修験の道
- 山上ヶ岳・大普賢岳・行者還岳 -

【年月日】

2009年8月23〜24日
【同行者】 単独
【タイム】

8/23 五番関トンネル (8:27)−五番関 (8:42)−鍋冠行者堂 (9:04)−今宿跡 (9:26)
   −洞辻茶屋 (10:05-10:10)−大峰山寺・山上ヶ岳 (11:00)−阿古滝分岐 (11:38)
   −小笹ノ宿 (12:00)
8/24 小笹ノ宿 (5:40)−柏木分岐・女人結界 (6:09)−脇ノ宿跡 (6:17)
   −経筥岩分岐・経筥岩往復 (6:54-7:04)−小普賢岳 (7:10)−和佐又分岐 (7:17)
   −大普賢岳 (7:24-7:32)−国見岳 (8:15)−稚児泊 (8:30)−七ツ池 (8:43)
   −和佐又分岐 (9:03-9:13)−行者還岳 (10:03)−行者還宿 (10:33-10:46)
   −天川辻 (10:49)−シナの木出合 (11:44)−一ノ垰 (11:53)
   −トンネル東口分岐 (11:56)−奥駈出合 (12:19)−トンネル西口 (13:14)

【地形図】 弥山、洞川 ルート地図

1日目

役の行者像
竜の石像

 五番関トンネルの駐車場からスタート。
 尾根までは、植林の中を少しの登りだ。

 五番関からは、尾根の左側をトラバース気味に登っていく。
 右がブナ、左がヒノキだが、いずれもまだ若い林だ。
 大きな伐根がところどころに残っているので、さほど古くない以前まで、原生林だったのだろう。

 スギ林の中に、鍋冠行者堂というお堂があり、由来書きの看板が立てられている。
 そこには、火を吹く大蛇の襲撃を受けた役の行者が、ヘルメット代わりに鍋をかぶって大蛇を斬り殺したところから、鍋をかぶった行者像が祀られるようになったとあった。

 スギ林が見えなくなると、ブナの壮年林。とても風情のよいところだ。
 今宿跡という平坦地を過ぎ、ロープの下がった岩を登ると、ウラジロモミやカエデ類の林となる。
 ここもまた、美しいところだった。

 洞川からのメインルートが合流する洞辻茶屋は、長屋状になった茶店の真ん中を参道が通っている。
 茶屋の入口には円満不動、出口には出迎不動という銅製の不動明王像が建てられていた。

 ここから大峰山寺までの間には、さまざまな石造物・石像が林立している。
 ほとんどは山上ヶ岳に何十回登ったという個人の記念碑だが、中には古そうな役の行者像や、神剣にからみつく不気味な竜を彫った像もあった。

 前方に山上ヶ岳の宿坊が見えてくると、西の覗の行場への分岐。
 西の覗はちょっとした絶壁なのだが、荒行と称して登山者をロープで吊す危険なことをやっていた。
 人間を吊すロープ自体は太いのだが、その末端はどこにもビレイされておらず、係員もちゃんと確保しているわけではない。
 いわば「落ちたらお終い」状態で、人を吊しているのだった。

これも役の行者?
シシウドと大峰山寺

 その先しばらくで、お花畑と大峰山寺の分岐。
 どちらを行っても同じだが、大峰山寺の方に興味があるので、ここは左の道をとる。

 宿坊街から石段を登ったところが、大峰山寺の境内だった。

 本堂は瓦葺きだが、比較的シンプルな作りの地味な建物で、山岳宗教の行場に似つかわしく感じた。
 ここでお札を買い求めた後、お花畑に登ってみる。

 山上ヶ岳の山頂は、ササに覆われた展望のよいところで、目の前に稲村ヶ岳が立派にそびえていた。
 この前に稲村ヶ岳に行ったのは、もう17年も前になるが、山上ヶ岳より標高も高い上、大日のキレットなど、行場にふさわしい山容の山だった。

