義民兵内供養塔
落ち葉堆肥の切り返しをしなければならないのだが、本庄市で「中仙道伝馬騒動シンポジウム」が開かれると聞いたので、そちらに出かけてきた。
伝馬騒動については、『明和の大一揆』やいくつかの論文を読んだ程度しか知らなかったので、いい勉強になった。
シンポジウムの前に、美里町関の義民兵内(ひょうない)供養塔を見学した。
兵内は、20万人ともいわれるこの一揆のリーダーと目され、ただ一人死罪となった人物である。
兵内の罪科が、増助郷撤回嘆願を主導した点にあったのか、それとも願いが聞き届けられたのちに行われた打毀しに関連するのかは、明らかでない。
また、増助郷撤回嘆と打毀しの関連についても、実証的な研究を目にしていない。
このあたりが今後の研究課題なのだろう。
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