続々・修験の道

- 東屋岳から太古ノ辻 -

【年月日】

2011年8月12〜13日
【同行者】 単独
【タイム】

8/12 東屋岳登山口 (9:35)−四阿ノ宿 (10:38)−地蔵岳 (8:22)−葛川辻 (11:39-11:43)
   −笠捨山 (12:13)−行仙宿山小屋 (13:51)−行仙岳 (12:21)−倶利伽羅岳 (15:09-15:12)
   −転法輪岳 (15:41-15:45)−平治ノ宿 (15:59-16:18)−持経ノ宿 (17:17)
8/13 持経ノ宿 (5:10)−阿須迦利岳 (5:40)−証誠無漏岳 (6:15-6:20)−涅槃岳 (6:54)
   −滝川辻 (7:47)−地蔵岳 (8:39-8:50)−嫁越峠 (9:09)−天狗山 (9:53-10:00)
   −太古ノ辻 (10:52-10:54)−二つ岩 (11:28)−小仲坊 (12:29)

【地形図】 池原、釈迦ヶ岳、大沼 ルート地図

1日目

 白谷トンネルから入山しようと考えて、国道425号を自動車で走っていたら、「東屋岳・地蔵岳登山口」という小さな道標が目に入った。
 地形図で確認して、東屋岳まで1時間かかったとしても、平治ノ宿までであれば十分行けるし、平治ノ宿を早発ちすれば、前鬼まで行くのも苦労でないと思われた。
 時刻が9時半過ぎと、ちょっと遅いのは問題だったが、仮にスピードが上がらなかったとしても、行仙宿にも小屋があるので、ペースによって、宿泊地を変えることも可能だと考えた。

 道標のところから斜面にとりつくと、薄い踏み跡がスギ林に続いていた。
 伐り頃のスギで、手もよく入っているが、このご時世に、伐られる様子はない。
 至るところに枝が散乱し、道を覆ってはいるが、道型が消える程でもない。

 広葉樹はほとんどなく、傾斜もきついので、我慢の登りだ。
 気温はおそらく、尋常でなく高く、軽い頭痛がしてくるほどだった。
 スギばかりの山だが、足元にアンズタケが二つほど出ているのが見えた。

 傾斜が少し緩んで、道がさらに不鮮明になると、ひと登りで東屋岳に着いた。展望皆無。
 四阿宿跡のある奥駈道は、その少し先だった。
 早くも汗だくになったので、ここで小休止。

 しばらく行くと、「お助け水」という小さな看板があった。
 下り10分とあった。
 水はまだ十分あるので、パス。

地蔵岳の一角から中八人を望む
地蔵岳を振り返る

 地蔵岳は、鎖の下がったところが数ヵ所あるが、特に問題なし。
 新しい石の不動像が建てられていた。
 最も高いところの手前が好展望で、コウヤマキが生えており、中八人と思しき山や、行仙岳・釈迦ヶ岳までよく見えた。
 今回は、釈迦ヶ岳の手前まで縦走するわけだが、その遠さに、呆れるほどだった。

 地蔵岳最高ピークから先も、地形図に表示されていない岩場の登り下りが続き、案外に時間がかかる。
 道のまん中に岩の壁があって、槍ヶ岳と書いてあったが、その名ほど立派なピークでもなかった。

 その先すぐに送電鉄塔で、振り返る地蔵岳は、さほど険悪でもない。

 激しい登降がなくなって穏やかになると、葛川辻。
 ここから上葛川まで2時間半とある。
 鉄塔巡視路があって、これを使えば、笠捨山をエスケープできると思われたが、奥駈を歩くのが目的で来てるのでもちろん、尾根道を行く。

笠捨山の登りにて見たツガの木
シロヤシオの森みごと

 笠捨山へは、標高差200メートルの登りだが、この日の登りでは最もきつい。
 尾根の北側にブナが目立ってくる中、頑張りどころだ。

 笠捨山のピークは、部分的に展望もあるが、まことに暑く、展望を楽しむ余裕はなかった。
 山頂の一角には、新しい妙な道祖神が建てられており、これまた妙な説明文が添えてあった。
 自分の信仰を持つのは勝手だが、山頂は多くの登山者が行き交う、パブリックなスペースである。
 こういうのは、個人の信念を宣伝するに等しい行為ではないのだろうか。

 笠捨山の下りで、せっかく登った高度の大半を失う。
 次の主要ピークである行仙岳まで、非常に長い登降である。
 小ピークに巻き道はひとつもなく、馬鹿丁寧なほど忠実に尾根上を行く。

 鉄塔巡視路を合わせてしばらくで、行仙宿跡。避難小屋の位置はここではない。
 立派なヒノキが生えているが、すでに枯れている。
 幹は生き生きしているので、枯れたのはここ数年のことだろう。

