1日目
白谷トンネルから入山しようと考えて、国道425号を自動車で走っていたら、「東屋岳・地蔵岳登山口」という小さな道標が目に入った。
地形図で確認して、東屋岳まで1時間かかったとしても、平治ノ宿までであれば十分行けるし、平治ノ宿を早発ちすれば、前鬼まで行くのも苦労でないと思われた。
時刻が9時半過ぎと、ちょっと遅いのは問題だったが、仮にスピードが上がらなかったとしても、行仙宿にも小屋があるので、ペースによって、宿泊地を変えることも可能だと考えた。
道標のところから斜面にとりつくと、薄い踏み跡がスギ林に続いていた。
伐り頃のスギで、手もよく入っているが、このご時世に、伐られる様子はない。
至るところに枝が散乱し、道を覆ってはいるが、道型が消える程でもない。
広葉樹はほとんどなく、傾斜もきついので、我慢の登りだ。
気温はおそらく、尋常でなく高く、軽い頭痛がしてくるほどだった。
スギばかりの山だが、足元にアンズタケが二つほど出ているのが見えた。
傾斜が少し緩んで、道がさらに不鮮明になると、ひと登りで東屋岳に着いた。展望皆無。
四阿宿跡のある奥駈道は、その少し先だった。
早くも汗だくになったので、ここで小休止。
しばらく行くと、「お助け水」という小さな看板があった。
下り10分とあった。
水はまだ十分あるので、パス。
地蔵岳の一角から中八人を望む
| 地蔵岳を振り返る
|
地蔵岳は、鎖の下がったところが数ヵ所あるが、特に問題なし。
新しい石の不動像が建てられていた。
最も高いところの手前が好展望で、コウヤマキが生えており、中八人と思しき山や、行仙岳・釈迦ヶ岳までよく見えた。
今回は、釈迦ヶ岳の手前まで縦走するわけだが、その遠さに、呆れるほどだった。
地蔵岳最高ピークから先も、地形図に表示されていない岩場の登り下りが続き、案外に時間がかかる。
道のまん中に岩の壁があって、槍ヶ岳と書いてあったが、その名ほど立派なピークでもなかった。
その先すぐに送電鉄塔で、振り返る地蔵岳は、さほど険悪でもない。
激しい登降がなくなって穏やかになると、葛川辻。
ここから上葛川まで2時間半とある。
鉄塔巡視路があって、これを使えば、笠捨山をエスケープできると思われたが、奥駈を歩くのが目的で来てるのでもちろん、尾根道を行く。
笠捨山の登りにて見たツガの木
| シロヤシオの森みごと
|
笠捨山へは、標高差200メートルの登りだが、この日の登りでは最もきつい。
尾根の北側にブナが目立ってくる中、頑張りどころだ。
笠捨山のピークは、部分的に展望もあるが、まことに暑く、展望を楽しむ余裕はなかった。
山頂の一角には、新しい妙な道祖神が建てられており、これまた妙な説明文が添えてあった。
自分の信仰を持つのは勝手だが、山頂は多くの登山者が行き交う、パブリックなスペースである。
こういうのは、個人の信念を宣伝するに等しい行為ではないのだろうか。
笠捨山の下りで、せっかく登った高度の大半を失う。
次の主要ピークである行仙岳まで、非常に長い登降である。
小ピークに巻き道はひとつもなく、馬鹿丁寧なほど忠実に尾根上を行く。
鉄塔巡視路を合わせてしばらくで、行仙宿跡。避難小屋の位置はここではない。
立派なヒノキが生えているが、すでに枯れている。
幹は生き生きしているので、枯れたのはここ数年のことだろう。
ルリセンチコガネが何匹も、動物の糞を転がしながら、登山道を横断していた。
行仙宿跡の大桧(枯れている)(大きな写真)
| ルリセンチコガネが多い
|
ちょっとした二重山稜のところは、カラ池。
大蛇伝説を記した説明板が立っているが、水は全く溜まっていない。
行仙宿山小屋の達つ笠捨越から行仙岳までの区間も、意外に遠く、登り下りもあるのだが、いくらか巻いていくので、助かる。
白谷トンネルからの道を合わせると、手製の山頂標識の賑やかな山頂はすぐだった。
