四阿屋山山行記を追加。
2008年1月アーカイブ
昨日退勤後、深谷市へ『水になった村』をまた見に行った。
7時半から上映、その後大西暢夫さんのトークもあったので、帰宅は深夜になった。
この映画を2度目に見て、改めて気づいた点がいくつかあった。
作品に登場するジジが、「徳山村は土方で食ってきた村やから・・・」とつぶやく場面があった。
神山征二郎氏の『ふるさと』の主人公だった老人の息子夫妻がまさに、夫婦揃って道路工事に出ていたのを思い出す。
高度成長の時代の日本は、工事の時代でもあった。
金に糸目をつけず工事をしても、税収は倍々ゲームで増えていったから、当時の日本は財政赤字などとは無縁だった。
財政は赤字にならなかったが、この時代に山村の経済構造が大きく変貌した。
農業・酪農・林業が相次ぐ自由化の流れの中で国際競争にさらされ、衰退させられていく一方で、農山漁村は建設業への依存度を強めていった。
地域によっては、世帯数の8割とか9割が建設業に従事する村もあったという。
建設業の隆盛は農林漁業の衰退と裏腹の関係にあった。
農林漁業より建設業の方が、手っ取り早く現金を手にすることができたから、畑や田んぼを荒らしても、多くの人は工事現場で働いた。
建設業に依存して暮らしを立てていく体質が、このときに確立した。
オイルショックによって高度成長が終わったのち、農山漁村がその体質から脱却するのは不可能だった。
田中角栄氏がつくりだした、公共工事と票とをバーターするような政治手法が根づいたのもこのときだ。
工事がなければ食っていけないという経済構造のもとで、初めて赤字国債が発行されたのは1975年。
その後、公共事業は日本の財政の足を引っ張る重石としての役割を果たす。
ダムができなくても、山村で営まれてきた知恵と技に満ちた暮らしは、終わっていった。
徳山村では、ダム建設によってそれがひときわ、ドラスティックに展開したまでだ。
バブル崩壊後の長期不況のもとで、さらなる赤字国債を財源とする巨大ダムの建設が、各地で始まった。
徳山ダム本体工事開始は2000年。つい最近のことだ。
秩父地方でもこの時期、浦山・合角・滝沢の3ダムが相次いで着工された。
最後に始まった滝沢ダムは徳山ダムとほぼ同時に完成し、いま試験湛水を迎えている。
OLYMPUS E-510+ZD70-300mm F5.2 1/320 ISO400
朝の最低気温が、氷点下7.4度とこの冬の記録となった。
さすがにこの朝、自宅の水道は凍結して使いものにならなかった。
暑いとか寒いという感覚は、前日と比較した体感による。
寒い日の翌日は、前日比多少なりとも気温が上がっていれば、絶対的には寒くても暖かく感じるものだ。
明日は雪予報だが、おそらくずいぶん暖かい朝になるのではないかと期待している。
写真は昨日撮ったメジロ。
メジロは目にピントが合ってほしいものだが、手持ちでバシャバシャやっても、なかなかこっちを向いてくれない。
帰宅後、煙突掃除。
OLYMPUS E-510+ZD70-300mm F5.6 1/800 ISO400
午前中に薪割り。
午後、ちょっくら四阿屋山で遊んできた。
今日は押留から登って山居、その上の山百合園まで行って、尾根道を薬師の湯へ下山した。
山居のロウバイは、正月に来たときよりはずいぶん咲いていたが、まだ1分咲き以下。
山居では、ホオジロ、メジロ、ミヤマホオジロなどが柿やロウバイの上で遊んでいた。
ここはいつ来ても小鳥が多い。
ロウバイが咲き始めたせいか、観光客もいくらか歩いていた。
帰宅後、また薪割り。
クリの木は、すごく硬いのに、割れるときにはいさぎよく割れてくれる。
クリは、割っていてとても気持ちがよくなる木だ。
写真はミヤマホオジロ。
過日の人間ドックで、網脈絡膜萎縮という指摘があったので、眼科で検査。
診断の結果、症状は見られるが、原因は加齢によるもので、病的なものではないということだった。
とりあえず、安心してよいのだろうか。
