栃木・茨城県境の鶏足山塊を歩いてきた。
このあたりだと、標高500メートル内外の低山である上、太平洋からもさほど離れていないので、植林地と雑木林に照葉樹がまじる。
小さな山だが、雨巻山から高峰から仏頂山とミニ縦走してきたので、快い疲れが残った。
この季節に鶏足や久慈、阿武隈の低山などを歩くとしばしば、ウスタビガの繭を見かける。
蛾は既に羽化したあとだが、冬枯れたヤブの中の黄緑色の繭は、とてもよく目立つ。
もうすぐ今年も暮れるが、来年も元気で歩き回れるようでありたい。
このあたりだと、標高500メートル内外の低山である上、太平洋からもさほど離れていないので、植林地と雑木林に照葉樹がまじる。
小さな山だが、雨巻山から高峰から仏頂山とミニ縦走してきたので、快い疲れが残った。
この季節に鶏足や久慈、阿武隈の低山などを歩くとしばしば、ウスタビガの繭を見かける。
蛾は既に羽化したあとだが、冬枯れたヤブの中の黄緑色の繭は、とてもよく目立つ。
もうすぐ今年も暮れるが、来年も元気で歩き回れるようでありたい。
本当は熊野の大雲取越えも歩いて、埼玉県の雲取山と合わせて雲取三山を年内に歩いてみたかったのだが、先に書いたように熊野は雨で、観光しかできなかった。
北山は例年になく暖かく、柔らかいきのこがまだ多少は出ていた。
上はヒラタケ。
この時期の関西でときどき見る。
下はニカワツノタケ。
これはリョウブの立ち枯れに出ていた。
今年も最期まできのこに出会えてうれしい。
と同時に、来年も楽しみだ。
自宅で炭火パン焼き。煙突掃除。
熊野灘でサンマが獲れるのかと思ったら、寒流に乗って南下するサンマがいるのだそうだ。
関東人が喜んで口にするのは脂ののった北海道や三陸のサンマだが、熊野まで落ちて来ると脂の落ちた寿司向きのサンマになる。
それをなれ寿司にするそうだが、滋賀の鮒寿司より漬け込み期間が短いので、匂いはさほどきつくない。
ただ、鮒寿司ほどの強烈なうま味を期待する向きには、味的にやや期待はずれかもしれない。
ちなみに、なれ寿司でなく、締めたサンマを酢飯にのせたサンマ寿司も売っていて、こちらもなかなかおいしかった。
北海道では産卵前の鮭のことをメジカというようだが、これは正式名マルソウダ。
どう見てもカツオブシなので、だし用なのだろうが、とりあえず焙って食べてみた。
ナマリ節に劣らず美味いので、お好きな方には酒量が進みそうだ。
おさすりは初めて見た珍品。
あんこの入った餅をサルトリイバラの葉っぱでくるんである。
サルトリイバラの若芽はおいしそうに見えるがたぶんそれほどおいしくないと思う。
実を果実酒にしてみたことがあるけれど、葉っぱをこうして使うとは知らなかった。
この手の食べものの常として、端午の節句前後の食べものらしいが、どうして暮れのこの時期に売っていたのかは不明。
めはり寿司はけっこう有名なのでご存じの方が多いと思うが、高菜の葉の漬けものにご飯をくるんだもの。
これは熊野のあちこちの食堂で食べられる。
一番下のめはり定食は、この夏に中辺路の道の駅で食べたもの。
それにしても、めはり用の高菜を売ってるとは知らなかった。
今月つけたカーナビがいい加減なことばかり言うので、ずいぶん時間をロスして熊野川町へ。
そこで泊まって大雲取越えをねらったが、雨のため残念ながら中止。
この日は、やむなく熊野那智大社と青岸渡寺、熊野三所大神社と補陀洛山寺の見学のみ。
那智大社はぴかぴかのとても新しい社殿だったで今ひとつ興味をそそられず。
境内は初詣の準備に忙しそうで、歩いているのはほとんどが中国人の観光客だった。
