2012年1月アーカイブ

お風呂記念日

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 朝は氷点下8.3度と冷え込んだが、昼間も8.4度あったので、風がなければ穏やかな日だった。

 懸案だった新しいボイラーがようやく設置してもらえた。
 久しぶりに、今夜から、自宅の風呂に入る事ができた。

 『地性の人々』の読書ノートを追加。

金剛萱山行記

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土谷沢手前の馬頭尊
第一の不動像
普寛行者像
三宝大荒神石塔
第二の不動像
御嶽座王権現立像
なんの像だろうか
大日如来か
小沢岳が近い
やけに大きな狸 ? の足跡


 退勤後、秩父市山田のホテル美やまで、入浴。
 ここは現在、いわゆる温泉ではないようだ。
 それでも、客あしらいなどはまともなので、悪くなかった。

 今日も氷点下6.8度と、なかなかの寒さだったが、今週後半はもっと冷えるらしい。
 どれほど下がるのか、楽しみでもある。

 金剛萱山行記を追加。

温泉まとめ3

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清流荘野天風呂
  朝、薪作り少々。
 現在、ニセアカシアを割っている。
 ニセアカシアは、桑ほど素直でないとはいえ、素性のよい玉は、比較的容易に割れてくれる。
 枝付近はやはり、一筋縄ではいかないので、怪我をしても馬鹿らしいので、もう少し暖かくなってから割るつもり。

 今朝はひどく寒くて、水道はことごとく凍結していたのだが、公式発表は氷点下6.1度と出た。

 今日は、例年出かけている、若い演劇グループによる公演の観劇。
 いつもながら、パワフルな舞台だった。
 観終わったあとも、頭の中で問題がぐるぐる回り続けている。

 終了後、会場近くの武甲の湯で休んだ。
 文句ばっかり言ってるようで申し訳ないが、こちらも、薬師の湯ほどでないが、塩素臭が気になる。
 それから休憩室で分煙されていないので、そこから漏れた煙草臭が、フロア全体に行き渡っている。
 ここもやはり、快適な温泉とは言えない。

 ところで昨日は、下仁田の清流荘(下仁田温泉)に行った。
 風情と泉質はよいのだが、日帰り客は、浴槽も脱衣所も野天しか使えなくて、風が吹くとひどく寒かった。
 お湯はぬるめだが、必然的に長湯になるから、結果的にはよく温まった。
 お湯はぬるいほうが温まるのである。

 帰宅後、夕飯のためにパン作り。

金剛萱

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役行者


御嶽山座王権現

 昨日の朝は、公式発表で氷点下8.1度と、この冬の最低を記録した。
 今朝も寒く感じたが、氷点下6.6度と、並の寒さだった。

 昨夜、宴会だったので、今日はライトな山。
 前回の袖萱に引き続き、萱のつく里山・下仁田町の金剛萱に登ってきた。

 自分の持っている古い地形図には金剛萱への破線路が記載されていないが、最新の地形図(電子国土サイトで得られる図)には、土谷沢集落近くから金剛萱への破線路が見える。

 急傾斜の尾根道には、ブル道やシカ道が縦横に走っているが、ルートは、愚直に尾根を行く。

 山頂直下には、いくつかの石仏・神像があり、ピークからは、小沢岳や稲含山が、間近く見えた。
 浅間山も、樹間から見えるのだが、今日は噴煙と雪煙とがない混ぜになった白煙が山体を覆っており、あまり美しくなかった。

 写真は、金剛萱の神像たち。
 上は役行者で、下は御嶽山座王権現。
 御嶽山座王権現は、役行者の蔵王権現とは異なり、穏やかな姿をしている。

 他に、不動像二体、普寛行者像、大日ではないかと思われる石仏、不明な神像などが祀られていた。

 帰宅前に畑に行って、トンネルに灌水。

薬師の湯

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薬師の湯


 品種はまだ少なめだが、ジャガイモの種芋がホームセンターに並び始めた。
 菜っ葉などは時期を問わず作っているのだが、ジャガイモには、一年の農作業始めという気持ちが入るので、百姓にとって特別な作物なのである。