加齢による身体の劣化は病気ではないと説明されると、なるほどと思ってしまうのだが、親からもらった身体が少しずつダメになっているのだから、やむを得ないこととはいえ、いい感じはしない。
クリの丸太がもらえることになったので、医者にいったついでにいただいてきた。
たいへん重くて、ずっしりしたいい木なので、薪にするのは惜しいくらいだ。
でも、ほかに使いようもないので、玉切って薪割り。
午前中、パソコンが全く起動しなくなった(バイオスが立ち上がらない)ので、帰宅後、パソコンの修理。
クモの巣の張った筐体の中を軽く掃除して、CPUクーラーを綿棒で拭いた。
注文してあったパーツが届いたので、まずメモリの増強。
512MBから2GBに増やした。
次に80GBのセカンダリHDDをはずして500GBのものと交換。
このドライブは、デジカメデータ専用にするつもり。
もう一台の500GBHDDはHDD箱に入れた。
HDD箱はつごう1380GBの外付けHDDになった。
その後、パソコンは何ごともなかったように起動したが、いきなり再起動の現象はなくなっていない。
ようやく週末。
ここ数日寒かったので、ストーブを景気よく燃やしていたら、週の途中で煙突掃除の必要が生じた。
そこで昨日帰宅後、煙突掃除。
このところ、パソコンがいきなり再起動するトラブルが頻発している。
原因は現時点では不明。
組んでからしばらくたつので、この週末に筐体内部の掃除をしてみるつもり。
最近、RAWデータの現像など、ハードウェアに負荷の大きい作業が多くなった。
512MBのメモリでは限界なので、メモリを増強する。
また、セカンダリのハードディスクも古いので、大量の画像データバックアップ用として大容量のに交換するか、自作外付けハードディスクを増強するつもり。
先週の大ナゲシ山行記を追加。
OLYMPUS E-510+ZD14-54mm F3.5 1/3 EV-1.0 ISO400
終日雪降りだったが、道路にはさほど積もらなかった。
数年前のことを思えば、降ったうちにも入らないほどの雪だ。
帰宅したら、ムササビがまたも室内に入ってきたとのこと。
これはふだん、先日も家の中を走り回ってくれたムササビだ。
前回かなり追い回してやったのに懲りないらしい。
カーテンレールの上をしばらくよちよち歩いたあと、自分で戸外へ出ていった。
雪が降る降るという予報だったが、南岸の雪雲は秩父山地の南を通過したようで、今日は暖かい朝だった。
が、一日中底冷えのする、大寒らしい日だった。
帰宅後、薪割りをしたが、腰を痛めないように、注意しなければ。
一昨日は、出合のバス停からニッチツ鉱山のある小倉沢までの車道を歩いた。
この道路は中津川の大支流である神流川に沿っているのだが、車道側はコンクリ吹き付け、川の対岸はずっと垂壁の岩場が続いていた。
このあたりの尾根も厳しい岩場なのだが、もし道に迷っても適当に下って渓に降りるのは絶対に不可能だということがわかった。
出合近くの河原で、写真のような大岩を見つけた。
岩の根は岩盤とつながっているようだから、細くなった下部は流水によってえぐられたのだろう。
でも、岩の上に10メートル近くにまで育ったヒノキが生えている。
この奇岩は何という名前なのだろう。
OLYMPUS E-510+ZD14-54mm F5.0 1/25 ISO400
朝から荒川水系渓流保存会の飼育池で作業。
11月初旬に採卵した卵は順調に孵化している。
中旬の採卵分は、おおむね発眼卵のままだが、まもなく孵化しそう。
薄曇りの天気だったが、今朝はたぶん、この冬初めて氷点下6度を下回った。
これくらいの寒さがイワナの稚魚にはちょうどよい。
午後は畑で土のかきまぜ。
帰宅後、暗くなるまで薪作り。
OLYMPUS E-510+ZD14-54mm F3.2 1/320 ISO100
また大ナゲシに出かけた。
今回は、おおぜいの若者と同行。
アプローチもマイカーでなく、電車とバスを利用した。