もっとも境内の巨杉群や那智原生林、クスノキの大木などはじゅうぶんに見ごたえあり。
一方、青岸渡寺は立派な古刹だった。
三所大神社と補陀洛山寺は、那智山の登山口にある。
ここには巨楠が何本もあったが、鳥居の前の双子のクスノキはまだ若々しい感じのする巨木だった。
写真は補陀洛山寺の大クス。
午後はひさびさに農作業。
ヤーコンの根茎埋め。
大量のネギ収穫。
ホウレンソウ・大根・白菜・キャベツ・ニンジンの収穫。
帰宅後、煙突掃除。
庭にメジロが来て一人相撲をとっていた。
明日からしばらくお出かけの予定。
初狩からピークまではすぐだったが、中高年ハイカーでごった返していたので、写真だけ撮って退散。
その後、羽根子山、神馬沢ノ頭、大岩山、屏風岩と低山を歩いて初狩に戻った。
小春日和の陽気だったため、高川山からの富士山はごらんの通り。
手前の町は都留市あたり。
下山後、笹子餅と笹一酒造に寄ってお土産を買って帰宅。
今年は初狩周辺でけっこう遊んだ。
仕事が一段落したので、明日から休みに入ることにした。
このところしばらく、根つめ仕事が続いていたので、少し身体を動かしたい感じ。
駅伝の練習はいくらかやってるのだが、今年度はロードを走るのではなく、5000メートルリレーのような感じになるらしいので、ちょっと興ざめ。
昨日から当ブログにスパムコメントの嵐が襲来。
全部で100以上は来てる。アメリカにはずいぶん暇人が多いな。
中にはフィルタをすり抜けて書き込まれるのもある。
管理人のコメントが「迷惑コメント」になるのにどうしてスパムが堂々と書き込まれるのか、理解に苦しむ。
スパム削除や投稿時の、MovableTypeのエラーもずいぶん多くなってきた。
やはり負荷が大きすぎるのか。
山日記を少しずつメンテナンス中。
部分的な画像リンク切れなどを修正中。
このところ、水温が7から8度と高いため、水生菌(カビ)がかなり発生している。
水生菌は死卵につくのだが、死卵から発眼卵へも広がっていくので、蔓延させないためには死卵を丹念に除去するしかない。
そんなわけで、午前中はずっと検卵。
午後帰宅して煙突掃除。
夕方から秩父市内で瀬音の森源流部会の忘年会。
本日は岩トレだったのだが、検卵の人手が足らないことが予想されたので、岩トレは失礼させていただいた。
おいしいお酒が飲めてよかった。
写真は本日の在来イワナ卵。
ほんのわずかだが、11月初旬に採卵したうちの一部が孵化していた。
これは、入川支流K沢から採捕してきたイワナから採卵したもの。
他の兄弟より数日早く孵化したのだが、一人前の顔をしている。
秩父地方では、人間以外の生き物が生まれることをハエルという。
かくて、在来イワナがハエタのである。
足尾鉱毒事件を語り継ぐ必要性は十分に承知しているし、ささやかながら毎年、若者たちに教えてもいる。
今年は、20名ほどの若者たちと一緒に鉱山跡や三川ダムなどを見学にも行ってきた。
しかし、秩父事件についても言えることだが、いま考えなければならないのは、この歴史をどのような形で語り継ぐかということではなかろうか。
秩父事件を自分なりに語れば、ある程度の年輩の方は何かを感じて下さると思う。
しかしそれだけで若い人の心を打つことは、もうできない。
解説によって何かを感じることができるのは、歴史と実体験にいくばくか重なるものがあるからだろう。
1980年代から1990年代にかけての日本しかご存じでない人々にとって、それ以前の日本に実体験的に共有しうるものはほとんどないのではなかろうか。