 ルリセンチコガネが何匹も、動物の糞を転がしながら、登山道を横断していた。

行仙宿跡の大桧(枯れている)(大きな写真)
ルリセンチコガネが多い

 ちょっとした二重山稜のところは、カラ池。
 大蛇伝説を記した説明板が立っているが、水は全く溜まっていない。

 行仙宿山小屋の達つ笠捨越から行仙岳までの区間も、意外に遠く、登り下りもあるのだが、いくらか巻いていくので、助かる。
 白谷トンネルからの道を合わせると、手製の山頂標識の賑やかな山頂はすぐだった。

 電波塔と造成された広大な平坦地のある山頂で、倒木に腰を下ろして、本日最初のまとまった休憩をとる。
 当初の予定では、この下から入山するはずだったのだが、ともかく、ここまで無事にたどり着くことができてよかった。
 目の前には、倶利伽羅岳と転法輪岳がそびえているが、あれらを越えれば、本日の泊まり場に着けるのである。

行仙岳から転法輪岳(手前右)・釈迦ヶ岳(遠景奥)を望む
切り株に生えたリョウブ

 行仙岳の下りで、右足の膝裏に痛みを感じるようになった。
 あまりよくないので、この先は特にていねいに歩くよう、心がけた。

 このあたりから周囲は、植林地ではなく、ブナやカエデ、シロヤシオなどの自然林が多くなる。
 ブナやカエデの森は、奥駈道では見慣れてきたが、シロヤシオの大木が続いている様子は、なかなかみごとだった。

ブナの尾根1
ブナの尾根2(大きな写真)

 怒田宿跡にも下り10分という、水場の表示があった。
 地形図で見ると、沢状部に水が湧いていれば近いのだが、10分かかるということは、かなり下るとみなければならない。
 ここで水が得られれば安心だが、往復30分近くもかける余裕はないので、先を急ぐ。

 さらに1時間ほども登降を続けて、倶利迦羅岳。
 転法輪岳まで行けば、ほっとするのだが、登り下りが続いて、すぐに着けそうな感じはしない。

 陽もずいぶん傾いてきた頃にようやく、転法輪岳に着いた。
 ふだんはこんな時間まで行動することはないのだが、天気が崩れる様子もないので、翌日のコースをできるだけ縮めるために、ここまで来た。
 この時点で、平治ノ宿まで、あと40分ほどとみた。
 さらに、平治ノ宿に4時半までに着くことができれば、持経ノ宿まで行くことにした。

 転法輪岳に「平治ノ宿まで20分」という表示があったので、不審に思ったのだが、平治ノ宿の小屋は、地形図にあるよりいくらか転法輪岳寄りに建っていた。
 小屋の中には誰もおらず、快適に泊まれそうな小屋ではあったが、ここでは水を補給するにとどめて、考えていたとおり、持経ノ宿に向かうことにした。

 「水場まで5分」という表示があったが、実際には、もう少しかかる。
 登りは早く歩けないので、往復少なくとも15分はかかった。

 水は幸い、十分に出ていた。
 やや重くなったザックを背負いなおして、先へ向かう。
 中又尾根分岐のピークを越えてしばらく行ったところに、ミズナラの大木。
 さらにそのすぐ先にミズナラの巨木があった。
 斜めに伸びた木だが、これほどのミズナラを見たのは、久しぶりだった。

巨ミズナラ(大きな写真)
千年桧(大きな写真)

 右側に林道が近づくと、今度は、持経の千年桧を見る。
 実際に樹齢が1000年かどうかはわからないが、玉置神社の巨杉に匹敵する巨大なヒノキだった。

 持経ノ宿の小屋は、林道に出てすぐだった。
 泊り場着5時17分。最近になく、ばてた一日だった。

 この小屋は、自治体などが建設したものでないのか、「新宮山彦ぐるーぷ」が管理している。
 管理費として志納金を木箱に入れるよう、書いてあったので、小屋のノートに記帳して、1000円を入れた。

 小屋内には、さまざまな備品が整えられているが、暗いので何があるかもよく見えなかった上、とりあえず自分には不足なものもないので、手を触れることもなかった。

 水場は、林道をしばらく行ったところだった。
 沢の源頭なので、水はたっぷり出ていた。
 登り下り不要で、大量に水の出ているこの水場は貴重だ。
 ここで、炊事用水と翌日の行動用水として、計4.5リットルほど汲んだ。

