てとマルチ張り。
玉レタス予定地のうね立て。
大除草。
読書ノートに、『日本の路地を旅する』と『ソウルの風景』を追加。
きのこつれづれ記に富士山の記録 2014-1を追加。
5年前とちっとも変わらずに咲くフジアザミに、まごころを感じる。
昨日遊んだので、今日は終日、農作業。
秋野菜の準備作業の続き。
大根(たたら辛味)の種まき。
カブ・玉レタス予定地の準備。
ビニールポットに、玉レタスと白菜の種まき。
以下は、今月のうちにやるべき作業。
漬物用大根の種まき。
宮ネギ・玉ねぎの播種地の準備。
カブの種まき。
西瓜とフリントコーンの片づけ。
夏小豆の収穫と片づけ。
イチゴ苗の植えつけ地の準備。
ちょっと間に合いそうもない。
写真は、昨日食したポルチーニ料理。
瀬音・源流部会の皆さんと、久しぶりに富士山に行ってきた。
自サイトのきのこつれづれ記で確認すると、富士山に行くのは5年ぶりらしい。
何度も通ったK助山に行ったのだが、行き方をすっかり忘れており、自分ながら呆れてしまった。
時期的にはショウゲンジなのだろうが、ショウゲンジも他の目ぼしいきのこも出ておらず、そのかわりに、ヤマドリタケがよく出ていた。
夕方、秩父に戻って、暗くなるまで畑仕事。
秋野菜の準備作業。
引き続き、秋野菜の準備。
朝はずいぶん秋めいてきたが、昼から夕方にかけては、列島で唯一、関東地方だけが太平洋高気圧に覆われて猛暑状態のため、いい暑さである。
畑で、埒のあかない肉体労働をしていると、汗がしたたり落ちてくる。
まだいくらか残っていた西瓜と干瓢を片づけ始めた。
これでかなりスペースができる。
妙義・浅間の山日記に、小浅間山山行記を追加。
本日も大除草と秋野菜の準備。
暑さ+ヤブ蚊の連合軍と一人で闘う。
生ゴミ用のコンポスターに、ヒトヨタケ科のきのこが生えた。
読書ノートに、『エビと日本人2』と『イザベラ・バードの旅』追加。
遊び呆けているうちに、当然のことながら畑が草だらけになってしまった。
久しぶりに草むしりに勤しんだが、これまた当然のことながら焼け石に水だ。
フリントコーンの収穫。
とってきたら紐で結んで、すぐに吊るす。
ビニールポットに三陸つぼみ菜の種まき。
読書ノートに、『北朝鮮は、いま』と『インドネシア』と『カンボジア最前線』を追加。
写真は、大神神社境内で見かけた(多分)ウラギンシジミ。
百済寺でスミナガシも見たのだが、カメラを構えると逃げてしまった。
あまり時間がなかったので、滋賀県愛東町の百済寺(ひゃくさいじ)に、自動車で行ってきた。
広大な境内に、無数のヤマザクラやヤブツバキが自生しており、全山にミツマタが植栽されている。
カエデ類も多いから、花の季節のみならず、紅葉の季節にもみごとだろう。
かつては同じ天台宗の比叡山に似て、無数の塔頭が林立していたらしいが、堂宇・諸仏・経文の殆どを、信長の放火によって失ったらしい。
信長は、石垣の石まで抜いて、安土築城に再利用したという。
まさに、悪魔の所業である。
同時代の、例えば信玄や謙信の、神仏への信仰は、絶対的なものだった。
信玄などは、善光寺が欲しくて、長野から本尊ごと、甲府まで奪い来たったほどだ。
信長の冷酷無比な合理主義は、秀吉や家康とも次元が異なり、バーミヤンの大石仏を爆破した人々と通底する、ニヒリズムを感じる。
彼が天下を握り得なかったのは、幸運なことだった。
大和盆地の東縁を歩いてきた。
まずは、室生に行って、室生寺を拝観。
全山がスギの巨木に覆われており、密教寺院らしい迫力に満ちた境内だった。
同じ真言密教といっても、室生寺は修験の匂いが濃厚なのに対し、長谷寺は門徒のオルガナイズに長け、ある意味では俗っぽさを全面に出したお寺のように感じた。
