外務省が、イラクで拘束されていた3人の日本人の「救出」にかかった費用を公表しました。
YOMIURI ON-LINEによると、その総額は、1815万円で、うち(約75パーセントにあたる)1370万円は、逢沢一郎外務副大臣ら外務省職員の出張関連経費とのこと。
このなかに、解放直後に非拘束者の「取り調べ」にあたった警察官の出張旅費が含まれているかどうかは、明らかではありません。
行政がさまざまな情報を明らかにすることは、いいことです。
であれば、北朝鮮による拉致被害者やその家族を救出するためにかかった費用も、公表すべきでしょう。
拉致被害者ののSさんは、家族と今後の暮らし方についてじっくり話し合うために、第三国で数ヶ月単位の滞在を保障するよう、政府に求めておられ、政府はそれに答えるべく、鋭意努力をしています。
政府のこの姿勢は、まともな法治国家として当然であり、ぜひそうしてほしいと思います。
しかし、拉致被害者を救出するのに小泉首相の2度の訪朝や、事務方の下交渉や特別機の用意や、帰国後の生活保障にいくらかかったのかは、まったく明らかではありません。
いずれも邦人の保護という、国家としての当然の機能を果た(そうと)したまでなのに、北朝鮮による拉致被害者の場合かかった経費が公表されないが、イラクにおける非拘束者の場合は経費が公表されるのに、なにか意味があるのか。
あるとすれば彼ら3人が、与党政治家による圧力や御用マスコミのチョウチン持ち報道を根拠として、アメリカが使用した劣化ウラン弾の被害実態を調査するとか、戦争によって生まれたストリートチルドレンの救援にあたるとか、戦争の真実を報道するなどの目的では、イラク訪問を認めないという政府の意向に反してイラクに入ったことに対する懲罰だとしか、考えられません。
つまり今の日本は、政府の意に反する人間は、保護の対象にはしないという、戦争国家らしい論理で、国民を差別しているわけです。
そもそも、主観的意図はどうあれ、逢沢一郎外務副大臣ら外務省職員の出張が、非拘束者を解放する上で、何の役にも立たなかったというのは事実であり、これを「救出にかかった費用」などに含めること自体が、おこがましいにもほどがあるというもの。
川口外相がテレビで人質解放を呼びかけたメッセージ作成費約16万円というが、彼女の発したメッセージがイラク国民を怒らせ、解放を遅らせた原因になったのは歴然たる事実。
この事件後、日本政府による救援を拒否すると公言した上でイラクに向かうボランティアの人々があらわれました。
わたしも、邦人保護にさえ思想・信条上の差別を持ち込もうとする政府は、民主国家の名に値しないと思います。
できるものなら、こんな政府に税金を払いたくないものです。
この数ヶ月間のできごとは、国家としての日本が溶解し、日本で生まれ暮らす人々が国家の枠を否定して動き出しつつあることを実感させてくれました。