今年もあと数時間で暮れようとしています。
わたしにとっては、この一年も、大過なく仕事ができ、山や渓で遊ぶことができた、よい年だったと思います。
このホームページも7年目を迎えます。
惰性での更新という気がしないでもないですが、たくさんの皆さんに見ていただき、毎日の暮らしの中の一つの張りあいのようなものになっています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
今年もあと数時間で暮れようとしています。
わたしにとっては、この一年も、大過なく仕事ができ、山や渓で遊ぶことができた、よい年だったと思います。
このホームページも7年目を迎えます。
惰性での更新という気がしないでもないですが、たくさんの皆さんに見ていただき、毎日の暮らしの中の一つの張りあいのようなものになっています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
近所の中学生2人が、習字を持ってきました。
作品にはそれぞれ、「郷土の春」と「埼玉の偉人」と書いてありました。
なかなかよく書けております。
作品と引き替えに「ごくろうさま」と、"紙代"をあげました。
わたしの住んでいる地区には20世帯ほどの家がありますが、中学生がこの2人しかいないようです。
でも、こういう習慣があると、日ごろ近所無沙汰にしているわたしも、近所の子どもの顔を覚えることができるし、話しかけるきっかけにもなります。
子どもたちにとっては、多少のお小遣いになれば、やる気にもなるでしょう。
これって、いい習慣だなと思います。
本日は朝から、Sさんの山でコナラの伐採と玉切りでした。
30年以上のコナラなのでかなり太く、わたしの小さなチェーンソーでは、玉切るのもたいへんでした。
秩父市内でも、西側に山を背負っている地区は、別世界のように暖かでした。
本日玉切った原木は年明けに搬出する予定です。
これがまたたいへんそうな感じ。
作業後、夕暮れまでまだ少し間があったので、落ち葉かき。
落ち葉を集めているあいだに日が暮れました。
先月仕込んだ分が堆肥になったら春野菜に使って、今、ため込んでいる落ち葉をまた仕込みます。
それは秋野菜に使う分。
山の落ち葉で畑を作り、食べ物に還元する。
里山と山里の暮らしは本来、こうやって営まれてきたのだろうと思います。
一日チェーンソーを構えていたので、さすがに腰が痛い。
本日も、よく働きました。
昨日、秩父市内は雪だったようですが、こちらは降りませんでした。
が、長尾根丘陵あたりには、今日になっても雪が残っていました。
本日は、お出かけの計画を立てていたのですが、寝坊したため中止。
畑の野菜の収穫と買い物で本日は終了。
今夜は今年最後のごちそうで、丸鶏の蒸し焼きを作りました。
鶏とジャガイモとニンジン、タマネギに塩胡椒をしてダッジオーブンに詰め、ふたに大量の炭をのせて蒸すだけという単純な料理ですが、とても味が深くておいしい。
なかでもこの時期のニンジンは、まるで砂糖で煮たように甘いのです。
ようやく仕事納め。
今年の仕事が終了しました。
自分としては、まあまあよく働いたのではないかと思います。
そしてまた幸福なことに、とても気分よく働かせてもらっています。
仕事をする環境は年々悪くなってきています。
学校は、誰にとってもつまらない場所へと変貌しつつあるような気がします。
それには、抵抗を続けたいと思います。
やれやれ、とりあえずほっとひといき。
本日は少し落ち葉をかきました。
本日は朝から、荒川水系渓流保存会のメンバーといっしょに、群馬県川場村にある群馬県水産試験場に行ってきました。
目的は、群馬県におけるネイティブイワナの保護やイワナ飼育方法について、いくつかの疑問を解決するためでした。
暖かい一日でしたが、さすがに川場村は、雪のため一面真っ白な世界になっていました。
親切な応対をいただき、疑問はかなり解決しましたが、たくさんの宿題をもらってきてしまいました。
本日は忘年会。
けさの最低気温氷点下4.6度。
いよいよ本格的な冬になりました。
