除染費用の支払いを拒否している東京電力が、1416億円の経常黒字を出した。
「日本」とは、これでも許される「国」なのか。
除染費用の支払いを拒否している東京電力が、1416億円の経常黒字を出した。
「日本」とは、これでも許される「国」なのか。
よく晴れたので、懸案だった水稲の脱穀ができた。
わら片づけを含めれば、終わったのが18時過ぎと、真っ暗になってしまったが、無事に終わってほっとした。
今年は例年よりやや豊作だった。
タカキビの脱穀にも手をつけ始めた。
こちらは少量なので、手でこき落とす。
『視えざる森の暮らし』の読書ノートを追加。
激しい雨は降ったが、今回の台風も、ひどい風は吹かなかった。
畑を見には行ったが、雨のため何もできなかった。
写真は、浮き浮きだんご。
あずき汁に、タカキビの団子を入れて煮た。
あずき汁に塩を入れるという説もあるが、今日は砂糖を入れた。
『心友 宮沢賢治と保阪嘉内』の読書ノートを追加。
午前は人間ドック。
すべての結果が出たわけではないが、今年も重大な問題点はなかったようだ。
昨夜はしとしと雨が降り、今日はどんよりと曇った一日だった。
じつはまだ、水稲の脱穀をしていない。
やむを得ない事情で、先々週末にできなかったのだが、その後の雨続きで稲が濡れてしまい、延び延びになってしまっているのである。
明日から台風接近に伴う雨雲が断続的に通過する。
台風本体もやってきそうだ。
稲が今度ずぶ濡れになったらどうしようもないので、夕方前に、脱穀前の稲を地主さんのビニルハウスに避難させていただいた。
ひと安心ではあるが、いつになったら脱穀できるのか、見通しは立っていない。
北秩父の山日記に、塚山山行記を追加。
読書ノートに、『宮沢賢治の青春』を追加。
近所(小鹿野町三田川地区)の二子山に行ってきた。
何度来たかわからないくらい登った山だが、今回は、東岳往復とローソク岩コースを歩いてみた。
いつも魚尾道峠から西岳へのルートばかりだったので、今回は、仁平沢沿いを股峠に上がり、東岳を往復して西岳から魚尾道峠方向に歩き、ローソク岩コースから股峠に戻って下山した。
東岳の標高は、1122メートルらしい。
まぁ、自分には関係のないことだ。
下界の紅葉はまだだが、稜線はかなり色づいてきた。
晴れてはいたが、雲も多く、雲のない秋晴れとはいかなかった。
下山後、田んぼに行ってハザの片づけ。
畑に行って、柿・梅の枝切り。
サツマイモ掘り。
たいへん疲れた一日だった。
終日、雨降りだったので、在宅。
小麦と大麦の芽が出た。
『アマテラスの誕生』と『郷愁の秩父』の読書ノートを追加。
西上州の山日記に、秋の十石旧街道を追加。
ネット上では、唯一反対した無所属議員を「非国民」扱いする声が大きいが、国費は、大震災からの復旧と原発事故対策に最優先で使うべきだという無所属議員の意見は、まっとうだと思う。
フクイチでは、雨が降るたびに汚染水が漏れたという報道がある。
現場は身体を張って事故処理にあたっているのに、五輪に沸き返る東京の様子や、消費税増税がメディアをにぎわす一方で、第一原発の報道はトラブルばかりで、作業員の声はほとんど報じられないのが現実である。
津波被害の現場も同様で、公明新聞によれば、現在なお、28万人の被災者が仮設住宅で暮らしておられる。
2020年に先立って作られる新国立競技場の建築費については、「毎日」が、2020年の東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場(東京都新宿区)の総工費が、見込みの1300億円から最大約3000億円まで膨らむ可能性があることが分かったと報じている。
苦しむ人々があまたいる中で、3000億円ですむかどうかも定かでない巨大な箱モノ建設に国費を投じるのは、おかしくないか。
