退勤後日没までののわずかな時間に、粟に掛けた網をキビに掛け直す準備。
これだけで、真っ暗になった。
この週末は、奥秩父方面に行かなければならないので、次の農作業は来週以降になる。
シコクビエは、一斉に登熟しないで、熟した穂とそうでない穂が混在している。
ものの本によると、熟した穂からどんどん穂刈りするのが普通だそうだ。
『ルポ良心と義務』の読書ノートを追加。
退勤後日没までののわずかな時間に、粟に掛けた網をキビに掛け直す準備。
これだけで、真っ暗になった。
この週末は、奥秩父方面に行かなければならないので、次の農作業は来週以降になる。
シコクビエは、一斉に登熟しないで、熟した穂とそうでない穂が混在している。
ものの本によると、熟した穂からどんどん穂刈りするのが普通だそうだ。
『ルポ良心と義務』の読書ノートを追加。
多忙中のため、農作業不能。
こんなに忙しいのは初めてだ。
写真は、丸川峠の花。
最初に訪れたときと比べて、ほんとに花が少なくなった。
ただ、コウリンカがたくさん咲いていたのは、せめてもの救いだ。
『共産主義者宣言』の読書ノートを追加。
一日かけて帰秩。
途中、甲府で善光寺にお参りしてきた。
甲府の善光寺(甲斐善光寺)は、戦国時代に武田信玄が信濃の善光寺を甲府に移転したところから始まっている。
謙信との戦争から善光寺を守るためと称していたらしいが、善光寺をまるごと信濃から奪ったというのが実際のところのような気がする。
信濃の善光寺と比べればもちろん、規模は小さいが、江戸時代に造営された本堂は、巨大なものである。
宝物館はあいていなかったので、またの楽しみとした。
あともう一ヶ寺、近くの東光寺にもお参りした。
東光寺は庭園の美しいお寺とのことだったが、たいへん暑い日だったので、こちらもあまり長居をしなかった。
帰宅前に畑で農作業。
さまざまな作物の収穫。
かなり熟してきたと思われるので、糯粟をいくらか刈ってみた。
第一号キュウリの片づけ。
第二号が現在、盛んにできている。
ミニトマト・ピーマン・ウリズン・オクラなどが、二日間にたくさんできていた。
所用で大阪市内に来た。
ほとんど馴染みのない街なのだが、電車の窓から眺めてみると、東京に比べて、樹木が少なく、建物が建て込んでいるという印象がある。
官による規制が東京より少なく、自由な土地利用が許されていたのかもしれない。
本が今、手元にないので確たる記憶でないが、織田作之助が大阪を「水の町」と呼んでいたと思う。
歴史時代以降しばらくまで、大阪平野は海だった。
川や運河が縦横に走るようすはまさに「水の町」である。
『ふるさと野菜礼賛 』と『原発の闇を暴く 』の読書ノートを追加。
写真は、日没直前の秩父市内である。
住宅街や大規模商業施設も見えるが、中計に数本の大ケヤキが見えている。
これらのケヤキは公園などに植栽されているものではなく、多くは民家や商店の庭に植えられており、この街独特の景観を作り出している。
今宮神社のご神木はおそらく、この写真中景奥に見えている。
そのご神木について、武甲外羅さまからご教示をいただいた。
この樹が天然記念物の指定を受けたのは、昭和19年3月とのことである。
その時代に、老木をいかに保護するかということを考えていた役人(もしくは学者)がいたということに、驚きと感動を覚える。
和名倉山の東大演習林には、その時代に植えられたスギ林などもあるから、さきのことを考えていた人もいたのである。
秩父市内一帯は、河岸段丘上に、縄文時代から多くの人が暮らしており、中世には、在地の武士(土豪)がこの小世界を支配していた。
その頃からケヤキの大木が、市内一帯のあちこちにそびえていたのだろう。
現存するケヤキ大木の多くは、今宮神社のご神木ほど古くはないと思われるが、秩父事件より新しくはないだろう。
ケヤキ大木と武甲山は、秩父の街を象徴する風景の一つではないだろうか。
なかなか忙しいため、農作業ができずに困っている。
読書ノートに、『暗夜に種を播く如く』と『証言』を追加。
越後の山日記に、真夏の御神楽岳を追加。
ヒグラシが鳴かなくなった。
そういう季節になったんだろう。
