早池峰山と薬師岳

【年月日】

1992年7月28日
【同行者】 単独
【タイム】

小田越(4:55)−早池峰山(7:00)−小田越(9:05-9:25)
−薬師岳(10:37)−小田越(11:38)

【地形図】 早池峰山

 それにしても東北道は長い。
 あさ4時半ごろ家を出たのだが紫波インターをおりたのが1時すぎ、早池峰登山口の小田越に着いたのは2時をまわっていた。
 この日のうちにひとつ登って次の山に回りたかったので、いちばんやさしそうな早池峰を選んだのだが、ピストンするにしても時間的には遅すぎる。
 それにただ登ってくるだけではあまりにも貧しい登山ではないか。

 おりしも岩手県はまだ梅雨があけていないのか、濃いガスがたれこめており、かなりの強風が吹いていて、とても早池峰に登る気にはなれなかった。
 同じ登山口から反対側の薬師岳になら登って登れないことはないが、朝から高速道路を走ってきたので、ゆっくり休みたかった。
 そこで、河原ノ坊まで戻り、テントを張ってこの日は休養することにした。

 翌朝はきゅうりをきざむようなヨタカの鳴き声で目をさます。
 いくらか天候が回復しているかと思ったのだが、前日とまったく変化はなく、ガスと風で山登りにはあまりよい条件ではなかった。

 しかし、雨は降っていなかったし疲れもとれたおかげで早池峰に登ろうという意欲はわいていたので、ゆっくり食事をし、テントをたたんで自動車で小田越に登り、5時前に登りはじめた。

 はじめのうちは傾斜のゆるいオオシラビソの樹林帯である。
 しかし、標高差にして百メートルも登ると「高山植物採取一斉取締中」という奇妙な看板があり、その先で早くも森林限界を超える。
 さすがに東北の山である。

 そこから石がごろごろしているところを過ぎるとハイマツが出てき、高山帯の雰囲気となる。
 ハクサンシャクナゲ、コメツツジなどの花が早くも見られだし、ガスと風はいただけないにしても爽快な山登りとなる。

 そこから上はずっとお花畑のなかの登りだ。
 下のほうでめだったのはミネウスユキソウだ。
 頭のなかにハヤチネウスユキソウという名前があるから、遠くから見たときには「ひょっとすると!」と思ったが、よく見るとミネウスユキソウだった。
 チングルマはすでに種子になっており、キンロバイも久しぶりに見ることができた。

 一段と急になった道をさらに行くと、いよいよ早池峰独特の植物帯となった。
 ミヤマアズマギク、ミヤマオダマキ、ヒメシャジンなどにまじってついにナンブトラノオ、ナンブトウウチソウ、ハヤチネウスユキソウなどが見られだした。

 ナンブトラノオは長いこと見たかった久恋の花だ。
 赤岳の岩場で見たのがナンブトラノオだったのかどうなのか、実際によく確かめることができた。
 結果的には赤岳に生えていたのはナンブトラノオではなく、ハナゼキショウの一種であろうと思われた。
 わたしの考えはまちがっていたのだが、ナンブトラノオのおかげで山に登るのがずいぶん楽しくなった。
 この花は忘れられない。

 ナンブトウウチソウはカライトソウに似ているが少し小型の花だ。
 この日はまだ咲きかけのが多かった。
 ハヤチネウスユキソウはたくさん咲いていた。
 ミネウスユキソウとちがって葉が細くてずっと白っぽい。エキゾチックな花だ。
 ほかにはグンナイフウロ、ミヤマハンショウズル、イワベンケイ、キバナノコマノツメなどが咲いていた。

 西からの風はしだいに激しくなってき、風速10メートルから20メートルにも達しようかと思われた。
 突風的な風が吹くと立っているのがやっとになる。
 進行方向向かって左からの風のため、眼鏡の左のレンズにガスのなかに含まれる水滴がついてくもってしまう。
 それを何度もぬぐいながら登っていく。
 それとともにのべつまくなしに風が吹き、身をかくす場所もない高山帯のため、からだがだんだん冷えてくる。
 行動中にもかかわらず長袖のラガーシャツのうえに雨具を着ただけでは寒くなってくる。
 稜線の下の鉄バシゴはとても冷たかった。