大峰山寺本堂(大きな写真)
山上ヶ岳から稲村ヶ岳を望む

 お寺に戻り、小笹ノ宿に向かって下る。
 オオイタヤメイゲツの林が、涼しげで気持ちよい。

 山伏の姿をしてるパーティとすれ違う。
 いずれも軽装だが、「さーんげさんげ、ろっこんしょうじょう」と叫びながら歩くので、体力を使いそうだ。
 どこから来たのか、もうずいぶん元気のない人もいた。

 阿古滝への分岐を見るが、そちらへの道は消えそうだ。
 道わきに、ウロのできた大きなヒノキを見ると、小笹ノ宿。この日の泊まり場だ。
 小さい避難小屋なので、満員だったら困ると思い、テントを持参したのだが、時間が早かったためか、まだ誰もいなかった。

カエデの森
小笹ノ宿の大ヒノキ

 とりあえず寝場所を確保して、小屋の周囲を散策。

 周囲は苔むした針・広混淆林で、すぐわきに小さな流れがある。
 水量はじゅうぶんで、尾根近くの泊まり場としては、申し分ない。
 一帯には、古そうな石積みがあり、かつて多くの建物が建っていたことがうかがえる。

 小屋前には、「大峰山小笹根本道場」と彫られた石柱と赤く塗られたお堂があるが、扉は施錠されており、中を覗くことはできない。
 お堂前の一角には従者を伴った不動像があり、岩場の前には、長い棒を持った行者の像がある。
 また、心ない登山者による、堂宇や仏像損壊等の非行を禁じる制札がある。

 ここは世界文化遺産の核心部であり、修行の場であるという意識が必要だと思うのだが、小屋の前には、捨てられた空き缶やペットボトルなどが積まれており、行者ならずとも、その罰当たりな行為に憤りを感じた。

小笹ノ宿避難小屋
苔むす森1(大きな写真)

 さすがにまだ暑い季節ではあるが、小屋の回りではヤマトリカブトやサラシナショウマが咲き、秋の訪れを感じさせた。

苔ひかる1(大きな写真)
苔ひかる2(大きな写真)

 夕方近くに登山者が二人到着し、その日の宿泊者は都合3人となった。
 小さな小屋のため、余裕を持って泊まるには、これくらいの人数がちょうどよい感じだった。

 天気も悪くなく、日没前後に尾根に登ると、墨絵のように暮れていく台高北部の山並みが美しかった。

苔ひかる3(大きな写真)
石畳の道

トリカブト咲く水場
夕暮れの台高山脈

2日目

 出発前にまた尾根へ登ってみると、朝焼けが気にはなったものの、この日もまた穏やかに晴れていた。
 重荷を背負い直して竜ヶ岳の巻き道を行く。
 泊まり場近くの登山道には、石畳が敷かれていて、これはいつ頃のものなのか、興味をひかれる。

 相変わらずブナ・ウラジロモミの鬱蒼とした森が続き、五感が癒される道が続く。
 ヒガラ・メボソムシクイ・ルリビタキの声だけが聞こえる。
 道わきに一本、周囲を圧する大ヒノキがあって、感銘を受けた。

ブナとウラジロモミの森
大ヒノキ

 柏木への分岐は、女人結界のある阿弥陀ヶ森。
 さらにしばしで、脇ノ宿あとの小広場。
 広場の中央にウラジロモミの大木が生えている。

 ゆるく下っていくと、前方に大普賢岳に連なる岩壁の一角が見えてくる。
 昔の行者も、こういう景色を見て気を引き締めたのだろう。

脇ノ宿跡の大ウラジロモミ
経筥岩近くから大普賢岳の一角を望む

 見た目は凄いが、登山道は、傾斜のゆるい尾根の西側につけられているので、シャクナゲの中の伐り開きを坦々と登っていく。

 尾根が広がり、不鮮明になったあたりに、経筥(きょうばこ)岩への分岐。
 経筥岩とはなんだろうか。
 踏みあとに従い、尾根の縁から木の根伝いにずり下ると、大岩に四角い彫り込みがあるのだった。

 荷を背負い直して少し登ると小普賢岳だが、いつの間にか周囲はガスに覆われ、目の前の大普賢岳も見えなくなってしまった。
 和佐又からの登山道を分けると、大普賢岳。
 展望雄大なはずだが、ガスのため、今ひとつ、すっきりしなかった。
 とはいえ、これから向かう行者還岳あたりは、どうにか見えていた。

