高畑廃村
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完全に暗くなるのが6時前くらいにまで、日が伸びてきたので、定時に退勤できさえすれば、多少の農作業ができるようになった。
今日は、トンネルのカブと人参の潅水と除草。
読書ノートに『千年を耕す』と『民乱の時代』を追加。
先日歩いた飛竜山の道行きの中で、親川から竿裏峠までの区間は、天平(でんでーろ)尾根という。
「でーろ」は「デーラ」と同じだろう。「○○デーラ」なら、当地にもごく普通の地名である。
「天平」とは、「天」が「平」な地形なのだから、ごくわかりやすく、尾根が平坦な地形、と読めば、至極納得がいく。
あえて言えば、山梨県丹波山村一帯にだけ、「天平」地名が多く分布している点だが、丹波山村や小菅村に、類似の平坦な長尾根が多いのも事実である。
丹波山村には、「高尾天平」「保之瀬天平」と「丹波天平」の三つの「天平」がある。
この「天平」地形は、水を得ることができないから、住むには無理があるが、天水による農耕は可能かと思われる。
保之瀬天平(ほうのせでんでーろ)の山腹には、高畑と後山の、二つの廃村がある。
先日のコースは、これら二つの廃村を通るコースでもあった。
後山の方はずいぶん荒れていたが、高畑はつい最近まで、ここで暮らす人がいたかのような感じだった。
いずれの集落も、信じがたいほどの急斜面に高い石垣を築いた上に屋敷や畑があるのだが、なにぶん自動車の通る道がなく、車道から山道を小一時間ほども登っていかねばならないのだから、生活するには無理がある。
廃村の光景を見ながら、ここにいた人々が、どのようにして生活を立てていたかについて、るる考えた。
その人々の生活の全体像については、とても考えが及ばないが、おそらくは、「天平」で焼畑などによって雑穀を生産して、主食としていたであろうことは、想像できた。
本日追加した読書ノートの一つは、宮崎県椎葉村の焼畑について書かれたルポである。
焼畑は、この列島のいたるところで行われていた農法であるが、現在ほとんど廃れてしまった。
ここで暮らしていた旧村人の方に、ここでの暮らしについて、伺ってみたいものだと思った。