 ところが稜線に出ると、あまり高くはないがオオシラビソが生えており、おかげで風はさほどひどくはなくなった。
 植生もうって変わってヨツバシオガマ、ハクサンチドリ、イワカガミ、コバイケイソウ、ネバリノギラン、チングルマ、ミヤマアズマギクなどの湿性お花畑となる。
 木道の上をぽくぽく歩き、しばらく行ったところが早池峰の山頂で、立派な避難小屋が建っていた。

 晴れていればどんなにか気持ちのよいと思われる場所だが、展望もなく風とガスのなかの山頂だ。
 あたりを見ると、早池峰神社の奥宮があり、ブリキの矛がたくさん立てられている。
 避難小屋のなかに入ってみると、新築したばかりかと思われるほどきれいに使われていた。
 ここでもってきたパンを食べ、大休止とする。

 7時半前に避難小屋を出、下山する。風は一段と強くなり、寒いのでフリースを着た上に雨具を着る。
 ゆっくり下っていくと中高年の登山者が続々と登ってくるのにすれ違う。
 こんなに条件が悪いのににぎやかな山だ。たぶん多くは関東地方から来たのだろう。
 さすが「花の早池峰」だと思う。

 樹林帯に入ると急に暑くなる。メボソムシクイの鳴き声、オオルリかと思われるのびやかなさえずり、「チッチッ」という地味なさえずりなどが聞こえた。

 小田越に戻ったのはまだ9時だった。これなら薬師岳をに登っても次の登山口まで楽に移動できる。そこで風をさけるために自動車のかげでうどんを作って腹ごしらえをする。

 薬師岳への登りは早池峰とはずいぶん植物相がちがっている。
 カニコウモリ、サンカヨウ、オサバグサ、ツバメオモト、エンレイソウ、ツクバネソウ、ギンリョウソウなどここでなくとも見られる花が多い。
 もっとも咲いていたのはカニコウモリとギンリョウソウくらいのものだが。
 薬師岳は早池峰とちがってめずらしい植物にわくわくする興奮はないが、見なれた草が多いだけにほっとするものがある。
 オオルリ(?)、コマドリの声が聞こえるなかのんびりと登っていくとしだいに傾斜が急になり、ヒカリゴケのある岩を見ると鎖場も出てくる。
 やがて傾斜がゆるむと森林限界に出る。
 風は相変わらずつよくガスも晴れない。
 ここは早池峰のような岩稜の山ではなく、一面のハイマツとシャクナゲの海だ。
 ハクサンシャクナゲはちょうど見頃だ。ここのシャクナゲとハイマツを前景にして早池峰の写真を撮ったらきれいだろう。登りつめるとロボット雨量計のあるピークに着く。
 ここが薬師岳の肩である。
 ここからは平坦な尾根を東へ向かう。
 早池峰とちがってここには花はあまり咲いていない。
 10分ほどで薬師岳の山頂に着く。

 地図で見ると早池峰と正対したピークだけに展望はすばらしいだろう。
 しかし今日の風とガスでは身を隠す場所もないここでゆっくりすることはできない。
 そこで早々に下山にかかることにする。
 早池峰のにぎわいとは対照的に、ここまで誰とも会わずに登ってこれた。
 薬師もいい山なのだ。
 小田越に着いたのは11時半だった。

 早池峰も薬師岳もふもとからの登山道がちゃんとついている。
 自動車で忙しく登ったためいずれも峠からピストンすることになってしまった。
 なにか登山ではないみたいだ。
 こういう登り方はじつに貧しい。
 こういうのはいけないという思いが強い。
 登山には十分な時間がなくてはいけない。
 自然のなかでたっぷりとした時間を過ごすことが山登りの基本だろう。
 とてもよいふたつの山だっただけに、そういう満たされなさが残った山行だった。

 その後自動車で焼石岳登山口に向かった。