お風呂に柚子を入れてもらいました。
こちらは昨夜も雪。
またも白い朝を迎えましたが、日が昇るとぐんぐんとけてしまいました。
本日は、荒川水系渓流保存会の飼育池当番のため、午前中は武甲山麓の池に行きました。
数年前までは、ごく少数で作業をしていましたが、最近はおおぜいの会員が来て下さるので、仕事がすばらしくはかどります。
午後は、瀬音の森・間伐教室のみなさんにご挨拶しに行きました。
正丸オートキャンプ場オーナーの杉田さんから、ログハウスの組み方を説明していただきました。
話を聞くだけならよく理解できるのですが、やるとなるとむずかしそうです。
夕方は、落ち葉堆肥の切り返し。
これをやっているあいだに、薄暗くなりました。
帰宅後、コンニャクや里芋の種イモを、床下のムロに収納。
昨冬は、毛布にくるんで寝室に保管しておいても、凍ってしまったのですが、今年はどうなるかな。
写真は、孵化したばかりの秩父イワナ。
白いのは発眼卵で、これから孵化する卵です。
こちらは本日、初雪が降りました。
朝起きたら一面の銀世界で、西からの強風下、雪が真横に流れていました。
が、冬型気圧配置のとばっちりの雪ですから、すぐにあがり、昼前にはとけてしまいました。
とりあえず、出勤日でなくてよかったという感じ。
どこぞへ出かけたいという気もあったのですが、ずっと家で過ごしました。
午後、自動車のタイヤをスタッドレスに交換。
わたしのフィールダーはFFなので、以前乗っていたカローラバン4WDに比べると、スタッドレスに替えても雪道には弱いです。
ところでまたまた、斧を買ってしまいました。
今まで使っていたハスクバーナの斧も、すばらしい斧だと思っていますが、うんと太い木や堅い木には苦戦していました。
そこで、もう少しパワーのある斧がほしいと思っていました。
買ったのは、フルツブルックのスレッジアックスと小割り用のハチェット。
まずは、スレッジで試し割りをしてみました。
思ったとおり、ハスクバーナよりパワーがあって、太い木もかんたんに割れます。
ただ、重いので、長時間にわたって振るのは、とても無理。
状況に応じてハスクと使い分けていこうと思います。
やれやれ。
一昨日より、原因不明のトラブルにより、インターネット接続が不能状態でありました。
プロバイダさんのご説明は、接続事業者さんの認証サーバがトラブっているため、復旧のめど立たずという、とんでもない話でした。
接続事業者さんとは、ひょっとしてNTTのことかな。
そうすると、こりゃ復旧は数ヶ月先になるぞ!! と思っていました。
今日聞いたら、トラブル解消したはずという話でしたが、相変わらず接続不能状態。
この原因のチェックに2時間くらいかかりました。
原因は、ネットワークIDの設定方法がプロバイダさんか接続事業者さんの方で一方的に変更されていたため、こちらのルータの設定が無効になってしまっていたためでした。
プロバイダさんは、わたしの方が悪いような言い方をしていましたが、ヒドイです。
昨日、自動車を車検に出して、本日引き取ってきました。
車検って、けっこうとられるんですね。
でも、通勤で使うだけでなく、ずいぶん遊ばせてももらってる車(トヨタ・フィールダー)だけに、よくチェックしてもらわなくては。
買ってから一度も洗車しない車ですが、今日だけはピカピカになって帰ってきました。
昨日、塩山市内のコンビニで買い物をしていたら、店内にジョン=レノン&オノ=ヨーコの「Happy Xmas」が流れていました。(もちろんインストゥルメンタルで)
この時期に「Happy Xmas」ですから、何の不自然さもないのですが、この曲を聞く回数が例年より多いような気がするのは、気のせいでしょうか。
オリジナルでは、ジョンの歌のバックで子どもたちと女性が
War is over,if you want it
(戦争が終わるかどうかは君の心しだいさ)
というフレーズを繰り返していて、最後にジョンとヨーコもそれに加わって「Happy Xmas!!」と叫びます。