その足で、広い道路を北へてくてく歩き、箸墓を見た。
近年、卑弥呼の墓だというムードができつつあるのだが、学問的にはまだ、全く未解決のはずだ。
いずれにしても、一帯を邪馬台国に比定する説がある程度の説得力を持つのは事実だから、ここももっとじっくり歩きたいところだ。
ここまで歩いて、時間切れ。
朝は雨模様だったが、午前中には晴れて、ひどく蒸し暑くなった。
京都市内を歩いてきた。
慈照寺を拝観して、哲学の道を永観堂まで。
政争はもはや、将軍たる自分にさえ制御不能となった。
権力をめぐる争闘にコミットできない将軍など、存在する意味がない。
義政は、征夷大将軍たる自分のアイデンティティを根本的に否定されたわけだ。
自分とは境遇の異なる義満の豪華な山荘は、虚栄心の塊にしか見えない。
人為は全て、虚しい。
さりとて、将軍たる自分は、自然に帰ることなどできるわけがない。
人為と自然の切り結ぶ作庭芸術は、差別されていた人々のものだった。
樹木と石と砂と苔によって構成された人工的な自然を前にすることで、義政はようやく、心の空間を埋めることができたのだろう。
小浅間山へ散歩に行ってきた。
峰の茶屋前に自動車をおいて往復だから、トータル1時間程度の歩きだった。
暑くはあったが、下界ほどではなかったと思う、
小さな子どもをつれた家族連れがたくさん登ってきていて、なかなかよいコースなのだと思った。
咲いていた花は、シモツケ・ヤマハハコ・コキンレイカ・ホタルブクロなどだった。
八ヶ岳・浅間山は見えなかったが、妙義連山や西上州の山々は見えていた。
田んぼの畔刈りと防鳥糸張り用支柱立て。
気温は高くないのだが、身体を動かすと汗が流れ落ちる。
家の片づけ。
こちらもけっこうな大仕事だった。
フリントコーンを収穫し始めた。
昨年は「甲州トウモロコシ」という、黄粒種を作った。
決して不味くはないのだが、より粘りがあるという「白もちとうもろこし」に変えてみた。
5月の日照りで、発芽はムリだろうと思っていたが、半分ほどは芽がちゃんと出てくれた。
先の大雨で倒伏したのだが、枯れたり汚れたりはしなかったので、そこそことれそうだ。
今のところ、鳥獣の害もない。
まずは、カリカリになるまで、吊るして乾燥だ。
野菜類と夏小豆の収穫。
小豆は、株の下の方から順に熟していく。
一度に全部が熟すのではない。
株全体が一斉に熟す大豆とは、その点が異なっている。
しかしこれだと、熟した莢だけを摘みとっていかねばならない。
たいへん手間がかかるのだが、やむを得ない。
先月種まきした晩生小豆はまだ花が咲かない。
8月も半ばにさしかかった。
8月後半というのは、最大の農繁期だと思う。
その8月後半が近づいている。
今年の梅干しが完成した。
自分では、そこそこの出来だと思う。
この先の予想天気図を見ると、梅雨末期のような気圧配置が続くようだ。
過ごしやすいのはけっこうだが、冷夏は稲の大敵だ。
この時期はやはり、猛暑であるべきだ。
竹を切って、田んぼの糸張り棒作り。
種ラッキョウの植えつけ(途中まで)。
今年のスイカは、例年よりはやや不良というところだが、ちょうどピークにさしかかった今は、消費するのが大変だ。
ずっと種をとり続けている嘉宝スイカは、食味のよい品種だ。
畑のキュウリはそろそろ終了になりそうで、一日3-4本程度しか生らなくなった。
食べるぶんには、ちょうどよい。
その一方で、スイカやゴーヤが元気になってきた。
ゴーヤは、いつも油炒めでは飽きるので、工夫しなければならないのだが、いいレシピがなかなか見あたらない。