 行政は、種芋として販売されているものを使えというが、だいたい、前年に収穫したひね芋を使い、一部は、購入した種芋を使う。
 種芋として今年は、十勝コガネをいくらか買ったが、その他は、ひね芋と食用芋を流用することにした。

 動き出すのはまだ先だが、種を揃えたり、作付け計画を練ったりするのも、この時期の楽しみだ。

 さほど楽しみでもないが、今日も相変わらず、薬師の湯。

 『鰤のきた道』の読書ノートを追加。

温泉まとめ2

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別所温泉・大師の湯
嵯峨塩鉱泉


別所温泉の大カツラ(愛染桂)

 夜半は雪予報なので、明け方には積もるかもしれない。

 今日は夕方に外仕事だったのだが、本格的に降り出す前に終わって助かった。
 気温が低くても、身体を使うと、どうしても汗が出る。
 本日もまた、薬師の湯。

 お湯の塩素臭さと湯自体の汚れは、いかんともしがたいが、諦めの境地である。

 忘れそうなので、温泉まとめ2を書いておく。

 別所温泉の大師の湯(上左)は、いくつかある小さな湯小屋の一つだが、泉質・料金(150円)ともに、とてもよい。
 ここに行くには、自動車を有料駐車場にとめなければならないが、温泉街をのんびりぶらつくこともできる。

 下は、北向観音前のカツラの大木。
 多くのカツラのように株立ちになっておらず、太い幹を立てた姿は、カツラ離れしている。

 上右は、山梨県大和村の嵯峨塩鉱泉。
 山歩きの都度、興味を持ちながら、通り過ぎていた宿だ。
 お湯に顕著な特徴はないが、静かさと山の湯らしい風情が極上だ。
 ここにもまた、出かけてみたい。

 『入門田中角栄』の読書ノートを追加。

千鹿谷鉱泉

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千鹿谷鉱泉


 木曜日の夜半から降り始めた雪は、断続的に降り続いた。
 ときどき、みぞれに変わったので、積雪はさほどでもなかったが、道路のわきには除雪された雪が、山になっている。

 お昼にパン作り。
 紙ポットに、キャベツ・玉レタスの種まき。
 ひねジャガイモの在庫確認。

 夕方前に、千鹿谷鉱泉へ行った。
 県道から千鹿谷に入る道路にはずいぶん、雪が残っていた。

 本日は、実際にお留守だったので、引き出しに入浴料を入れて、黙って入ってきた。
 玄関には、ちょっと懐かしい『草の乱』のポスターがおいてあった。

 明治17年旧暦8月10日(大野福次郎供述書)の午後4時頃、風布村の大野福次郎、下吉田村の井上伝蔵・落合寅市、上吉田村の高岸善吉らが千鹿谷鉱泉に集まり、大宮郷警察署に高利貸説諭嘆願することを申し合わせた。
 秩父事件の歴史において、重要なエポックとなる集まりだった。

 秩父困民党は、武装蜂起直前に、岩殿沢鉱泉でも集会を開いている。
 岩殿沢鉱泉は現存しないが、小鹿荘の風呂に使われており、源泉をスタンドで買うこともできる。

 地元の人々が湯治に使っていた鉱泉で、秩父困民党も、密談を重ねたのだろう。

 千鹿谷鉱泉は「秩父七湯」の一つでもあり、西秩父の温泉の中で、泉質はピカ一だと思う。
 近所に、一見すると豪華な日帰り温泉施設がいくつもできてしまったため、ずいぶん寂しい状態になっているのは、とても残念である。

 写真は、観音山から下ってきた日(雪の降る前)に撮ったものである。

諏訪山山行記

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とても長い霜柱
大ナゲシが近い
埼玉側は雑木林
両神山尾ノ内コース入口
竜頭神社
社殿の彫刻