 日はすぐに暮れた。
 ここも他に宿泊者はなく、のんびり過ごすことができた。

 朝からものを殆ど食わずに歩いてきたので、レトルトと乾麺の二食分の食事をして、取っておきの500ミリリットルの酒を飲んだら、すぐに眠くなった。

 ところが、夜半にいささか、問題が起きた。
 ひとつは、やぶ蚊である。
 ふだん、標高の高い避難小屋に泊まることが多いので、蚊を見ることはないのだが、標高1000メートル内外のこの小屋には、蚊が寄ってきて、不快だった。
 蚊取り線香もおいてあったが、自分のものでないので、使わなかった。

 食糧は、天井から下がっていた針金に掛けておいたのだが、ゴミ袋を床の上に置いておいたら、夜中に袋を引っ掻き回す音がした。
 やはり、鼠がいるのである。
 こちらは、ゴミ袋も吊るしたら、二度と出てくることはなかった。

 蒸し暑い夜だったが、シュラフから出ると蚊に刺されるので、暑いのを我慢するほかなかった。
 それでも、明け方近くにはずいぶん、涼しくなった。

2日目

 気温が高く、熱雷の発生しそうな感じだったので、翌日は、なるべく早く、前鬼に着こうと考えた。
 そこで、朝は4時半に起きて、5時過ぎに出発した。

 樹間から見える東の空がオレンジ色に染まるなか、小屋を出て、急登の途中で、これまた樹間からのご来光を見た。
 右膝は、相変わらず痛かった。

夜明け
オトギリソウ咲く

 阿須伽利岳へは、なかなかに辛い登りだった。
 ここを急降下して、次の証誠無漏岳に向かう。
 この二座の山名は、あまりにも不自然である。とくに、ショウセイムロウダケは、どう考えても、いただけない。

 この日に登る予定の山で、地形図に名のある最初のピークである涅槃岳へは、長いが緩傾斜の登りとなる。
 持経ノ宿を出てからは、植林地はなく、ブナ林がずっと続いた。

証誠無漏岳から涅槃岳を望む
涅槃岳あたりから見た奥駈南部(大きな写真)

 涅槃岳からまたも一気に下って、登り返す。
 登り返して少し行くと滝川辻で、花瀬へのエスケープルートが下っている。

落ちたヒメシャラ
オニルリソウ咲く

 シロヤシオやドウダンツツジの多い般若岳という小ピークを越えると、地蔵岳への登りになる。
 昨日越えてきた地蔵岳と至近距離にあるので、紛らわしい。
 草原状の緩やかな登りが長く続き、振り返れば、さっき越えてきた涅槃岳やさらに南の山々が一望できた。

ヤマジノホトトギス
地蔵岳手前から涅槃岳・笠捨山

 嫁越峠へ急降下してさらに急登で、奥守岳へ。

 北部奥駈は、険しいところもあるが、ピークを巻くところも多い。
 一方、今回のルートは、標高が低いとはいえ、巻き道はなく、しかも少しずつ標高をあげていく。
 逆峰より順峰の方が苦しく、それだけ修行のしがいもあろうというものだ。

公園のようなブナ林
転倒したブナが多い

 天狗山を越えれば、残りの歩程に急登はない。
 が、残りが下り一方でもないのが、つらいところだ。

 シャクナゲが密生し、道が狭くなると、石楠花岳。
 ここは刈り払うべきでないと思う。

 次のピークは巻き過ぎるが、仙人舞台石という標識のある最後のピークは、巻かずに登る。
 これを下ると、大日岳の鋭峰が迫ってきて、一年ぶりの太古ノ辻に着いた。

ガスに隠れる釈迦ヶ岳(大きな写真)
ツキヨタケ

 膝は痛いが、悪化することはなく、一進一退状態で、ていねいに歩けば問題なかったし、前鬼までは知った道である。
 一息入れて、ゆるゆると下った。

二つ岩
ミズナラ大木(大きな写真)

 太古ノ辻直下の階段下りはやや辛かったが、その先は傾斜もさほどでなく、らくに下れた。
 岩場に木の生えたところの下は、ツガ・トチの巨木帯である。
 山ヒルの出るのはこのあたりだと思われるので、膝も痛いことなので、今回はヤブの中を歩き回るのはやめて、登山道から巨木群を鑑賞するにとどめた。

センボンイチメガサ
行者堂

 前鬼に着いたのはお昼過ぎだったが、小仲坊の五鬼助さんはまだ、来ておられなかった。

 天候には恵まれたとはいえ、とても苦しい二日間だった。
 山行中、頭に巻いたタオルの汗を何度も絞りながら歩いたのは、甲斐駒・黒戸尾根以来だった。
 高気圧に覆われて暑くなった上、標高が低いため暑さが倍加したのだろう。

 まもなくやってきた五鬼助さんに中に入れてもらうと、土砂降りの夕立がやってきた。