共産党も、4年前まで日本共産党はオリンピックの東京への招致に反対していますと言っていたのに、この件に関しては、今や「オール与党」の一員におさまっている。
ちゃっかりしたものだ。
中里村の山を歩くつもりで家を出たら、車の中で自転車がパンクしたので、行き先を変更して、吉田町の塚山を歩いてきた。
ルートは、7年前にヤブに阻まれて敗退したのと同じコースをとった。
前回の最終到達地点である竹ノ茅山(978メートルピーク)からは、面白くないヤブこぎだったが、ひたすら尾根の上を行った。
塚山の名は、山腹に古墳が築かれていることに由来するが、古墳見学にはかなり下らねばならないようだったので、今回はピークに至っただけでよしとした。
帰りは基本的に同じルートだが、廃林道を経由したので、不快なヤブこぎはエスケープできた。
懸案のピークに行けたことはよかったが、GPSにおんぶに抱っこといえるほど、ルートファインドができなかったので、達成感が今ひとつだ。
自転車のパンクは、チューブが劣化していたのが原因だったので、新しいチューブを買ってきた。
台風は大雨のみで通り過ぎていった。
大きな被害にあわれた地方にはお見舞い申し上げたい。
偏西風が少し北によれていたら、当地あたりが大被害にあってもおかしくなかった。
コンニャク芋を掘りあげ。
里芋・コンニャク跡に豆類を植えるために耕耘。
「両神山群」の山日記に、魚尾道峠から志賀坂峠を追加。
ビニールポットに、えんどう豆とそら豆の種まき。
芽が出るまでに、畑の準備をしておかねばならない。
台風が近づいているので、今夜は不安な夜になる。
自宅も不安だが、まだ脱穀していない稲も不安だ。
写真は、ここ数日、カラマツ林で見たきのこ。
そら豆とスナックエンドウ苗の植えつけ。
これらは、ビニールポットで育苗すれば、植えつけまでの期間を広くとることができる。
今年のように、畑の準備が遅れる場合には、芽を出させておけば、都合のよい時に植えつけることもできる。
落花生の収穫。
今春、種をまいた4月下旬にはまだ、雪が降っていた。
発芽不良と生育途中の植え替えのため、今年はほとんど収穫なし。
来年の種子と、一度茹でて食う分だけとれた。
これは、おおまさり。
ひと粒が一般より大きい品種である。
手術から約2ヶ月が経過したので、本日からトレーニング再開。
4.5キロ走、腹背筋・スクワットの筋トレなどをやってみたが、今のところ特に問題は感じなかった。
人間ドックの結果が来た。
こちらもほとんど問題なかった。
朝から好天だったので、今日もリハビリ山行。
上野村白井から、十石旧街道を整備されている部分のみ、歩いた。
今日も、大休止を含めて2時間半とライトな山歩きだったが、ハイカーには会わなかった。
ずっと谷底近くのトラバースだったので、展望には恵まれなかったが、ハナイグチ・シロヌメリイグチ・ハイイロシメジなどの既知のきのこが出ていた。
下山後、畑に行って、里芋とコンニャクの掘りとり。
不作だった里芋はすべて掘りあげたが、コンニャクを掘っていると日が暮れた。
無肥料・無農薬コンニャクは、まずまずの出来。
写真は、道ばたの馬頭尊の頭上に乗っていた、牛の頭。
牛頭尊とは珍しい。
十石旧街道は、明治時代までは、牛や馬に荷を負わせて、多くの人が行き交った道であり、秩父事件に参加した人々が隊列を組んで歩いた道でもあった。
昨日の午前午後を使って、小麦と大麦の種まき。
今年は、小麦と大麦の品種を変えた。
小麦は、農林61号(たぶん)からユキチカラへ。
大麦は、イチバンボシから弥富モチへ。
大麦(裸麦)は今まで、穴あきマルチを敷いてまいていたが、今年は、マルチ使用と不使用と2種類のやり方でまいてみることにした。
防寒にはマルチを使ったほうがよいのだが、倒伏防止には、春にしっかり土寄せできるほうがよい。
今日は、2ヶ月ぶりの軽い山行き。
魚尾道峠から志賀坂峠への尾根道を歩いてきた。
二子山西岳登山口から魚尾道峠へ登り、尾根通しで志賀坂峠へ歩いて、諏訪山登山口へ下山した。