 夜明け前に、自宅から車道に通じる道の除雪。
 この道は純然たる私道なので、自力で除雪しなければならない。
 とはいえ、明け方ごろはかなり激しく降ったものの、お昼前にはみぞれ混じりとなり、国道にシャーベット状の路面が多少あるくらいで、ひどいことにはならなかった。

 諏訪山山行記袖萱山行記を追加。
 写真は、諏訪山の風景。

袖萱の大木たち

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稜線上の大ミズナラ


大ブナ
シャラの木


 現在のところ当地では、弱いみぞれが降っているのだが、大雪注意報と着雪注意報が出ているので、朝には多少積もるかもしれない。

 ニセアカシアの丸太をもらえる話があったので、朝早くにいただきに行ったのだが、雪が積もる前に木を運ぶことができてよかった。

 袖萱(ソデガヤ)は雑木と植林の平凡な山だが、ところどころに、「おっ」と思ってしまうような大木も残されていた。
 未確認だが、大栃沢にはトチの巨木もあるらしい。
 いつかまた、見に行きたいものだ。

 写真は、過日見た樹木たち。

消えゆく峠

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塩ノ沢峠の馬頭尊石塔


楢沢峠の灯籠
塩ノ沢峠の山ノ神燈籠


 一昨日歩いた楢沢峠と塩ノ沢峠は、群馬県多野郡と甘楽郡を結ぶ峠である。
 現在の上野村に属する村々から関東平野に出るには、下仁田へ出るのが最も早い。
 この一帯はまた、明治17年の群馬事件・秩父事件の舞台でもあった。

 歩いて通る人が少なくなり、林道や森林作業道が新設されて、古い峠道が次第に廃れつつある。
 二つの峠はまさに、廃れた峠道という状態だった。

 塩ノ沢峠には現在、先日まで県道だった車道が通じている。
 峠道はほとんど消えているが、峠のトンネルの上に、切通しといくつかの石造物が残されている。
 石宮もあるが、お祀りは絶えてしまったようだ。

 楢沢峠は、楢沢・塩ノ沢・住居附の各集落から塩ノ沢峠に至る交通の要所だったが、最新の地形図には、地名さえ記載されていない。
 現状は、細い踏みあとと、石造物が残っているのみである。

 読書ノートに『職場砂漠』を追加。

凍った渓1

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凍った渓1


凍った渓2


 汗だくになるほどの力仕事があったので、今日は薬師の湯。
 薬師の湯の塩素臭は、浴場の戸を開けた途端にムッとくるほどで、浴槽では、空気をブクブク噴き出しているところの周辺で、最も強い。
 小中学校のプールでも使われているものなので、「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」のだろうが、どうも苦痛である。

 一方、小鹿荘の風呂は、塩素臭がしないのはよいものの、宴会などが入っていると、日帰りの客に対し、いい顔をしない。
 些少とはいえ、お金を払っているのに、迷惑そうな顔をされるのも、楽しくない。

 当地には、他にも温泉施設は多いのだが、退勤時刻となる夜6ないし7時ごろに気兼ねなく使えるところは、至近距離には見当たらないのである。

 写真は、神流川支流・大栃沢右俣の風景。
 これは、昨日撮った写真である。
 山の写真がのってる日はすべて山に行ってると誤解する人もいるので、念のため。

 厳冬期に沢に行くことはないので、これほどカチカチに凍結した沢を見たのは、初めてだ。
 水流がないことはなく、厚い氷の下を、ささやかに流れている。
 流れている水が少ない割には、全体としてかなり増水した状態に等しいほどの高さまで、氷が盛り上がっていて、面白い。
 氷の上を歩いて渡渉することもできるが、もし割れたら困るし、ツルツルで滑りやすいので、できるだけ飛び石伝いに渡ったほうがよい。

袖萱(ソデガヤ)