昨日の御神楽岳は確かに苦しかったのだが、登高スピードはいつもと変わりなかったものの、軽い頭痛と耳管開放症類似の自覚症状があったから、ことによると軽度の熱中症だったのかもしれない。
今日になっても、未だに足が攣り気味だ。
午後から田んぼに行って、畦刈りと防鳥糸張り。
田んぼは乾き気味だが、至極順調。
御神楽岳は、鎧のように岩場を巡らせた山容が印象的な山だが、もともとは、信仰の山だったらしく、頂稜には古い石祠もあった。
その手前にどういうわけか、杉の巨木があった。
大きさからして、数百年を経ている木だが、生えている場所がヤセ尾根の上とあって、自生とも思えない。
かと言って、数百年前に御神楽岳の尾根の上に杉を植える人がいただろうか。
今ひとつ、よくわからないのだが、これらの木と出会えた幸運に、感謝したい。
頑張って、御神楽岳に登ってきた。
1991年7月に会津側から登ったのだが、県境の本名御神楽(これも好展望のピークだった)までは来たが本峰までたどり着くことができず、登り残したという思いが残っていた。
とりあえず、その宿願は果たしたのだが、ひどく暑い日で、たいへん苦しい思いをした。
写真は、山頂から見た風景。
21年前に見たのも、こんな景色だった。
午後から畑で農作業。
キャベツ小苗の植えつけと草むしり。
来週末に在宅できないので、白菜や冬のトウ野菜の種まきは月末に延期せざるを得ない。
写真は、今月見たきのこのアンソロジー。小さな写真は全て泉水谷で見たもの。
夏休み三日目は、塩山周辺の古刹めぐりをしてきた。
塩山の恵林寺・向嶽寺と裂石の雲峰寺を見てきたが、向嶽寺は初めてだった。
恵林寺は何度も来たが、建物も庭園も境内も、何度見ても感嘆する。
この時期は比較的すいているほうだと思うが、いついても参拝者が絶えないのは当然と思う。
雲峰寺を見た(宝物館は閉まっていた)あと、「大菩薩の湯」で汗を流してきた。
塩素臭がやや気になるものの、泉質はたいへんよく、これならまた来たいと思えるお湯だった。
写真は、恵林寺庭に植えてある巨杉。
原発建設資金は、国民の税金によって賄われている。
東京新聞によれば、国が電力会社に「電源開発促進税」を課税しているが、その課税分は発電に必要なコストだとして電気料金に転嫁されている。
従って、「電源開発促進税」は電気料金に含まれる形で、現在も、電気利用者が負担している。電気を一切買わない人は殆どいないと思われるので、それはイコール国民負担といってよい。
上の記事によると、電気料金には消費税がかかっているから、現状、「電源開発促進税」にも消費税がかかっている。従って、消費税の税率が上がると、「電源開発促進税」を納めるのに伴って賦課される消費税も上がってしまうという話である。
こちらによれば、この税の使途はとくに限定されていないから、なんでもありで、福祉サービス・地場産業振興・動植物保護・森林保全なんていうのまである。
最後の方のはひょっとしたら、尾瀬の木道敷設などに使われているんじゃないかという気もするが、基本は、地元自治体・権力者などへの利権提供である。
自分の地元自治体(小鹿野町)の一般予算は50ないし60億円ほどだが、原発を誘致すれば、20年間で約900億円が地元に落ちる。
そのカネは、大体が自治体首長や議員の関連企業などが箱モノを作ったりするのに費消されているらしい。(この点についても上記サイト参照)
これを称して、「原発は雇用をもたらす」「原発は福祉をもたらす」というのだろう。
第一原発が立地する大熊町は、事故発生まで、中学3年生までの医療費を無料にしてきた。
原発交付金のオコボレの福祉など、拒否したいものである。
立地自治体住民の横っ面を張り飛ばす札束は、結局のところ、この列島に人が住めなくさせるカネでもあるわけだが、それを国民から徴収するとは、なんとアコギなやりかただろう。
暑くなるという話だったので、大菩薩北面・泉水谷界隈へ涼みに行ってきた。
結果的には終日曇りで、気温はさほど上がらなったのだが、まあ涼しく過ごせたので、よかった。
大黒茂谷歩道を歩いて泉水十文字に至り、丸川峠でちょっと休んで、牛首谷を下った。
最後は、長い林道歩きだったが、沢を覗きこむと、イワナと目が合ってしまった。
