落ち葉堆肥の3回目の切り返しがメイン。
あとは、ネギ・ニンジン・大野紅蕪などの収穫。
ニンジンと紅蕪はこれで終了。
帰宅後、煙突掃除。
「北秩父の山」に、天宮尾根山行記を追加。
今年も、この生活記を見ていただきありがとうございました。
よいお年をお迎え下さい。
落ち葉堆肥の3回目の切り返しがメイン。
あとは、ネギ・ニンジン・大野紅蕪などの収穫。
ニンジンと紅蕪はこれで終了。
帰宅後、煙突掃除。
「北秩父の山」に、天宮尾根山行記を追加。
今年も、この生活記を見ていただきありがとうございました。
よいお年をお迎え下さい。
「道の駅荒川村」から歩き始めて、日野鷺橋を渡り、小野原稲荷神社から尾根に本格的にとりつく。
ルートはおおむね送電鉄塔の巡視路になっているのでわかりやすいのだが、シカ道と同じで、山道が必ずしも目的地に向かっているとは限らないところが、面白い。
80号鉄塔への分岐から83号鉄塔分岐までは、かつて来たことのあるルート。
83号手前の鞍部から贄川の上平集落までの破線路が生きているかと思ったが、完全に廃道だった。
上平から白久駅まで下って、武州日野駅まで1区間だけ秩父鉄道に乗ったが、乗客は1両に1人しかいなかった。
「奥武蔵の山」に若御子山山行記を追加。
柴岡熊吉の奉納絵
OLYMPUS E-510+ZD14-54mm
連日、農作業を頑張ったので、今日はひと休み。
買い物ついでに、荒川村の若御子山から大反山界隈を散歩してきた。
若御子神社から登り始めて、若御子峠経由で若御子山。
以前の山行記を見ると、ここには来たことがあるはずなのだが、なぜか若御子山の記憶は、ない。
せっかくなので、先週エスケープした大反山のピークにも寄り道した。
ここまで来ると、北側斜面に雪が積もっていた。
山から下りた後、千手観音堂と札所29番長泉院にお参り。
長泉院は、札所の中では規模の大きい寺院で、庭も立派だ。
千手観音堂は小さなお堂だが、建築物としては、すばらしい出来だと、素人目にもわかる。
現在の堂宇は明治8年に建立されたとある。
ここには、地元秩父の草相撲力士による相撲絵が奉納されている。
写真の絵を奉納した近戸川熊吉とは、秩父事件の際、会計副長を務めた柴岡熊吉のことだ。
草相撲の世界で大関を張ったと伝えられる熊吉も、凄惨な拷問を加えられて、下獄後まもなく獄死した。
午後は、農作業。
第2トンネルを作って、ホウレンソウと小松菜の種まき。こちらにはマルチを張らず。
夏・秋作物の残りを片づけて耕耘。
ここまでで日没。
種から育てたものではないが、ブロッコリーが好調。
新しい畑全面に石灰を散布して、再耕耘。
ここの土質は粘土状のため、すぐにロータに詰まってしまう。
おそらく、有機物が不足しているのだろう。
年が明けたら、落ち葉堆肥を入れて、また耕耘してみようとは思うが、日陰の部分は、氷点下5.4度の冷え込みで凍結し始めた。
完全に凍ってしまったら、作業は春までお預けになる。
新しい畑の一部に、ダメもとでトンネルを作ってみた。
まいたのは葉大根だが、マルチを張った上にビニールトンネルをかけたので、うまくすれば芽が出るかも知れない。
芽が出さえすれば、時間をかければ2月末くらいには青物が食べられるだろう。
「奥多摩の山」に、先日の蕎麦粒山山行記を追加。
昨夜来、冷たい強風が吹いて、群馬県から風花が飛んできた。
家の回りの日陰は白くなったが、西秩父盆地まで出ると積雪はなし。
今朝の最低気温は、公式発表によると摂氏1度だが、それならもっと暖かいはずで、今朝はひどく寒かった。
明日の朝の予想気温は、yahooだと氷点下7度だが、さて、どうなるか。
本日午前中は、身体のメンテナンス。
定例通院とインフルエンザ予防接種。
午後は農作業と思っていたが、風が強いので、なにもできず。
『人が壊れてゆく職場』の読書ノートを追加。
写真は、先週、三ツドッケ山頂から見た夜明けの富士山。
都県境尾根まで登れば、秩父からでもこんな富士山が望めるのである。
引き続き、終日農作業。
昨日の続きでクズのツルだらけの場所と、収穫後空いた場所の耕耘。
クズだらけの場所は、管理機にツルが巻きついて土団子になるので、なかなかはかどらなかった。
その後、落ち葉堆肥の第2回切り返し。
これで日没、終了。
今年は、紅菜苔が思いのほかうまくいった。