ドラマでなく、解説部分の多い映画だったので、その点を強く感じた。
もっとも解説者として何度も登場された熊本大学の小松さんに銀幕上でお会いできて、たいへん懐かしかったのだが。
午後は身体休め。
ところでこのところ、写真撮影にはコンデジと併用して、オリンパスE-1を使っている。
中古品だが、夏の富士山からマクロ(35mm F3.5 Macro)をつけて使いはじめ、先月の伯母子岳から標準ズーム(14-54mm F2.8-3.5)をつけて風景や葉っぱも撮りはじめた。
レンズを含めて1kgを超えるカメラを首からぶら下げて山を登るのはきついが、コンデジにはないしっとりした写真が撮れるので愉しい。
少なくとも富士山のきのこはもう、コンデジで撮りたくない。
写真は一昨日35mmマクロをつけて撮ったオオミズアオの頭部。
とても気持ちのよいカメラだ。
もっとも今日は飼育池まで自動車で入れたからいいようなものの、積雪期になると飼育池までラッセルしなければならないこともある。
先月初めに採卵した卵は発眼を始めた。
写真は検卵を終えた発眼卵。
このぶんだと、今月下旬にはほとんどが孵化しそうだ。
帰宅後煙突掃除。
山日記に年代別総目次を追加。
自分の覚えのために作ったようなもの。
更新手続きと講習は1時間で終わったので、日曜日に予定されてる横瀬駅伝のコースの試走。
やや不調というか、身体が重いのだが、走らないよりはよかったという感じ。
今朝は多少暖かかったとはいえ、明け方は氷点下前後の毎日だが、窓にオオミズアオが飛来した。
今どきいったいどうしたわけか。
梅の木にでもついていたのか、それとも雑木林のコナラを食べていたのか。
ぬいぐるみのようにふわふわした蛾だ。
甲州の山日記に冬来たる里山-- 鶴ヶ鳥屋山から本社ヶ丸 -- を追加。
退勤後、ホームセンターにコーランを買いにいったら売ってなかった。
あまり売れそうな商品ではないが、コーランがないと落ち葉堆肥ができない。
お店でコーランを扱わなくなったのだとしたら、ちょっとピンチ。
昨日歩いた鶴ヶ鳥屋山から本社ヶ丸の尾根には、ブナやミズナラの大木が散見された。
それぞれに個性的な樹々だった。
写真はブナ。
天気自体は文句なかったのだが、お昼前から午後にかけて富士山に雲がかかってしまい、やや残念だった。
とはいえ、たっぷり6時間の充実コースを歩くことができて、満足。
写真は、鶴ヶ鳥屋山からの富士山。
本社ヶ丸の方が展望はよいのだが、そちらの富士山は雲の中だった。
天気がよいので富士山を見に行こうかと思っていたのだが、事情があって終日在宅。
大量の薪作りと薪割り、煙突掃除。
以上の作業で日没。
ここでいう日没とは、太陽が山の端に隠れることではない。
それを日没というならば、当地の日没は午後2時半である。
太陽が見えなくなって一面に日陰となるのが2時半で、あたりがすっかり暗くなり、明かりがないとなにも見えなくなってムササビのキキキという鳴き声が聞こえる5時ごろを、日没と呼んでいる。
きょう一日で数百キロの薪を運んだと思う。
とりあえず年内はこれで大丈夫だろう。
一日チェーンソーを回していたので、腰が痛い。
この季節の花といえば、サザンカだ。
この時期に奥武蔵の低山を歩いていると、野生の白いサザンカが咲いていてびっくりすることがある。
ツバキやサザンカの花は花びらが散るのではなく、いきなり首が落ちるように落花する。
昔の武士には縁起がよくないとされたようだが、地面に落ちても美しいサザンカはいい花だと思う。
写真は、一昨日ミューズパークで見たサザンカ。
もちろん植栽されたものである。