源流部はスギやカラマツ・シラビソの植林地だが、泉水谷本流には大きなトチが何本もそびえ立っていて、壮観だった。
ことに一番上のトチは、直径1.8メートルほどもある巨木だった。
今日も主として家事で一日が暮れた。
本棚作りと、ヨロズ収納棚作り、及び薪作り少々。
本棚は完成したが、ヨロズ収納棚は、材料の杉板がなくなったので、続きはまた後日。
この時期の薪作りは、吹き出す汗で全身が川に落ちたようにずぶ濡れになり、さすがに身体にこたえた。
写真は、北岳登山口の広河原周辺の花たち。
夕方、久しぶりにしっかりしたお湿りがあった。
午前午後は忙しくしていたので、本日の農作業はなし。
北岳の画像処理がようやく一段落だ。
写真はいずれも、登山口である広河原一帯の大カツラ。
今日は都会へ出張だったので、今週は5日間ずっと出張続きだったことになる。
今回の山登りで、雨合羽とロールマットを使う機会があった。
ファイントラックの雨合羽は、軽量な上、裁断に工夫が凝らされていて、たいへん着やすくできている。
収納するとかなり小さくもなるので、スグレモノだと思う。
ロールマットはもともと、サーマレストのようなエアマットとは異なるので、収納性は最初から度外視しなければならない。
問題は、重量と耐圧性・耐久性である。
山と道の製品は、重量に関しては、画期的といえるほど軽量で、3日間使ってもヘタったりしない耐圧性がある。
しかし、地面に小石などがあったときに、石に当たった部分が傷むようだ。
丸めてザックの横につければ、さほどじゃまになることもないので、使い勝手は悪くないが、もう少し耐久性がほしいところだ。
写真は、北岳の花たち。
大樺沢の雪渓はまだたっぷりの雪を残しており、二俣一帯のミヤマハナシノブはまだつぼみだった。
写真は、タカネグンナイフウロとともに、御池周辺に咲いていたもの。
ミヤマオダマキはもちろん、山頂直下にしか咲いてなかった。
3泊4日の北岳から帰宅。
白峰三山を歩く予定だったが、事情で北岳往復にとどめざるを得なかった。
雲は多少あったものの、天気はまずまずよく、久しぶりの3000メートルの稜線を楽しんでくることができた。
帰宅前に畑に寄って、秋キュウリの支柱補強。
草むしり。
スイカ・ピーマンの初収穫。
明日からややハードな山行が予定されているので、本日の農作業は軽く、草むしり少々のみ。
当地ではこの夏まだ、熱帯夜を記録していない。
夜から明け方にかけては、20度をやや上回る程度にまで、気温が下がってくれる。
近所で、エアコンを使っている家は多くないと思われる(そもそも人家が少ない)から、室外機によるヒートアイランド現象など起きないのである。
夜明け前と日没前に、ヒグラシが大合唱する。
暑い夕方にも鳴くところを見ると、気温ではなく、光に感じて鳴いているようだ。
周囲が明るくなるとヒグラシは黙ってしまい、ニイニイゼミやミンミンゼミの声しか聞こえなくなる。
蝉の鳴き声でも、ある程度、時間がわかるのである。
畑では、陸稲とシコクビエに穂が出た。
週明けから数日間、南アルプス方面へ業務山行の予定である。
同世代の人々に比べれば、ランニングや筋トレなどにいそしんでいるつもりだが、体力が下りあんばいであることは否定できない。
今年になって、三条の湯や丸川荘など、営業している山小屋に泊まる山行を始めて、ラクで楽しい思いをさせていただいた。
しかし業務で出かける際には基本的にテント山行となる。
そうなると必然的に、装備の軽量化という方向に目が向かわざるをえない。
ちょっとググれば、登山用具の軽量化サイトがいくらでも出てくるのは、老いも若き(昨年あたりから若者が山で急増している)も、軽さを求めているからだろう。
山道具も長く使っていると、更新すべきものが出てくる。
今年になってからまずは、登山靴を新しくした。
これ以上軽いと、とても信用して雪山になど行けないほど、軽い。
13年ほど使った雨合羽も、先月、更新した。
雨合羽の定番であるゴアテックスは、革命的な素材だったらしい(登山を始めたころには既に一般化していた)が、ある程度耐久性のある3レイヤー型だと、そこそこ重い。
今度のは、ファイントラックのエバーブレス素材を使ったものである。
