春の丹沢主脈

【年月日】

1991年3月10〜11日
【同行者】 単独
【タイム】

3/10 大倉(9:05)−大倉山の家(9:55)−花立(12:15)
   −塔ヶ岳(12:40)−丹沢山(2:10)
3/11 丹沢山(6:10)−蛭ヶ岳(7:55)−原小屋平(9:10)−
   黍殻小屋(10:00)−焼山(11:15)−焼山登山口(12:25)

【地形図】 秦野、大山、青野原

一日目

 大倉でバスをおり、歩きだしたのは、9時過ぎ。軽装のハイカーにどんどん追い抜かれた。

 大倉高原山ノ家の前には、水が引いてあったので水を補給して小休止。水代20円を入れてほしいと書いてあったので小銭で20円入れた。

 そこからはおおむね稜線上の道。
 堀山ノ家あたりからは赤土が崩壊しており、土止めがたくさん造られていた。

 金冷シと小ピークに立ち、さらにぬかるみの中を塔ヶ岳に登り着いたのは、12時半過ぎ。
 金冷シと塔ヶ岳の間のぬかるみは最悪だった。

 小広い山頂だがガスっていて何も見えない。
 尊仏山荘のなかでは、満員の登山者が暖かい室内でビールなどを飲んでくつろいでいて、うらやましかった。

 日高という小ピークあたりになると、大勢いた登山者がいなくなり、静かな山歩きができた。
 稜線上には意外なほど太いブナの大木があった。
 小さな登降で、竜ヶ馬場という広いササ原。
 丈の低い美しいササのなかにベンチがあり、晴天の日に微風が吹いている、といったときにはさぞや気持ちがよかろうと思われるところだが、この日は何も見えずただ寒いだけだった。

 丹沢山に着いたのは2時過ぎ。
 みやま山荘の戸をたたくと、管理人氏に「これから下山するがそれでよければ泊まってもよい」といわれたので、2500円払って小屋に入った。

 寝るところはハシゴを登った二階で小綺麗な小屋だった。
 シュラフに入ったうえに布団をかけると、実に快適だった。

二日目

 翌朝は5時過ぎに起きたが、あたりは濃いガスと小雪。
 水もスパッツも凍らなかったのがせめてもの幸いだ。

 外へ出たとたん、目の前でたくさんの鹿が、こちらを注目していたのでぎょっとした。
 登山道は相変わらず凍結しており、歩きにくいが、軽アイゼンがなくてもどうにか歩ける状態だったので、ストックでバランスをとりながら下降した。
 不動ノ峰休憩所で小休止し、ユーシンへの分岐を左に分け、緩やかに登降していくと、鬼ヶ岩。
 風に閉口しながらここ下りきり、緩やかに登っていくと、小屋が見え、蛭ヶ岳。

 蛭ヶ岳からは、飽きるほど長い下り。
 黍殻山避難小屋で、昼食。

 スギなどの植林が目立ち、里山らしい雰囲気になってくると、焼山。
 ここからは急降下。
 どんどん高度を失っていくと林道に出、林道から国道、そして焼山登山口のバス停まではすぐだった。

 丹沢でもっとも展望にすぐれたコースを行ったのに、全く何も見えないまま下山してしまった。