タカキビ餅
雨のやみ間に、サクラ丸太の小切り。
時間のあるときに切っておいて、出勤前に割ると薪作りがはかどる。
ほぼ終日、秩父事件研究顕彰協議会の総会と講演会に参加。
講演会では、加波山事件の概要と事件顕彰運動について、会津の赤城弘さんのお話をうかがった。
赤城さんのお話を聞くのは、1992年夏以来だった。
講演を聞いていて、感じたこと二つ。
加波山事件参加者たちが政府顕官に対する爆弾テロを計画していたことは事実だが、明治維新前後の政治運動において、テロはごく一般的な活動形態の一つだった。
テロリズムが運動としてどれほど有効かについては大いに疑問であるが、テロ=悪というステレオタイプな発想は、2001年9月11日に発生した事件以後、急速に広まり、論争相手や政敵を「テロリスト」と呼んで罵倒する風潮さえ感じられる。
テロ=悪かどうかは、時代の流れの中で評価されるべきである。
例えば、伊藤博文を殺害した安重根のテロ行為は、民族の敵だった伊藤を殺害し、日本による大韓帝国の併合に抗するために身命を賭した英雄的行為と評価できる。
明治17年当時の政府は、無理非道な法律によって民権派を幾重にも縛るだけでなく、無数の密偵を放って民権運動を撹乱していたのであり、合法運動に限界があるのは明らかだった。
自由政府実現に燃える若い人々がテロによる局面の打開を考えたのは、理解できることである。
「大化の改新」は中大兄皇子等による蘇我入鹿殺害と政権奪取だったのだが、「中大兄皇子は人殺しだ」というような評価には意味がない。
テロ行為はすべて許されないというような発想では、歴史の流れを理解できないだろう。
もう一つ。加波山事件は結果的に孤立した旗揚げに終わったわけだが、事件参加者たちが考えていたのはもちろん、あのような自己満足的な蜂起ではなかっただろう。
福島・喜多方事件以外の「激化事件」と加波山事件との関係は、当時の自由党の路線の実態が明らかでないため、ほとんどわかっていない。
とはいえ、秩父事件につながる民衆蜂起路線とテロリズム路線には重なる部分も多いはずで、加波山事件の人々とて民衆蜂起を否定していたとは思えない。
加波山事件のめざしたものを、より深く追究してみる必要があると思う。
講演会終了後、畑で農作業。
サラダ菜とチンゲンサイの種まき。
春ほうれん草種まきの準備。
ウドの畝に、稲わら敷き。
以上で日没。
写真はタカキビ餅。
タカキビを挽き、もち米と合わせて搗いたもの。
癖のない味だが、ひどく美味というほどでもない。
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