電波塔と造成された広大な平坦地のある山頂で、倒木に腰を下ろして、本日最初のまとまった休憩をとる。
当初の予定では、この下から入山するはずだったのだが、ともかく、ここまで無事にたどり着くことができてよかった。
目の前には、倶利伽羅岳と転法輪岳がそびえているが、あれらを越えれば、本日の泊まり場に着けるのである。
行仙岳から転法輪岳(手前右)・釈迦ヶ岳(遠景奥)を望む
| 切り株に生えたリョウブ
|
行仙岳の下りで、右足の膝裏に痛みを感じるようになった。
あまりよくないので、この先は特にていねいに歩くよう、心がけた。
このあたりから周囲は、植林地ではなく、ブナやカエデ、シロヤシオなどの自然林が多くなる。
ブナやカエデの森は、奥駈道では見慣れてきたが、シロヤシオの大木が続いている様子は、なかなかみごとだった。
怒田宿跡にも下り10分という、水場の表示があった。
地形図で見ると、沢状部に水が湧いていれば近いのだが、10分かかるということは、かなり下るとみなければならない。
ここで水が得られれば安心だが、往復30分近くもかける余裕はないので、先を急ぐ。
さらに1時間ほども登降を続けて、倶利迦羅岳。
転法輪岳まで行けば、ほっとするのだが、登り下りが続いて、すぐに着けそうな感じはしない。
陽もずいぶん傾いてきた頃にようやく、転法輪岳に着いた。
ふだんはこんな時間まで行動することはないのだが、天気が崩れる様子もないので、翌日のコースをできるだけ縮めるために、ここまで来た。
この時点で、平治ノ宿まで、あと40分ほどとみた。
さらに、平治ノ宿に4時半までに着くことができれば、持経ノ宿まで行くことにした。
転法輪岳に「平治ノ宿まで20分」という表示があったので、不審に思ったのだが、平治ノ宿の小屋は、地形図にあるよりいくらか転法輪岳寄りに建っていた。
小屋の中には誰もおらず、快適に泊まれそうな小屋ではあったが、ここでは水を補給するにとどめて、考えていたとおり、持経ノ宿に向かうことにした。
「水場まで5分」という表示があったが、実際には、もう少しかかる。
登りは早く歩けないので、往復少なくとも15分はかかった。
水は幸い、十分に出ていた。
やや重くなったザックを背負いなおして、先へ向かう。
中又尾根分岐のピークを越えてしばらく行ったところに、ミズナラの大木。
さらにそのすぐ先にミズナラの巨木があった。
斜めに伸びた木だが、これほどのミズナラを見たのは、久しぶりだった。
右側に林道が近づくと、今度は、持経の千年桧を見る。
実際に樹齢が1000年かどうかはわからないが、玉置神社の巨杉に匹敵する巨大なヒノキだった。
持経ノ宿の小屋は、林道に出てすぐだった。
泊り場着5時17分。最近になく、ばてた一日だった。
この小屋は、自治体などが建設したものでないのか、「新宮山彦ぐるーぷ」が管理している。
管理費として志納金を木箱に入れるよう、書いてあったので、小屋のノートに記帳して、1000円を入れた。
小屋内には、さまざまな備品が整えられているが、暗いので何があるかもよく見えなかった上、とりあえず自分には不足なものもないので、手を触れることもなかった。
水場は、林道をしばらく行ったところだった。
沢の源頭なので、水はたっぷり出ていた。
登り下り不要で、大量に水の出ているこの水場は貴重だ。
ここで、炊事用水と翌日の行動用水として、計4.5リットルほど汲んだ。
日はすぐに暮れた。
ここも他に宿泊者はなく、のんびり過ごすことができた。
朝からものを殆ど食わずに歩いてきたので、レトルトと乾麺の二食分の食事をして、取っておきの500ミリリットルの酒を飲んだら、すぐに眠くなった。
ところが、夜半にいささか、問題が起きた。
ひとつは、やぶ蚊である。