カエデの道
巨岩を抱くヒノキ

 国見岳へは、尾根の北側を下り気味に行く。
 ササの下生えの中、オオイタヤメイゲツの壮年木の林が美しい。
 ここが紅葉したら、どんなにみごとだろう。

 登山道は国見岳の南を巻いていく。
 山名からして絶景が得られるかと期待して、山頂に登ってみたが、残念ながら展望なし。
 シャクナゲ・ヒノキ・ウラジロモミ・リョウブに囲まれたピークだった。

 このあたりがこのコースの核心部で、鎖場を下って岩壁をトラバース。
 通過し終わったところに大岩を抱くヒノキがあり、稚児泊の小広場を過ぎると、また尾根が不鮮明になる。

 七ツ池(鬼ノ釜)はちょっとした二重山稜で薄暗いところ。
 七曜岳手前に出ると尾根の上で、一気に明るくなる。
 ガスが晴れ、目の前はバリゴヤの頭で、ギザギザの稜線が威圧的だ。
 足元にはタカネママコナが咲き、ちょっとほっとする。

 七曜岳はピーク上に岩があって大普賢岳方向が見える。
 先ほどのガスはほとんど晴れたのだが、大普賢岳にまとわりつくガスだけは晴れてくれなかった。

タカネママコナ
行者還岳山頂

 少し下ると、無双洞経由で和佐又に下る分岐。
 疲れはないが、ここで小休止。

 その先も風情のよいカエデ林だが、ヒメシャラやウダイカンバも混じり始める。
 昭和40年5月に遭難した学生の碑を見ると、明るいブナの疎林になる。

 ゆるく登っていくと、行者還岳の分岐。
 ブナの点在するササの斜面を登っていくと、行者還岳。
 三角点は展望皆無だが、絶壁になったピークの南からは、足もとの行者還小屋から弥山、さらに奥駈道中部の峰の連なりが一望できた。

トリカブト咲く尾根
ヒラタケが出ていた

 山頂から南へ下る道が見あたらなかったので、来た道を戻り、先ほどの分岐から巻き道に入る。
 鎖を交えた急降下で行者還の水場。
 ここは小屋の水源をも兼ねているようだが、水量はたいへん細く、十分な水を汲むにはやや時間がかかると思われる。

 水場からは平坦な道を少しで、行者還小屋だった。
 ここは、ほんとに無料で泊まっていいのかと思われるほど、豪華なログハウスだった。
 小屋には、トイレや流しまで完備されていたが、水道は煮沸利用のことという注意が書かれていた。

 小屋から少し南に行くと、天川出合。
 「電線路安全 通行人安全」と彫られた地蔵が祀られている。

 カエデとブナの穏やかな道を登降していくと、ヤマトリカブトの群生地を通ってミゾホオズキやソバナの咲く西側のトラバース。
 このあたりから植生が少し変わった気がする。

 行者還トンネル西口への分岐には、シナの木出合と記された道標が立っていたが、周囲にそれらしきシナはなかった。
 その先しばしで、一ノ垰。
 ここの避難小屋は、窓が破れ、入口の戸や床がないばかりか、内部にはゴミが散乱しており、今にも倒壊しそうで、全く利用不能。

 行者還トンネル東口への分岐には、東口まで40分、ナメゴ谷橋まで1時間、天ヶ瀬まで2時間20分と記してあった。
 ここから弥山方面へは、尾根の北側を行く。

 奥駈出合まではすぐだった。
 鈴の音がにぎやかに聞こえてきたと思ったら、30名ほどの団体ツァー客が登ってきたので、しばし待機。
 添乗員らしき人がここで飴をなめろなどと指示していた。

 弥山へ安易に登れさえすればよいのだろう。
 まったく理解に苦しむ人々だ。

 出合からトンネル西口までは、小1時間ほどだった。
 小坪谷をのぞくと、アメノウオが泳いでいたので、毛鉤を振ってみたが、見向きもされなかった。