大ナゲシは、群馬県上野村にある岩峰なのだが、ある程度足の揃ったパーティであれば、比較的無理なく日帰りできるのである。
いつもは自動車で通り過ぎるニッチツ鉱山も歩いてみると、いろいろなものが目に入る。
写真は、事業所の事務所近くにある鉱山郵便局。
パソコン不調のため、なんとなく不安あり。
ジャガイモ種芋(スタールビー)3キロ購入。
帰宅後、煙突掃除。
OLYMPUS E-510+ZD70-300mm F5.6 1/4000 ISO400 +OLYMPUS Studio2
例年に比べればライトな冷え込みだが、暖冬傾向だっただけに、氷点下3から4度くらいでもけっこう寒い。
昨年は、1月24日にアキレス腱、2月7日にヘルニアを発症した。
今年も駅伝を走るつもりなので、怪我をしないよう、十分注意しなければ。
写真は、雪の上で何かを探しているカワラヒワの群れ。
昨日見た風景だが、とても可愛い。
OLYMPUS E-510+ZD70-300mm F5.6 1/500 ISO400
米が少なくなってきたので、精米山行。
今日は長野県坂城町の鏡台山をめざした。
長野県には、籾摺り機能付きのコイン精米機が至るところにあるのだが、山梨県だと豊富村以西あたりでないとめったに見つからないのだ。
ところが、一昨日の雪で和平高原に行く道路は圧雪のち凍結状態。
スタッドレスタイヤをはいてはいるが、FF駆動なので、急下降が怖い。
そこでずいぶん麓に車をとめた上、登山口を見つけることができなかった。
時間も時間だったので、本日の山登りは中止して、鳥や景色を撮影しただけで、精米だけすませて帰宅した。
いろんな鳥がいたのだが、よくわからなかった。
これはミヤマホオジロだと思う。
OLYMPUS E-510+ZD70-300mm F5.6 1/60 ISO400
終日薪作り。
薪を朝晩燃やさねばならないのはあと2ヶ月半。
2サイクルオイルを買いに出たら種ジャガイモを売っていたので、思わず衝動買い。
アンデスレッド3キロとキタムラサキ1キロ。
写真は昨日見た、姿の池のカルガモ。
この池にはカルガモが圧倒的に多かった。
OLYMPUS E-510+ZD70-300mm F5.6 1/60 ISO400
朝から若い人とカモ見。
浦山ダムと姿の池を見てきた。
浦山ダムはひどい濁りで釣り人の姿も少なく、鳥を見ている人など皆無だった。
広い貯水湖なので、普通のカメラでカモの写真を撮るのは困難だった。
たぶん、カルガモ・マガモ・オナガガモがいた。
姿の池の方が狭いぶん、観察はしやすい。
泳いでいたのはやはり同じ3種類だと思う。
写真は浦山ダムの浮遊ゴミの中に首をつっこんで餌を探すオナガガモ。
帰宅後、雨が降り出すまで薪作り。
その後、煙突掃除。
一週間が終わってやれやれだ。
さて、先日も見ていただいた滝沢ダムの現状だが、この写真も7日に撮影した一枚。
浜平よりやや奥だから、塩沢あたりか。
モミの木が水没している。
このモミから、読者諸賢はどのようなメッセージをお感じになるだろうか。
木々は納得しているという風に、彼らは感じていた。なぜなら、湖は人々の生活を支えるために生まれつつあるのだったし、そのために木々は死ぬことを納得しているとしか思えないのだった。
どうも恐るべき感性だが、この表現に共感する人が多数であれば、日本の生態系には気の毒でたまらないことになるがどうだろうか。
大ナゲシ山行記を更新。
秩父盆地から雲取山は見え難いのだが、ここまで登ってみると、じつに明瞭に指呼できる。
この展望は貴重だと思う。
ひさびさに、若者たちとランニング。
正月をはさんで山にはけっこう行ったが、走るとなるとやっぱり、身体が重い。
今日は氷点下にならない朝だった。
暖冬だった昨年でさえ、氷点下にならない日は1月のあいだ3日しかなかった。
今年も今のところは、ずいぶん暖かい冬になっている。
これからどうなるか。
写真は、5日の山行記に使ったもの。
あまり変わりばえしないが。
本日から本格的な勤務開始。