ふだん、標高の高い避難小屋に泊まることが多いので、蚊を見ることはないのだが、標高1000メートル内外のこの小屋には、蚊が寄ってきて、不快だった。
蚊取り線香もおいてあったが、自分のものでないので、使わなかった。
食糧は、天井から下がっていた針金に掛けておいたのだが、ゴミ袋を床の上に置いておいたら、夜中に袋を引っ掻き回す音がした。
やはり、鼠がいるのである。
こちらは、ゴミ袋も吊るしたら、二度と出てくることはなかった。
蒸し暑い夜だったが、シュラフから出ると蚊に刺されるので、暑いのを我慢するほかなかった。
それでも、明け方近くにはずいぶん、涼しくなった。
2日目
気温が高く、熱雷の発生しそうな感じだったので、翌日は、なるべく早く、前鬼に着こうと考えた。
そこで、朝は4時半に起きて、5時過ぎに出発した。
樹間から見える東の空がオレンジ色に染まるなか、小屋を出て、急登の途中で、これまた樹間からのご来光を見た。
右膝は、相変わらず痛かった。
夜明け
| オトギリソウ咲く
|
阿須伽利岳へは、なかなかに辛い登りだった。
ここを急降下して、次の証誠無漏岳に向かう。
この二座の山名は、あまりにも不自然である。とくに、ショウセイムロウダケは、どう考えても、いただけない。
この日に登る予定の山で、地形図に名のある最初のピークである涅槃岳へは、長いが緩傾斜の登りとなる。
持経ノ宿を出てからは、植林地はなく、ブナ林がずっと続いた。
証誠無漏岳から涅槃岳を望む
| 涅槃岳あたりから見た奥駈南部(大きな写真)
|
涅槃岳からまたも一気に下って、登り返す。
登り返して少し行くと滝川辻で、花瀬へのエスケープルートが下っている。
落ちたヒメシャラ
| オニルリソウ咲く
|
シロヤシオやドウダンツツジの多い般若岳という小ピークを越えると、地蔵岳への登りになる。
昨日越えてきた地蔵岳と至近距離にあるので、紛らわしい。
草原状の緩やかな登りが長く続き、振り返れば、さっき越えてきた涅槃岳やさらに南の山々が一望できた。
ヤマジノホトトギス
| 地蔵岳手前から涅槃岳・笠捨山
|
嫁越峠へ急降下してさらに急登で、奥守岳へ。
北部奥駈は、険しいところもあるが、ピークを巻くところも多い。
一方、今回のルートは、標高が低いとはいえ、巻き道はなく、しかも少しずつ標高をあげていく。
逆峰より順峰の方が苦しく、それだけ修行のしがいもあろうというものだ。
公園のようなブナ林
| 転倒したブナが多い
|
天狗山を越えれば、残りの歩程に急登はない。
が、残りが下り一方でもないのが、つらいところだ。
シャクナゲが密生し、道が狭くなると、石楠花岳。
ここは刈り払うべきでないと思う。
次のピークは巻き過ぎるが、仙人舞台石という標識のある最後のピークは、巻かずに登る。
これを下ると、大日岳の鋭峰が迫ってきて、一年ぶりの太古ノ辻に着いた。
膝は痛いが、悪化することはなく、一進一退状態で、ていねいに歩けば問題なかったし、前鬼までは知った道である。
一息入れて、ゆるゆると下った。
太古ノ辻直下の階段下りはやや辛かったが、その先は傾斜もさほどでなく、らくに下れた。
岩場に木の生えたところの下は、ツガ・トチの巨木帯である。
山ヒルの出るのはこのあたりだと思われるので、膝も痛いことなので、今回はヤブの中を歩き回るのはやめて、登山道から巨木群を鑑賞するにとどめた。
センボンイチメガサ
| 行者堂
|
前鬼に着いたのはお昼過ぎだったが、小仲坊の五鬼助さんはまだ、来ておられなかった。
天候には恵まれたとはいえ、とても苦しい二日間だった。
山行中、頭に巻いたタオルの汗を何度も絞りながら歩いたのは、甲斐駒・黒戸尾根以来だった。
高気圧に覆われて暑くなった上、標高が低いため暑さが倍加したのだろう。
まもなくやってきた五鬼助さんに中に入れてもらうと、土砂降りの夕立がやってきた。