本番ではまだ使う機会がないが、梅雨明け以来、ずっと頑張ってきた太平洋高気圧が、山に行く来週になって腰折れしてきそうなので、使う機会がありそうだ。
テント用マットは今回、ガレージメーカーである山と道のU.L.Pad15s+を使ってみようと思っている。
最近出たばかりだが、山に行くと意外と頻繁に見かける気がする。
収納性はサーマレストがよいのだが、大型化・若干軽量化することで、どんな問題があるか、というところ。
まだ利用したことはないのだが、こんなお店もあって、ときどき、チェックしている。
読書ノートは書評ではないので、読んだあと感じたことのメモである。
だから、ノートが本の主題と無関係だったりすることもある。
『福島原発の真実』は原発関連本なので、同文をこちらにも掲載しておく。
以下読書ノートと同文
福島第一原発の現場幹部と筆者+週刊朝日取材スタッフのタッグによって書かれた事故の顛末記。
この事故については、原因も現状も、まだほとんどわかっていないと誰もが感じているはずだ。
にもかかわらず、福井県大飯原発では安全宣言が出され、再稼働された。
関西電力ではさっそく、他の原発も再稼働したいと言い始めている。
それがどこに行く道なのか何もわかっていないのに、誰もがわかったような気になって、後戻りのできない道を歩こうとしている。
無責任の極みである。
2012年夏現在、『産経』あたりが中心になって、菅直人前首相への誹謗キャンペーンが続いている。
菅氏が集中攻撃されている理由が、彼が「脱原発」を主張し始めたからであることは明らかだ。
菅氏の感覚は、至極マトモである。
彼は、すべてがパーになる事態は避けねばならないと言っているだけである。
経済「成長」が大事か、この列島に永遠に住み続けることができることが大事かという問いの答えは、決まりきっているではないか。
東電と原子力ムラは、権力と権威とカネを総動員して、この単純な問題をわかりにくくさせて、国民を騙そうとしているのである。
本書で、事故の実態を矮小化して責任を免れようとする政府(官邸)と東電本社に対し、第一原発の現場は強い憤りを持っていると描かれている。
安全神話に寄りかかって監督を怠ってきた政府にも重大な責任があるが、事故を起こしたのは東京電力である。
本書を読むと、現場が生命をかけて必死で事故に対応してきたのは確かだ。
しかし東電上層部は、最初から最後まで、責任逃れと現場任せ・他人任せに徹していた。
地震も津波も、予測不可能だったわけでは全くない。
政府・東電に対し、警告は何度も行われていた。
しかし、東電はそれを「想定不要」とし、政府や官僚も東電の認識を追認したのである。
もちろん、地震や津波を起こしたのは東電ではない。
しかしあえて警告を黙殺したのは、どんなに甘く見ても、「過失」にほかならない。
だから、これは東電と原子力ムラによる犯罪なのである。
彼らの犯罪を詳細に明らかにし、責任を取らせなければならない。
東京電力は、犯罪企業である。
証拠隠しを許してはならない。
原発の現場では今も、決死の活動が続けられている。
最も危険な場所で生命を削っているのは、主に東電の下請け会社の人々である。
原発をすべて廃止すれば、このような事故を繰り返さないことは、可能なのである。
蓄積された放射性物質の捨場はまだ、見つかっていないから、全く安全な状態とは言えないものの、日本列島における人の暮らしは持続できる。
電気など、使い放題に使わなくても、人間らしい暮らしは可能である。
政治家・官僚諸君は、どういう暮らしが人間らしいかということについて、頭をフラットにして、ちょっと考えてみればどうか。
大豆の第一次土寄せを完了。
大豆に関する作業は、これでほぼ終了だ。
秋キュウリの支柱を補強。
ゴボウの収穫。
以上で日が暮れた。
8月に入って、日がずいぶん短くなってきた。
写真は、綿の花とオクラの花。
いずれも美しいものだが、同じ仲間だけに、とてもよく似ている。
大豆の土寄せの続き。
今日はこれしかやらなかったが、結局、終わらなかった。
写真は田んぼの現状。
生育状態は悪くないが、葉色にひどくムラがある。
原因は、肥料をまいたあと、トラクターで耕さずに、管理機で掻いているだけだからだと思う。