いままでは、どうにか冬を越して、2月ころから細いトウを立てるのが精一杯だったが、今年はマルチを張った上、やや早まきした苗を植えつけ、早期に追肥して株を太らせた。
おかけで、晩秋から太いトウが次々に立ってくれる。
中国野菜なので、油炒めでいただくのがおいしい。
ほぼ終日、身体のメンテナンス。朝から人間ドックと歯科通院。
詳細は後日とのことだが、身体は特に問題ないらしいので、ひと安心。
検査・治療の合間に、管理機で畑を耕耘。
空いた畑を借りられることになり、来シーズンから畑の面積が少し増えることになった。
先日来、草刈りをして、耕す準備をしてきたのだが、半年間ほど草原になっていたので、小さな管理機で耕すのは、容易でない。
土質も、今までのような岩石崩壊土でなく、柔粘な土なので、管理機のロータにたちまち、土だんごがくっついてしまう。
荒れ地状態だったところには、クズのツルがはい回っており、ロータに絡まって能率も悪い。
それでも、ざっと耕しただけで、ずいぶんきれいになった。
土が完全に凍るまでに、もう何度か耕して、早春から植えつけを始めたい。
終日、畑で農具保管用小屋掛け作り。
たまたま手に入ったヒノキの丸太と、別のところからもらった角材や製材クズで骨組みを作り、トタン波板で屋根を葺いた。
山の植林地でこういうのを見たことがあるので、作り方はそれをまねしたつもりだが、かなり適当。
とりあえず、雨露をしのげる程度の小屋掛けができた。
ここまでやるのに、一日仕事だった。
帰宅後、煙突掃除。
年末が迫り、仕事が詰まってきたが、どうにかキリをつけることができた。
昨日の山行で、ちょっと残念な光景を見た。
浦山の大日堂から約3時間の登りで、仙元峠に登り着く。
仙元峠とは、仙元尾根の頂上である1444メートルのピークのことだが、最新の地形図にはピーク西の鞍部に仙元峠の記載がある。
これは、誤りである。
それはともかく、ここにあったブナの大木が裂けて倒れていたのである。
このブナは、20年前に見たときから印象にあった木なので、ショックだった。
主幹は生きているので、枯れたわけではないのがせめてもの救いだ。
奥多摩への出張から帰宅。
今回の業務も山歩きで、昨日の朝、秩父市浦山の大日堂から歩き始めて、仙元峠に登り、蕎麦粒山に寄ってから一杯水で泊。
今日は、三ツドッケでご来光を見て、水源林道を矢岳分岐まで歩き、牛首から矢岳尾根を武州中川駅まで歩いた。
標高1500メートルに位置する一杯水避難小屋の寒暖計で、夜明け前の気温が1度。秩父市内で氷点下2.3度だから、寒気の逆転現象が起きていたらしい。
おかげで、暖かい夜を過ごすことができた。
都県境の尾根は薄く積雪。
北側斜面にあたる埼玉県側の積雪も、くるぶし程度だった。
天候は両日とも快晴で、ありがたい好天に恵まれた。
写真は、一杯水避難小屋前から撮った日没直後の風景。
ブナの幹の向こうに富士山が隠れている。
体感的には寒いが、朝の最低気温はまだ、安定的に氷点下にはならない。
寒がりゆえ、暖冬に助かってはいるのだが、これではまだ、初冬の風情だ。
週末にまた、奥多摩に出かけるのだが、天気に恵まれそうで何よりだ。
気圧の動きも真冬とはいえず、晩秋のように周期的に変化している。
昨日の雨も冷たかったが、結局、雪にはならなかった。
路傍では、オオイヌノフグリがさかんに咲いている。
『人質』の読書ノートを追加。
朝から荒川水系渓流保存会の飼育池で、検卵作業。
今回は11月8日採卵分。
検卵作業はイワナの卵を調べてダメな卵を拾い出すという、細かくて微妙な作業なのだが、今日の飼育池は朝方からの雨がみぞれに変わって、たいへん寒かった。
それでも、数名の仲間と共に、今年の卵の第一回検卵作業を午後までかかってやり終えた。
強い雨(みぞれ)は夕方にやんだが、やみ際には霰に変わり、道路が白くなった。
昨日、スタッドレスタイヤに交換しておいて、助かった。
帰宅後、煙突掃除。
東京に行って、今日は頭と心を耕してきた。
午前中は、上野の国立科学博物館で特別展「菌類のふしぎ--きのことカビと仲間たち」を見学。
上野駅から東北行きの列車に乗ったことかあるが、駅周辺を歩いたのは、初めてだった。
観光客でもビジネスマンでもない人々が行き交い、ちょっとのどかな街だなと思った。