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袖萱から浅間山を望む


 上野村の袖萱(ソデガヤ)から塩ノ沢峠を歩いてきた。

 袖萱とは、塩ノ沢峠から南下する尾根が東西に分かれるところ(楢沢峠)から西に少し行ったところにある1232メートル標高点ピークである。
 萱と名のつく山名はこのすぐ近くに、金剛萱(二万五千図「下仁田」)がある。
 おそらく江戸時代以前に、カヤ刈り場だったのだろう。

 名前からしてちょっと期待できそうな大栃沢から登り始めたのだが、途中でまたも道をロストして、木の根頼りに急斜面をずり登ってピークに立った。
 道を間違えなければ、袖萱には行けなかったと思うので、まぁ、よしとする。

 その後、楢沢峠から塩ノ沢峠へ歩いたのだが、塩ノ沢峠への旧道は、森林作業道開削のため、残念なことに、ほぼ消滅していた。

 楢沢峠と塩ノ沢峠は、上野村の楢沢集落から、現在の南牧村を経て下仁田に出る、重要な峠だったと思う。
 多少物好きなハイカー以外に歩く人が絶えた今、道形もかなり薄くなっていた。

 帰りに、上野村向屋の「ヴィラせせらぎ」で汗を流し、畑に寄って、トンネルに潅水してから帰宅。

温泉まとめ1

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田沢温泉・有乳湯
荒船の湯


 早朝、薪割りをしていたら、腰を痛めた。
 起床したときに、ストレッチを十分しなかったせいである。
 自己診断で、全治10日。

 今朝の最低気温は、公式発表で氷点下7.4度。
 自宅の水道は、すべて凍結して、蛇口から氷柱が下がっていた。
 この冬一番の寒い朝に薪割りしたのは、ちと不用意だった。

 退勤後、自宅近くの民宿小鹿荘に入浴に行った。700円。
 こちらは、岩殿沢集落から湧出する源泉をタンクローリーで運んで沸かしている。

 薬師の湯と違って、塩素臭がしないので、ずっとよい。
 源泉から汲める限り、加水はしてないと書いてあった。(循環はしてると思う)
 泉質は、近くの鉱泉とほぼ同じで、肌がツルツルになる。

 先月以来、幾つかの温泉に行ってみたので、とりあえず、少しまとめ。

 有乳湯は長野県青木村にある湯小屋で、駐車場は狭いが、お湯はよい。
 発泡性があるらしく、浸かっていると体中に泡がくっつく。300円。

 荒船の湯は、下仁田町にある日帰り温泉施設で、いつも賑わっている。500円。
 このあたりにはかつて、荒船鉱泉などがあったはずだが、1990年に物語山に登りに来たときにはすでに、やっていなかったような気がする。

 続きはまた後日。

 読書ノートに、『悪いのは私じゃない症候群』を追加。

九十の滝

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九十の滝1


九十の滝2


 本日、肉体労働をしなかったので、温泉はなし。

 写真は、日曜日に見た、中里村の九十の滝。
 瀑流は細いが、高さ30メートルほどある。
 全面結氷しているので、流れている時より、迫力がある。

千ヶ平山行記

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イノシシ足跡
千ヶ平から毛無岩岩峰群
明瞭なシカ道
荒船の湯


 新しいボイラーの設置工事が当分できないことになり、今月いっぱい、自宅風呂に入れないことが確定した。
 デスクワーク中心だが、この寒空に汗をかくほどの肉体労働もやっているので、汗を流さないわけにはいかない。

 自宅から最も近い日帰り温泉は、両神村の薬師の湯なので、しばらく、ここに通うことになる。
 本日、10回で1回無料になる、スタンプカードをもらってきた。

 この半月ほど、温泉に行ってるわけだが、薬師の湯は自分的には今ひとつである。
 泉質は、日によって異なるような気がする(今日はよい方)が、消毒のために入れている塩素臭が強すぎるのである。