社会科学は、戦争の原因が政治や経済にあることを教えますが、「Imagine」なんかを聴いても、ジョン=レノンは戦争の原因は人の心だと歌っていたように思います。
戦争に至る原因を取り除くことはできないかもしれませんが、戦争を断念させたりやめさせたりできるのは、おおぜいの人間が戦争はイヤだという意思を表明する以外にはないのですね。
昨日は終日、秩父事件研究顕彰協議会の研究会でした。
これに間に合わせるため、ここしばらく論文を書いていました。
それで本日は、山梨県の雁ヶ腹摺山を歩いてきました。
この山は、空気のよく澄んだ初冬の、しかも一点の雲もない快晴の日に登りたい山です。
そして、今日は、まさにそんな日でした。
金山鉱泉からのピストンはけっこう歩きでがありましたが、富士山の大観のすばらしさには、言葉もありませんでした。
どうもこの間、レターメンの「ミスター・ロンリー」のメロディが頭の中で鳴ることが多くなってしまってました。
たぶんイラク関連のニュースを見たり聞いたりしていたからだと思います。
ネットで注文したCDが、今日届きました。
改めて聴いてみると、メロディの美しい曲ではありますが、歌詞は、戦死した兵士の独り言なんですね。
最後のフレーズは
Oh how I wonder,how is it I fail
(なんでこんなことになっちゃったんだろう)
です。
アメリカの人々は、もうこの曲を聴かないのでしょうか。
これ以上、Mr.Lonelyをうみだしてはいけないのに。
とうとう、自衛隊がイラクに派兵されることになってしまいました。
要領を得ない政府の説明をよくよくかみ砕いてみると、日本を、泥沼のような終わりなき戦争に引きずり込んでいく最大の要因は、日米同盟であるようです。
イラクの事態を引き起こし、イラクを混迷させた原因は、世界最大・最強のテロ国家アメリカ(大量破壊兵器を大量に開発し保有している・国連を無視して侵略戦争を始めた・アフガンやイラクで連日一般人を殺害している)にあります。
この派兵によって、アメリカの高官の覚えはめでたくなるかもしれませんが、イラクのみならずイスラム世界で日本が得ている親しみや尊敬や信頼の念が失われることは、必至です。
われわれは今、日本人の生命や莫大な費用とともに、かけがえのないものを失おうとしています。
いうまでもないことですが、この戦争に参加することにより日本は、イラク国民にとって敵国となります。
自分はイラクに対し悪をなしたことはないのだから、イラク人の恨みを買う覚えはないなどと、言えなくなります。(こちらのサイト参照)
自衛隊は行くべきではありません。
犠牲者が出る前に、また日本人がイラク人を殺す前に、この方針は撤回すべきです。
昨日と本日、奥久慈の山を歩いてきました。
昨日は長福山で今日は男体山。
2日間、よく晴れてくれました。
とくに、男体山では、随所に大子営林署(旧)で樹木ガイド板がつけられており、勉強にもなりました。
ご報告はまた後日。
本日は、もう寝ます。
本日は雨予報でしたが、よく晴れたいい日になりました。
午前中は、簑山で枝拾い。
これは、燃料用です。
二宮金次郎みたいに枝を集めてきました。
午後は畑で堆肥の切り返し。
この2週間でかさがかなり減ったので、落ち葉6袋を新たに追加して、仕込みました。
これで都合、17袋ぶん。
堆肥の仕上がりは、2週間遅れますが、ジャガイモや春の菜っぱの植えつけには間に合います。
帰宅後、枝の長さをチェーンソーで切りそろえる作業。
やれやれ。今日もよく働きました。
写真は、切り返しを終えた落ち葉。
明日は、お出かけの予定。
今日は、また少し休みをいただいて、自分の勤務先の名称検討委員会なるものを傍聴してきました。
スタート時には、こんな感じでなんとなくオープンに話を進めていこうという姿勢も見られたのですが、埼玉県教育委員会の拙速で強引なやり方に対し、関係者や地域から批判の声が挙がり、署名運動などが始まってみると、委員会の開催日時などは伏せたまま、隠然とした議論が着々と進行しています。
学校は地域にとって宝でもあり、文化的な存在です。
