秋の両神山

【年月日】

2006年10月28〜29日
【同行者】 おおぜい
【タイム】

10/28 日向大谷口(10:05)−清滝小屋(12:56)
10/29 清滝小屋(5:50)−剣ヶ峰(7:25-7:45)−清滝小屋(9:00-9:35)
     −日向大谷(11:00-11:40)−奈良尾沢峠(12:10)−納宮
     (12:50)−自宅(13:25)

【地形図】 長又、両神山 ルート地図

両神神社

清滝小屋

1日目

 前回とほぼ同じメンバーによる、1ヶ月ぶりの両神山。
 今回は、修験関係の石像をややじっくり見学しながら剣ヶ峰をめざす山行。

 日向大谷を歩き出すとすぐに観蔵行者の石像。
 この人は、江戸時代に観蔵院(現在の両神神社)で活躍した行者。
 両神修験にとって特別な存在なのか、雨ざらしでなく、覆屋の中で端座しておられる。

 ここから会所までの間に、普寛行者像が2体、一心行者像・覚明行者像が各1体。
 普寛行者は、王滝口から御嶽山を開いたあまりにも有名なお方。
 秩父出身でもあるから、ここに祀られていて何の不思議もない。

 覚明行者は尾張出身で、黒沢口から御嶽山を開いた人。
 その徳がここ武蔵の辺地までも聞こえていたのだろうか。

 一心行者は信州上田出身で御嶽山に修行したお方。
 キハダを処方したお腹の薬を伝えたともいう。

 会所からしばらくは薄川をからみながら登降していく。
 シオジを中心とする天然林と滝を連ねる薄川の渓相がマッチしてすばらしい。

 このあたり、ちょっと切り立った岩場のあるところには必ず石像が祀られている。
 不動像が八海山までに2体。
 不動様(不動明王)とは、密教の教主である大日如来の使者(もしくは変身)であり、真言行者の守り神ともされているから、このように至るところに祀られているのだろう。
 フチドリツエタケの群生も見つけた。

 白藤の滝分岐を過ぎると、神像1体を見てさらに弘法大師像。
 弘法大師は真言宗の開祖で、修験道を全国的に広める上で大きな役割を果たした人。
 周囲は、スギの大木とカツラの大木がとてもみごとだ。

 清滝小屋は、弘法の井戸の水場のすぐ先。

 小屋の裏手に日本武尊像と不動像。
 不動像の隣の石像は、猿か何かのようだ。
 清滝の中段に日本武尊の石像。

 さすが秋の土曜日の清滝小屋とあって、それなりにお客さんが入っているようすだった。
 こちらは幕営。

 曇り案配の日ではあったが、深夜から小雨がフライシートを叩く音が聞こえたが、午前3時前後にはやんでくれた。

2日目

 曇ってはいたが、雨はひとまずあがったようだった。

 薄明るくなってから出発。
 スズタケの枯れた鈴ヶ坂で七滝沢コースを合わせて尾根の上に上がる。
 天気はまずまずで、神社下の鎖場あたりでご来光。

 両神神社にお狗さま4基。
 神社の建物内に神像が安置されているが、近くで見ることはできなかった。
 神社の先に大日如来像。
 大日如来は、先にも述べたように密教の教主。

 剣ヶ峰についたときには、ほぼ快晴。
 奥秩父、富士山などが一望できたが、すぐにガスってしまった。

 ここには首のない帝釈天像と新しい清和天皇像がある。
 帝釈天は庚申信仰の主尊なのだが、両神山と帝釈天の関係は不詳。
 同様に、清和天皇が何でここにいるのかも不詳。

 せっかくの山頂だったが、あまりゆっくりできずに下山にかかる。
 下りはハイペースで、清滝小屋で撤収休憩しただけで、11時には日向大谷に着いた。

 小鹿野町まで戻ると遠回りなので、ここでバスに乗る同行者たちと別れ、一人で奈良尾沢峠に登り返す。
 奈良尾沢峠への道標はあるが、踏みあとは部分的に消えかけている。
 峠にはモミの木と小祠があるだけ。

 ここからの下り道は、もう少しで廃道になりそうなほど薄い。
 カラマツ林をジグザグに下り、納宮への尾根に乗る。

 尾根道はおおむね切り通し状で明瞭だが、林道によって尾根が切られているため、すぐに通行止め。
 林道に降りる道も作られているが、道標もなくほとんど廃道だ。

 元の尾根にずり登ってさらに峠道を下っていくと、アカモミタケが多い。
 ムラサキシメジ・ハイイロシメジもいくつか出ていた。

 新しい植林地に出ると納宮あたりの集落が見える。
 間日影集落に入ったところで、小鹿野行きのバスが通るのが見えた。
 納宮から歩いて自宅に戻った。