 泉質がよくても、塩素臭のする風呂に入るのは、不愉快である。
 しかし、道の駅に併設された日帰り施設だから、やむを得ない。

 千ヶ平山行記を追加。

観音山山行記

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観音堂
宝篋印塔
磨崖仏
不動像
まさにそのとおり
座ると痛そうなベンチ
オケラ枯れる
山梨豊作


 案の定、終日、根詰め仕事だった。

 観音山山行記を追加。

上州から武州へ

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諏訪山から両神山


志賀坂旧峠道から二子山


 群馬県中里村の間物集落から諏訪山に至り、尾根伝いに旧志賀坂峠へ下って、まだ生きている埼玉県側の峠道を坂本集落まで歩いてきた。
 これは、しばらく前から温めていたルートなのだが、朝の早い時間に間物に到着するためには、5時24分に御花畑を出る電車に乗り、八高線に乗り換え、群馬藤岡から上野村行きのバスに乗って、8時半に古鉄橋バス停に着くという経路しか考えられなかった。
 しかしそれだと、下山後、秩父市まで自動車を回収しに行かなければならない。

 家人に相談すると、間物まで送ってくれるというので、たいへん助かった。

 間物集落は、間物沢沿いの集落では最も奥に位置し、このような奇祭がある。
 オッカドの木を神事に使うのは、秩父と同じである。

 諏訪山は、しばらく登らない間に植林が育ってしまい、二子山はあまり見えなくなってしまったが、南面が伐採されて、両神山がよく見えるようになった。

 小鹿野町の坂本からは自宅近くまでバスが出ているのだが、1日3便しか走っておらず、12時過ぎのを逃すとあとは16時まで、4時間も待たなければならない。
 そんなわけで、坂本バス停に自転車をデポしておき、自宅まで、自転車で帰った。

 自転車で行動すると、自由に道草ができる。
 尾ノ内の竜頭(りゅうとう)神社前に、「冷(ひゃ)っけぇ氷柱」の看板が出ていたので、氷柱の前まで、頑張ってこぎ登り、氷柱見物してきた。
 自然の氷柱ではないが、なかなかみごとで、観光バスで来たお客さんもいて、賑わっていた。

 帰宅後、薪作り。

 夕方前に畑に行って、トンネルの野菜たちに灌水。
 しばらく面倒を見てやれなかったので、菜っ葉はダメかも。

 日没後、両神村の「薬師の湯」で汗を流して帰宅。

千ヶ平

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千ヶ平から浅間山


途中の道から物語山


 今日も出遅れたが、下仁田町の難峰(自分にとって)・千ヶ平に登ってきた。
 千ヶ平とは、毛無岩岩峰群から真北に伸びる支稜上の、1157.7メートル三角点峰である。

 現在、登山道はなく、古い地形図に記載されている破線路も廃道なので、最近登っている人は、天神平ゲートボール場わきの沢を詰めているようだ。
 沢に入ってしばらくで、北東尾根に登っていく踏みあとを発見し、それをたどったが、沢の高巻きほどの急斜面である上、雪のついた岩場のトラバースなどにかなり閉口した。

 結局、踏みあとを諦め、岩根伝いによじ登って、北東尾根から岩峰をいくつも登降しながら、千ヶ平に至った。
 浅間山の写真は、千ヶ平山頂から、物語山の写真は、途中のコンクリ道から撮ったものである。