とりあえず、ゴーヤ佃煮とゴーヤジュース。
ゴーヤ佃煮は、ゴーヤを酢と醤油で煮詰める。
これには、七輪必要。
煮詰めてから、かつお節とゴマをかけて仕上げる。
ビタミンCはほとんど消えてると思うが、まずまず食べやすい。
しかし、大量には食べられない。
ゴーヤジュースは、熟してオレンジ色になったゴーヤとバナナをりんごジュースとともにミキサーにかける。
だからこんな色になるのだが、苦味は全くなく、飲みやすい。
これだと、毎日1-2本のゴーヤを消費することができる。
難点は、熟れたゴーヤは、放っておくとあっという間に腐れ落ちるということだ。
終日雨降りだったので、家の片づけ・掃除や各種用足し。
キュウリ・スイカ・ゴーヤの種とり。
山日記に南八ヶ岳山行記を追加。
雨は現状、小康状態だが、予断は許されない。
いずこも被害が出ないように祈りたい。
雨のため、本日の農作業はなし。
時間ができたので、家の片づけや各種煮物などして過ごした。
冷凍しておいた実山椒を使って、小女子山椒。
雨のやみ間に採ったゴーヤの佃煮作り。
これくらい涼しい日でないと、七輪に火を入れる気にはならない。
引き続き、八ヶ岳の花たち。
上のうち、タカネグンナイフウロは、キレット小屋の水場でしか見なかった。
畑がひどいことになってきたので、久しぶりに大除草。
もちろん埒はあかないが、やらないよりはマシだ。
職場に弁当を持っていくのを忘れて出勤してしまったのだが、弁当は夕方まで腐らずにいてくれた。
幸運だった。
唐松尾山山行記を追加。
三日間の疲れがとれないので、退勤後の農作業は、キュウリの葉かきのみ。
草が伸びて、畑がみっともなくなっていくが、もう身体が動かない。
谷川連峰山行記をアップ。
八ヶ岳への業務山行から帰宅。
日曜日に渋ノ湯登山口から入山。
その日は黒百合ヒュッテ(この本も)で幕営。
月曜日は八ヶ岳主稜を南下してキレット小屋で幕営。
今日は、権現岳・編笠山を越えて観音平へ下山した。
台風がどのように影響したものか、三日間を通して西からの冷たい強風が続き、標高約2400メートル以上の稜線が晴れることはなかった。
昨夜などは、ダウンのセーターなしでは眠れないほど寒かったのだが、降りてきてみると、当地の今日の最高気温は36.6°と出ており、ひどく暑かった。
帰りに畑に寄ったが、実りすぎた野菜を収穫しかできなかった。
『毎日』が徳島県美波町付近では午後0時半までの1時間に約120ミリの猛烈な雨となったと伝えている。
時間あたり120ミリというのは、「雨」の概念を越えた降水である。
これは、たいへんな事態である。
昨夜の通り雨で、はと麦・陸稲だけでなく、トマトやトウモロコシもが倒伏してしまった。
力の落ちることではあるが、自然のなすわざなので、どこかに遠因があるんだろう。
ものごとの成りゆきに逆らうことはできるものでない。
写真は、またまた、谷川連峰の花の続き。
夕方の草むしりをすませて、スーパーで買物をしていたら、雹混じりの猛烈な雷雨がやってきた。
突風も凄まじく、とても外に出られる状態でなかったため、買い物客はしばし、釘づけとなった。
やむ気配がなかったため、5メートルほど先の自動車まで走ったら、ずぶ濡れになった。
ネットでデータを見ると、この雨で、時間あたり20-30ミリほどだったようだ。
ここ数年、時間あたり80ミリとか100ミリなどという雨が観測されている。
そういう雨にはまだ、遭遇したことはないが、おそらく、想像を絶する降り方なのだろう。
体験するのは勘弁だが、一生に一度あるかないかの雨だと思うので、不謹慎だが、一度見てみたい気もする。
写真は、谷川連峰の花の続き。