紅葉には早かった両神山

【年月日】

2011年10月29〜30日
【同行者】 全部で13名
【タイム】

10/29 日向大谷口(10:10)−会所(10:37-10:45)−八海山(11:30-11:40)−清滝小屋(12:20)
10/30 清滝小屋(5:52)−両神神社奥社(6:30-6:40)−剣ヶ峰(7:05-7:25)−清滝小屋(8:39-9:00)
     −八海山(9:290-9:35)−会所(10:15-10:25)−日向大谷(11:07)

【地形図】 長又、両神山 ルート地図

黄葉進む

落葉したシオジ林

1日目

 両神山に行くのは、ひさびさだった。
 今回は、剣が峰から八丁尾根を縦走して坂本に降りるという、内容あるコースを計画していたので、楽しみでもあった。

 天気は快晴。日向大谷から歩き始めると、早くも下山してくる登山者と、しばしばすれ違った。

 まずは会所で小休止。
 ここまではあまり登らないので、疲れもなし。
 周囲の広葉樹はまだほとんど、紅葉していなかった。

 七滝沢を渡って引き続き、沢沿いをトラバースしていく。  薄川をつごう4度渡り返しつつ高度を上げていくのだが、荷物が重かったせいか、今までここを歩いた時よりずいぶん、疲れた。
 このあたりは、広葉樹が多く、岩壁に紅葉が映えるのだが、ここでもまだ山は濃い緑色なのだった。

 最後の渡渉から八海山まで、すぐだという記憶があったのだが、実際には、標高差にしてさらに50メートルほど登ったところだ。
 八海山大神の石像がなかなか見えてこないので、ひょっとして見過ごしてくてしまったかと思ったほど、疲れた。

 小屋を覗いてみると、宿泊室にザックが二つ、転がっているだけだったので、小屋で泊まることにした。
 この小屋の前を通ったことは何度もあるが、中を覗いたのは初めてだった。
 先日まで営業小屋だっただけあって、たいへん立派な小屋だ。

 問題は、水場の水が極端に細いことだった。
 水場の蛇口から水がほとんど出ておらず、小屋裏の清滝も、完全に枯れいていた。
 とはいえ、ごくわずかながら、水は出ていたので、気長に溜めて使えば使えないことはなかった。

 日帰り登山者が、夕方前まで、小屋前で談笑していたので、こっちが心配するほどだったが、暗くなる前にはいなくなり、小屋の周囲は静かになった。


2日目

樹間からのご来光(大きな写真)

奥社前のお狗さま

 朝は、予定より少し早く出発。
 周囲はガスだったので、残念ではあった。

 七滝沢コース分岐までは、シオジやカエデの樹林帯。
 ここも紅葉のいい所で、いくらか色づいてはいたが、ガスのため、あまりよく見えなかった。

 産帯尾根に上がると急登になり、数ヵ所の鎖場を登る。
 途中で、樹林帯ながら、ご来光。
 ガス越しの太陽はなかなか美しいのである。

 それほど疲れてもいなかったが、両神神社奥社で小休止。
 ここまで来れば、剣ヶ峰はもうすぐだ。
 小屋のあたりはガスだったが、鎖場から上部は雲海の上で、赤く染まった山頂付近からの展望はよさそうだった。
 問題は、ガスが上ってこないかどうかだった。

 山頂からの展望は、両神山としては、かなりグレード高いものだった。
 晴れればよく見える山頂ではあるのだが、この日は見渡すかぎりの雲海に、秩父から奥秩父、富士山、八ヶ岳、浅間連峰などが浮かんでおり、ところどころに低山が、孤島のように顔を出しているのだった。

 しばらく景色を楽しんだ後、下山にかかる。

富士山遠望(大きな写真)

雲洗う赤岩尾根(大きな写真)

 産帯尾根から急降下にかかったところで、登ってきた登山者から、七滝沢コースに少し下ったところに動けない人がいるという情報を得た。
 事故や病気であれば、救援する必要があるのだが、われわれの方にも体調不良者がいて、無事に下山できるかは不透明な状況だった。
 体調不良者の足は、明け方よりも多少回復しており、自力下山がどうにか可能ということだったので、パッキングをしなおしてすぐに下山することにした。
 バスの時間は調べてあったが、この際、日向大谷まで時間をかけてでも、無事に下山することが先決だった。

雲海と雲取山(大きな写真)

奥社

 八海山の先あたりで、救急車のサイレンが聞こえたので、朝の遭難者の救助が始まっていることがわかった。
 会所を過ぎると、総勢10人ほどの完全装備の救助隊をすれ違い、上空にはヘリコプターが旋回して、やや騒然としていた。
 ヘリコプターはしばらく行き来していたが、すぐに飛び去ったので、救助が行われたどうか、はっきりとはわからなかったが、おそらく救助隊に任せたのではないかと思われた。

 日向大谷へは結果的に、普通のペースで到着することができた。
 バスの待ち時間は、40分ほどだったので、川又でのバス待ちよりはずっとましだった。

 ところで、待っているうちに、救助隊の皆さんと遭難者らしい二人連れが、下山してきた。
 民宿の前で、救助隊の人が「救急車に乗りますか?」と尋ねたのに対し、先頭から二番目を歩いていた遭難者らしい人は、「いいえ、けっこうです」と答えて、われわれと同じようにバスを待っていた。

 小鹿野役場の乗り換えに時間がかかったのは想定外だったが、遭難者らしき人は、バス停でラーメンを作って食べるなど、ちっとも大変そうには見えなかった。
 いったいあれは、どういうことだったのだろうか。