一部の教育官僚のみなさんは、学校のあり方を気ままにいじくることを飯の種にしているわけですが、いずれきびしいしっぺ返しをくらうでありましょう。
官僚が行政を担当するのは当然のこととして、彼らが自分の仕事に責任を持たないシステムになっているところが、日本の行政の致命的欠陥です。
秩父市内はまだ、お祭りモードですが、わたしの仕事はそろそろ年内のピークにかかりつつあります。
ここでムリすると、風邪など引くんですな。
せわしい年の瀬ではありますが、ここはひとつ慎重に、体調を維持しながら、新しい年に向かってそろりそろりと歩いていかなくてはなりません。
ラジオを聴いていたら、6時のニュースで殉職された2人の外交官について、福田官房長官が「国の利益のために命をかけて戦った方」という評価をしていました。
このお二人は外交官なのですから、「戦った」という言い方はおかしいと思います。
福田さん、安部さん、小泉さんという世襲政治家のみなさんのこうした感覚に、とても危ういものを感じてしまいます。
この発言については、ソースが確認できませんので、またいつか考えてみたいと思います。
写真は、ヤマナシの酒を漬け込んだところ。
最近、食前酒にヤマナシ酒のサイダー割りを飲んでいました。
なかなかよい香りがして、おいしい酒だと思います。
来年もまた、この酒が飲めますように。
本日は秩父夜祭りでしたが、わたしはお祭りには出かけず、休みをいただいて落ち葉かきに精を出しました。
わたし以外にも、ご夫婦で落ち葉を集めておられる人がおりました。
んー負けちゃおれん! と思ったので、がんばってオチバロンに6袋かいてきました。
先日に引き続き、大豆の片づけも終了。
ようやく、大根や白菜を収穫し始めましたが、とてもよくできました。
群馬県烏川の倉淵ダムの建設が凍結されるようです(Yomiuri Online)。
周辺整備があれだけ進捗したダムを凍結するとは、英断だと思います。
ここ3日間のうっぷんを晴らすような、すばらしい快晴。
仕事で遅くなったため、帰宅時は完全に真っ暗でしたが、街灯の明かりを頼りに、大豆を収穫してきました。
シャクシ菜漬けが、しだいにおいしく漬かってきました。
ことしは、えらく順調に成長してくれたため、自家消費用としては、ひどく大量のシャクシ菜ができました。
写真は、一輪車に積んだシャクシ菜。
これは、一昨日片づけてきたもの。
ナツメ酒を更新。
イラク情勢は、一段と混迷の様相を強くしています。
11月29日、米英軍占領当局に派遣されていた(アサヒコム)2人の日本の外交官が銃撃・殺害されてしまいました。
こちらのサイトでは、論拠のニュースソースを明らかにした上で、主にイスラム世界の情勢についてさまざまな角度から分析をされています。
これらを念頭に入れた上でニュースを読むと、この戦争が、数年で終了するような規模のものではないことが理解できます。
福田官房長官は、今回の事件はテロだと考えているようですが、NHKのカイロ特派員は今朝のリポートで、あれは戦争の一環だと断定していました。
どうも日本は、ことによると第三次(大惨事)世界大戦につながるかもしれない戦争に足を突っ込みかけているようです。
イラクとアメリカの関係は、1930年代の満州と日本の関係に似ています。
かつての日本が、撫順(フーシュン)の石炭や鞍山(アンシャン)の鉄鉱石利権をねらって満州事変を起こしたように、アメリカもイラクの石油資源をねらってイラク戦争を始めたと思われます。
アメリカは、来年6月を目途としてイラク人による政府を発足させるつもりのようですが、それは「満州国」同様、傀儡政権になるでしょう。
これ以上アメリカに荷担することで、抜き差しならない中東大戦争の泥沼にはまり込むべきではありません。
戦争の泥沼化を避けうる唯一の方法は、アメリカ・イギリスが完全に撤退し、国連が完全なイニシァティブをとる形で、民族や宗派が共存できるイラクを平和的に再構築することでしょう。
困難な課題ですが、外交とは本来、水と油を溶け込ませるような努力を必要とするものであるはず。
日本政府には、平和に向けたリーダーシップをこそ、発揮していただきたいと思います。