企画展は、むずかしい内容をわかりやすく展示してあって、楽しめた。
自分としては、実物をほぼそのままの形で保存できるという、きのこの凍結乾燥・樹脂含浸標本とはいかなるものか、興味を持って出かけた。
きのこの形は確かにそのままだったが、色はさすがに褪せていて、やや期待はずれだった。
凍結乾燥・樹脂含浸標本に色を塗れば、さらに実物に近いものが作れるのではないかと思う。
その後、銀座に移動して、kurooさんと澤田稔さんの瀬音の森二人展を見に行った。
澤田さんの作品は、ペン画やパステル画。風景が主だが、瀬音の森の会報に挿入されていた花や葉っぱの絵の原画が飾られていた。
kurooさんの山里の記憶は、ホームページでも見ることができるが、原画を見せてもらえる機会はめったにない。
山里の暮らしに欠かせない技(わざ)と食。
斜面を登り下りしながら人生を刻んできた人々の笑顔が、たくさん描き込まれている。
作品をのぞき込む人々の顔が、思わずほころんでしまう絵であり、古い記憶が一気によみがえってくる絵である。
二人展は16日(火)まで。
ぜひお出かけいただきたい。
3時間の休みをとって、落ち葉かきと堆肥の第1回切り返し。
落ち葉堆肥は、切り返しが重労働である。
堆肥の作り方が書いてあったサイトが消えてしまったので、作り方をノートしておこう。
まず、堆肥枠を作る。
今使っているのは、2001年に作ったものと同タイプで、コンパネ7枚を組んで160センチ四方・高さ90センチの枠を二つ作ってある。
片方の枠に落ち葉を入れて、もう片方は空けておく。
まず、落ち葉を濡らしながら枠に入れつつ、種となる微生物資材を落ち葉の層にはさみ込む。
これが仕込みである。
微生物資材は、コーランと米ぬかを混ぜて、水で練ったもの。
コーラン1キロに米ぬか10キロを混ぜているが、できればコーランの割合をもっと増やした方がよい。
落ち葉を枠に入れたら水をかけ、微生物資材をふりかけて、さらに落ち葉を入れる。
枠はすぐに一杯になるので、上から踏みつけて体積を圧縮する。
何でも回収袋20袋分の落ち葉に、上記微生物資材を入れているが、微生物資材が足りないように感じている。
すべて入れ終わったら、足で踏んで圧縮し、落ち葉の上に土を乗せる。
これで終了だが、堆肥枠にはブルーシートをかけて雨がかからないようにしておいた方がよい。
先週やった作業はここまで。だいたい、1時間強の重労働だ。
次の作業は、ほぼ一週間後で、切り返しを行う。
発酵が始まって発熱している落ち葉をバラバラにして、空いている方の堆肥枠に移動する。
使いものになる道具がないので、すべて手作業となるが、腰が痛くなる。
落ち葉を少し入れたら、水をかけ、粉末尿素をふりかける。
尿素でなくても、窒素肥料であれば何でもよい。
これは微生物の餌で、窒素を与えると発酵がどんどん進む。
ときどき足で踏み固めながら、落ち葉・水と尿素を代わる代わる入れる。
落ち葉を移動し終えたら、足で踏みつけて圧縮し、落ち葉の上に土を乗せる。
これで切り返しは終了。休みなしでだいたい、1時間半の仕事だ。
切り返しは、一週間ごとに3回行う。
最後の切り返しが終わったら、1ヶ月半ほど放置して、堆肥化が完成する。
かなり自己流になっているので、少しずつ改良していきたい。
2時間の休みをとって落ち葉かき。
今日はミューズパークで5袋。
『教育格差が日本を没落させる』の読書ノートを追加。
家人のおかげで黒ゴマがようやく、食べられるようになった。
ゴマの類は、収穫してから食べられるようにするのが、じつに一苦労なのである。
だが、まともなゴマの香りはやはり、凄いの一言に尽きるものがある。
油を絞るほどのゴマを栽培するのは、かなり大変だ。
こちらによると、ゴマの自給率は1パーセントにも満たないらしい。
午前は荒川水系渓流保存会の飼育池で検卵作業。
11月1日に採卵した秩父在来イワナの受精卵が発眼していた。
この時期は、死卵に水生菌(カビ)が発生して受精卵にも伝染するので、何万粒かの卵から死卵や未受精卵を拾い出さねばならない。
寒い時期なので、かなり大変な作業になる。
今朝の最低気温は氷点下4度。
いよいよ真冬になった。
午後は、深谷の小さな映画館に行って、『いのちの作法』を観てきた。
『沢内村奮戦記』や『自分たちで生命を守った村』に記された沢内村(現在西和賀町)の思想がどのように受け継がれているかを紹介した作品だった。