 登路はとても下れないので、素直に沢を下った。

 日帰り温泉の「荒船の湯」まで、登山口から10分もかからなかったので、うまい具合に風呂にも入れた。

合角ダム

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文化が沈んでいる


消えた村


 お昼前から、町内岩殿沢の観音山にでかけた。
 ここは、登山口まで自動車で10分かからないので、出遅れたときにちょうどよいのである。

 札所31番の駐車場から歩き始めて、31番にお参りし、観音山へ急登した。

 今日も季節風が吹きまくっていたが、天気はよく、周囲がよく見わたせた。
 甲武信・両神・雲取などの山も見えたが、雲取山直下には、雲取山荘らしき物体まで見えていた。

 観音山から落葉松峠へ下り、さらに嶽ノ腰集落と千鹿谷集落とを分ける尾根に登って千鹿谷に下った。
 風呂はまだ直らないので、今日は、千鹿谷鉱泉で汗を流した。

 写真は、尾根の上から見た、合角(かっかく)ダム。
 写真に見えている水面下に、古い地形図に記載されている合角集落と森谷戸集落が沈んでいる。
 山里で暮らす知恵の数々が、水に沈められている。
 水没したのはもちろん、このニ集落だけではない。

 ダム湖は、一般公募で多数だったという理由により、「西秩父桃湖(ももこ)」と名づけられている。
 2001年に完成。完成時の埼玉県知事・土屋義彦氏のご長女は、桃子(ももこ)さんとおっしゃる。
 2003年、政治資金規正法違反容疑で桃子さんは逮捕され、土屋知事は辞任された。

大津山行記

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渓凍る
雪の乗った渓
渓に馬頭観音
稜線直下の雑木林
手前岩峰から大津
毛無岩一帯の岩峰群
(左から)小沢岳・稲含山・桧沢岳
烏帽子岳

 今年の初出勤。
 仕事が山になっていたが、はかどらなかった。
 週明けが恐ろしい。

 読書ノートに、『わらの民俗誌』『山河微笑』『日本流ファシズムのススメ』を追加。

 大津山行記を追加。

儲かる原発

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 備忘のために、原発は儲かるということを証明する記事をいくつか、ピックアップしておく。

 まずは、1月1日付の『朝日新聞』。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故時、中立的な立場で国や電力事業者を指導する権限を持つ内閣府原子力安全委員会の安全委員と非常勤の審査委員だった89人のうち、班目(まだらめ)春樹委員長を含む3割近くの24人が2010年度までの5年間に、原子力関連の企業・業界団体から計約8500万円の寄付を受けていた。(中略)うち11人は原発メーカーや、審査対象となる電力会社・核燃料製造会社からも受け取っていた。

 こういうことがなんで、今になってわかるのか、それが不思議である。

 次に、1月2日付の『読売新聞』。

 九州電力玄海原子力発電所が立地する佐賀県玄海町の岸本英雄町長が2011年10月までの5年2か月間の在任中に、少なくとも10件約40万円の交際費を経済産業省職員らに対する「官官接待」に使っていたことが読売新聞の調べでわかった。

 玄海町長が主要株主である「岸本組」が、ほぼ上記の期間に、原発関連工事を17億円分受注し、町長自身も、配当金などの形で1000万円を得ていたことは、すでに書いた

 今回の事故によって、壊滅的な打撃を被った原発立地自治体の首長には、お見舞い申し上げるほかないが、地元が必死になって誘致しなければ、原発は来ないのである。

 中電上関原発が計画されている山口県上関町では、推進派によって、「原発に反対する人は上関町から出て行け」という大看板が立てられている。

 福島第一原発の地元も、莫大な原発マネーによって潤った。
 カネの一部は、地元政治屋に渡ったかもしれないが、何らかの形で、町民もまた、原発の恩恵を受けていたのである。

景徳院山門

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景徳院山門


 壊れたボイラーをようやく設備屋さんに見てもらうことができた。
 いずれにしても、修理はできないので、新しいのと交換することになる。
 新しいボイラーを設置するのに、今の配管をそのまま活かすのは難しいということがわかり、ちょっと面倒な工事になるとのことだった。

 自宅の風呂に入ることができるまで、まだしばらくかかりそうだが、仕事が始まるので、延々温泉通いをしてもいられない。

 今日は、畑仕事初めのつもりで出かけたが、季節風が強くて、何もできなかった。
 この冬の特徴として、季節風の強さがあげられる。
 気象庁に過去の気象データ検索という重宝なページがある。
 ここを見れば、天候の動向を予測するのに、とても役に立つのだが、この冬の北西風の強さは、数字的にも確かめられる。

