根小屋駐車場から歩き始め。
住宅街の中だが、関東ふれあいの道の道標があるので助かる。
尻久保川を渡り、高架をくぐって、車道から下ると久保田酒造で、登山道はその裏手についている。
なにかの工事現場から再び住宅街に出て道路を渡ると、首都圏自然歩道に入っていく。
ごく穏やかな植林の道。
気温はさほど低くないはずだが、樹林のため陽が射さない上、北側斜面の歩きなので、いささか寒い。
雨乞山も寒いピークだったので、休まずスルー。
その先も志田森・志田山と、特徴のない山道が続いて、三増峠。
林道が通っているが、大休止できそうなのはここしかないので、道ばたで腰を下ろした。
三増トンネル北へは道がないのでヤブ下りするつもりだったが、かなりひどいヤブだった。
南東へのハイキング道は生きていたので、こちらを下り、南側からトンネルを歩いた。
その先しばらくは車道歩き。
工事現場からもと来た道に合流して、久保田酒造で買い物。
ずっしり重くなったザックを背負って、駐車場に戻った。
不要な荷をおろして、城山へ。
中学生の遠足と鉢合わせてしまい、広場は賑やかだった。
この山は、登山道に緑色のカーペットが敷いてあって、びっくりした。
分岐がたくさんあるのだが、どんどん登って主稜線へ。
あちこちに曲輪があって、滝山城を彷彿とさせるが、城郭の比高は滝山城より大規模かもしれない。
本曲輪の手前によく保存された堀切。
本曲輪はそこそこ広い削平地で、中央に土塁があって、でっかい石碑が建っていた。
ここで小休止。
下山は、周回道をとる。
こちらにカーペットは敷いてないが、やはり、よく整備されていた。
ヤブの中に「築井城址」なる大きな石碑があった。
横浜貿易新報社建立とあるが、どういう経緯で建てられたのだろうか。
諏訪神社に立ち寄るつもりで、尾根北側への道に入る。
目の下は城山ダムで、大垂水峠から降りてきたときに下山したところだ。
諏訪神社はいくさ神だから、根小屋地区の鎮守にふさわしい。
境内は小さいが、杉木立はとても大きく、特に拝殿わきの一本はおそらく樹齢数百年と思われるから、戦国時代の風景を見て、こんな会話を耳にしたかもしれない。
(氏照から津久井城主・内藤氏への伝令) 申し上げます。信玄めを三増峠へ追い上げたから挟み撃ちにする。直ちに出陣せよとの殿さまよりお言葉です。
(内藤) うん。大儀であった。氏照さまによろしくな。
(伝令) 直ちにご出陣を。
(内藤) うーん。考え中。
(伝令) 考え中って・・。信玄めは小田原に放火し、女や子どもをさらって逃げ帰るところですぞ。キャツの息の根を止めるチャンスは今しかござりません。
(内藤) だから考え中だって。
(伝令) そんなバカな。
(内藤) おれは動かん。守りを固めるのだ。城内には誰も入れるな。
(家来) あとで氏照さまに叱られますぞ。
(内藤) たわけ。氏照さまには謝っておけばよい。ここは信玄に貸しを作るのだ。我らの小さな国を守るには、あちこちの殿さまに貸しを作る以外にあるまいが。
ひさびさのロングコースだった。
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