銀幕に映し出された沢内村は、こちら秩父の山里に比べれば、広い田んぼがあって豊かな村だという印象を受ける。
もっとも、豪雪地帯なので、冬の厳しさは格別だろう。
当地と大きく異なるのは、奥羽山脈の麓という位置的条件から、観光客の集まりそうな感じがしない点だ。
観光客に媚びてお金を落としてもらおうとしたり、国や県に依存して何かしてもらおうとするのではなく、自分たちの力で生命を守る保健・医療を確立し、自分たちの力で地域コミュニティを維持しようとしている若い人々の姿は、敬服に値すると思う。
終日、農作業。
午前中は枯れ草・枯れ木燃し。
枯れ草はやっかいなものだが、燃やしてしまえばカリの補給になる。
ボヤ(木の枝)も同様。
午後は、煙突掃除のあと、ミューズパークに遠征して、落ち葉かき。
夏にはきのこで楽しませてもらう公園で、初冬に落ち葉を集める。
きのこのためには、林内の落ち葉をさらった方がよいのだが、道路の縁石周辺にたくさん吹き溜まっているので、路上の落ち葉を集める。
1袋でたぶん、20キログラムほどの落ち葉が集まる。
1回の堆肥仕込みに20袋使うから、落ち葉を400キロ。
水を与えて重くなる分を加えると、500キロ近い堆肥ができる計算になる。
ひと冬に2度、仕込むから、合計約1トンの堆肥を入れるが、落ち葉の原型は、あっという間になくなる。
堆肥の肥効は不明だが、肥効より土壌の改良効果が大きいのではないかと思っている。
堆肥を入れると「土が軟らかくなる」といわれる。
土が堆肥によってリフレッシュされるからか、連作障害もなくなる。
難点はただ一つ、重労働だという点だ。
それでも、昔の人のように、落ち葉を入れる巨大なかごを背負って山に入らなくてもよいから、ずいぶんラクなのだ。
出勤前に生姜の掘りとり。
地上部は完全に枯れてしまっていたが、地下部はまだ食べられる状態だったのでよかった。
同じく仕事前に落ち葉かき1袋。
写真は、達沢山山行記の写真。
天気も悪いし、花も咲いてない里山なのだが、フラフラ歩いていると面白いものがたくさん目に入る。
ヤマナシはたくさんの実を落果させていた、過日お見せした木。
ヤブレガサも、枯れてぼろぼろになっていた。ちょっとさびしい姿だ。
ナットウ箱山の道標は、1412メートル三角点峰に立てられていた。
変わった名前の山は数多いが、この山名は本当なのだろうか。どうも疑わしい。
この一帯は原生林でないので、大木には会えなかったのだが、ブナとミズナラの合体した奇木を見た。
上はいずれも、達沢山で見た鳥。
右は写真が不鮮明なこともあって、なんだかよくわからない。
半日の休みをとって、落ち葉かきと落ち葉堆肥の仕込み。
何でも回収袋(旧名落ち葉ロン)に20袋分を仕込んだ。
これから週に一度、切り返して菌に水と餌を与え、2から3ヶ月後には完熟させる。
新鮮な落ち葉はまだ、吹きだまっているので、さらに落ち葉かきに精を出して、春前には第二次堆肥を仕込みたい。
それにしても、堆肥作りは重労働だ。
写真は、達沢山で見たコガラ。
山歩きのときにはだいたい、デジカメに標準レンズ(ZD14-54mm)をつけて、首からぶら下げている。
目の前に鳥がいるのを発見してからレンズを交換して手持ちで撮るので、カメラを構えたときには手遅れということが多い。
でもたまに、のんびりした鳥がいて、被写体になってくれることもある。
赤大豆の選別終わり。
今年は1升5合ほどの収穫。
虫食いが大量に出たのだが、それがなければ2升くらいはとれたと思われる。
写真は、達沢山で見たヤマナシ。
木のそばにミチノクヤマナシという説明板が立てられていた。
秩父地方でみられるのと同じと思われるが、巨木とはいうほどではないものの、とても風格のある古木だった。
帰宅後、赤大豆の選別。
農作業の時間がなかなかとれない。
写真は、富士山・大室山で見た大ミズナラ。
大室山のブナ林は、すでに葉を落とし、ごらんのような日だまりになっていた。
すらりと伸びた格好のよいミズナラだが、近くで見ると相当の太さだった。
枝先にはヤドリギが何本もくっついていて、黄色い実が鈴なりだった。
新潟や芦生で無惨に枯れたミズナラをたくさん見てきたので、元気なミズナラを見ると、今のうちになんとかしてほしいと思う。