 日没まで、大量の薪作り。

 日没まで、年末にいただいた桑を半分ほど割った。
 桑の木は、芯が鮮やかな黄土色で、他の木なら相当手こずりそうな枝つきの部分も、すなおに割れてくれるので、気持ちがよい。
 しかし、多少太い木であっても、桑の木に登るのは勘弁だ。

 写真は、2日に行った、大和村の景徳院山門。

凍る渓

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渓凍る


淵も凍る


 正月休みで設備屋さんがまだ動いていないため、今日も温泉行き。

 今日は、佐久市周辺を観光に行った。
 ところが、佐久インターを降りるとかなり激しく降雪しており、路面はシャーベット状以上には積もらなかったものの、長居はあまりしたくない状態だった。

 せっかく来たので、龍雲寺と貞称寺を見学して、早々に引き返した。
 温泉は、上野村のやまびこ荘(塩ノ沢温泉)に行った。

 雪雲はその後、当地にも流れてきたが、さほど降らずに止みそうだ。

 写真は、昨日の大仁田川源流。
 水量が少ないため、いたるところで凍結し、不思議な造形を作り出していた。

大津

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立岩・経塚山の彼方に浅間山


(手前から)三ツ岩岳・鹿岳・表妙義・榛名山


 身体を動かさないと、老廃物が蓄積して悪さをする感じがするので、南牧村の大津に登ってきた。

 登山口は、三ツ岩岳登山口と共通の竜王の里宮だから、干支の山と言えないこともなかった。

 大仁田川の源流をしばらく行って、適当なところから尾根に取りつき、稜線づたいに「大津」の山名版のある岩峰に至った。
 この山の登り方を尋ねると、多くの人が「説明しにくい山です」と言われるが、確かに、道標のたぐいは全くなかったし、目印もかなり見落とした。
 それでも、どうにかなるルートなので、ツツジの季節にでも、また来てみたい。

 写真は、大津からの展望。
 噂に違わぬ大展望が得られた。

大善寺

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大善寺山門


本堂(薬師堂)


行者堂


 お正月なので、引き続き、温泉めぐり。

 今日は、山梨県方面に出かけた。

 古刹にお参りするのも目的なので、大和村の大善寺・景徳院・栖雲寺を回って、嵯峨塩鉱泉で温まってきた。

 いずれも武田勝頼にゆかりのある三寺院の中で、大善寺に圧倒的な存在感があった。

 三が日は拝観料も無料ということで、参拝者も多かったが、本堂に安置された薬師・脇侍仏・十二神将を間近く見ることができて、幸運だった。
 お堂も諸仏像もすべて鎌倉時代の作で、たいへん迫力があった。

 このお寺はまた、金峰修験とも浅からぬ関係があり、境内の一角には、鎌倉時代の役行者像を納めた行者堂が建っていた。(今日は行者像は見えなかったが)

 読書ノートに、『地域を照らす伝統作物』を追加。

常楽寺と別所神社

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山本宣治とタカクラテルの碑


常楽寺本堂


別所神社神楽殿


 今日は、一日まるまる休み。
 午後から、集落の新年会。

 写真は、上から、山本宣治とタカクラテルの碑。
 山宣の碑はもともと、彼が刺殺されたのち、タカクラテルが別所温泉に建てたものだが、治安維持法によってタカクラが検挙されたのち、警察によって破砕を命じられた。
 家主の齋藤房雄がそれを自宅庭に埋めて隠し、1971年に再建されたという。

 上田地方は、江戸時代以来、農民運動の伝統のある地だが、ここにも、そうした流れを見ることができる。

 二番目は、常楽寺の本堂。
 江戸時代の建物だが、茅葺屋根がとても立派だ。

 別所神社は、二つの古刹と異なり、参拝者の姿を見なかった。
 神輿のおかれた、神楽殿の梁がとても立派だった。

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