さっそく1時間ほどの超過勤務。
4日の山行記を書き上げ。
写真はその時撮影したもの。
OLYMPUS E-510+70-300mm F5.6 1/320 ISO400
3ヶ月前の休日出勤の代休で、今日も休み。
お昼前に思い立って、中津川の大ナゲシを登りにいった。
曇り案配だったが、降り出すことはなくて助かった。
かなり急いだので、登り下りで約3時間ほどしかかからなかった。
ウソやカラ類の声が聞こえており、たぶん鹿だと思われる動物も歩いていた。
山頂部のツガの木では、ホシガラスが何羽も遊んでいた。
冬なので、1500メートルほどの山にまで降りてきたようだ。
写真は、ゴヨウマツの実をくわえたところ。
OLYMPUS E-510+14-54mm F8.0 1/100 ISO100
午後、知人宅にお年始。
帰宅後、薪作り。
写真は一昨日、四阿屋山で見かけた奇妙な線刻画。
修験に関係するものであることは間違いないと思うのだが、なにを意味するものなのか、見当がつかない。
デフォルメされた天狗だろうか。
OLYMPUS E-510+14-54mm F6.3 1/5 ISO100
引き続きいい天気だったので、午後からまた四阿屋山に出かけた。
今回は鳥居山から登って柏沢へ下山。
これは17年前に登ったコースと同じ。
鳥居山コースはおおむね雑木が多く、あまり急なところはない。
コナラ・ヤマザクラなどのかなり太い木が至るところに見られた。
前回伐採してから、40年ほどは経過しているのではないかと思われるが、その後伐採の機会を得ないまま樹林が成長してしまったようだ。
このコース南面には、シラカシ・アカガシなどのカシ類も多く自生していた。
このあたりは、秩父の雑木林が照葉樹林へと自然に遷移していくモデルなのかも知れない。
柏沢コースはヤマザクラとモミの多い道。
前回の山行記にツガが多いとあるのはモミの間違いなので、訂正した。
昨日のコースも今日も、ヤブコウジの実がとても美しかった。
帰宅後、煙突掃除。
OLYMPUS E-510+14-54mm F3.5 1/20 ISO400
腰痛が小康状態となった。天気もいいことなので、午後から両神村の四阿屋山に出かけた。
こちらは登山コースがたくさんあって、部分的に展望もいいので、冬の晴れた日に登るのがよい。
今日の登りは桜本コース。
宝泉寺のわきからスギ林の中を登り始めて、駐車場から見違から山居と車道を歩いたのち登山道に戻り、山頂からつつじ新道を下って大堤へ下山。
風も比較的穏やかで、ちょうどよい日だまりハイクだった。
大堤に下山後、道路わきの家に呼び止められた。
初対面だったが、90歳で一人暮らしのおばあさんが絵を描いたり書を書いたりしながら暮らしておられるのだった。
人生訓をこもごも伺って登山口に戻った。
写真は、下山した大堤近くの路傍に建っていた馬頭観音。
天明年間の銘があるから200年以上前のものだが、いかにも西秩父の生活者らしいリアルな表情をしている。
朝方の気温が低いせいか、約1年ぶりにヘルニア発症。
まだ軽症なので(通院したところで治るわけではないし)、医者にも行かない。
農作業は無理なのだが、薪が少なくなってきたので、薪作り少々。
『森の旅 森の人』と『藤原定家の熊野御幸』の読書ノートを追加。
午後から農作業。
畑をほぼ全面耕耘し、葉大根をビニールトンネルに播種。
枯れ草燃しも今少し必要なのだが、季節風が強いので焚き火は無理。
耕すべき箇所はまだ残っているのだが、日没のため終了。
一時期よりずいぶん日が伸びてきた。
畑はがらんとしているが、寒咲花菜がまだ少し残っていて、十分食べられるトウを立てていた。
とりあえず網を掛けてあるが、まもなく枯れてしまうだろう。
OLYMPUS E-510+ZD14-54mm EV+0.7 F10.0 1/10 ISO100
午後、集落の総会兼新年会に出席した以外は、在宅。
今年は、上の写真で寒中見舞いを書いた。
以前にも紹介した那智勝浦町・補陀洛山寺の大楠。