休憩を含めてもトータル2時間半のライトな散歩だったが、道形はおおむねしっかりしているものの、ハイカーが歩いている気配は殆どなかった。
登山口まで20分ほどなので早くに帰宅できたが、病み上がりなので、畑仕事は自粛した。
この「国」の職場は年々多忙化しつつあるのだが、体感的には、人間の限界に近づきつつあるような気がする。
定時に退勤すると、畑に着くときには真っ暗になってしまうのが、せめてもの救いである。
今週の作業は、陸稲の刈り取り(家人に依頼)と小麦予定地の準備。
えんどう豆(スナップ)の種まき。
写真は、イカリソウの酒。
イカリソウは、漬け込み1年くらいは硬いが、数年以上熟成させると、甘みがどんどん析出する。
10年もおけば、なかなか貴重品なのだ。
『前方後円墳の世界』と『飛鳥の都』の読書ノートを追加。
『飛鳥の都』については、読みながらかなりの違和感を禁じ得なかった。
同じ岩波新書の、『日本社会の歴史』などの到達点をどういうわけか、無視していると感じるからである。
自民党の一部(塩崎恭久政調会長代理)から、福島第1原発の事故対応や廃炉などを扱う分野を別会社として分離する(ブルームバーグ)という話が出てきた。
塩崎氏は、「たとえば『廃炉先端技術推進機構』といった会社にし、世界の英知を集めて、国も出資してコントロール」すると言っているらしいが、ミソは「国も出資して」のあたりかと思われる。
東電の株主は、今なお予断を許さない事故対応や補償といったフクイチ事故の重荷から会社を解放し、再び高配当を期待できる会社になってほしいと思っているだろう。
そんな手前勝手がまっとうな資本主義だとは思わないが、近年の拝金主義的資本主義(「新自由主義」とも呼ばれる)は、人が資本を動かすのではなく、資本が意思を持って自己運動して人をも環境をも食いつぶしていく。
東電再生の足かせを政府に投げるなどという都合のよい話が通るとは思えないが、金儲けしたくてウズウズしている東電役員や株主の心底のおぞましさには、虫酸が走る。
下の記事の関連でひとこと。
虎捕山(佐須山)の登山口は、飯舘村の山津見神社である。
神社の由来には源頼義伝説があって、あまりぱっとしない。(詳しくは上のリンク参照)。
しかし、サス山という山名は、焼き畑を連想させるし、狼をご眷属とするところからも、一帯が焼き畑農耕の地だったことが、うかがえる。
ここは、秩父郡大滝村とよく似た、山岳地帯の村だったのである。
14年前の暮れにここを訪れたとき、境内には、「山の恵みに生きる人々の守護神」という大看板が立てられていた。
それを見ただけで、感動してしまったものだった。
佐須山は、福島第一原発からかなり離れているのだが、水素爆発が起きた日の風が、放射性物質をここに運んだ結果、福島県内最悪の空間線量を記録するに至ったのである。
山津見神社の社殿は、今年(2013年)春に、火事によって消失した。
「山の恵みに生きる人々の守護神」がどうして、放射能によって汚染されたり、消失の憂き目を見なければならないのか。
誰か、説明してくれないか。
福島市の福島登高会が、県内山岳の空間線量を独自に測定するという、貴重な調査結果を発表したことが報じられている。
毎日JPによれば、線量が最大だったのは飯舘村と伊達市の境界にある「虎捕山(とらとりやま)」で、国が一般人の被ばく線量の上限とする毎時0.23マイクロシーベルトの29倍に当たる毎時6.6マイクロシーベルトだった。これに二本松市などの境界線にある「日山(ひやま)」5.2マイクロシーベルト▽いわき市の「猫鳴山(ねこなきやま)」5.1マイクロシーベルト▽田村市の「鎌倉岳」5.1マイクロシーベルトが続くという。
虎捕山(佐須山)も、日山も、猫鳴山も、鎌倉岳も、福島県ワースト4はいずれも、過去に歩いた秀逸な低山ばかりだ。
山岳除染も、東電と国の責任である。