このコースを歩くのは三年ぶりだが、昨年も同じコースを計画したのだった。
昨年は、山行前日にかなりの雨が降った。
当日の天気は快晴だったのだが、大楢までの積雪は少なかったのに、その上は脛が没するほどの雪で、ワカンを履いても苦しむような状態だった。
どうにか、日没までに一杯水へ到着できたのだが、翌日の有間山への縦走は、断念せざるを得なかった。
今年もまた、山行数日前に降雪を見た。
たいした降水量ではなかったが、自宅周辺では、5センチほどの積雪だった。
上部の主稜線では、雪に苦しまねばならないことが想像された。
昨年、苦しんだ反省を活かして、今回は大人が一足ずつワカンを持っていった。
タクシーでダム湖の橋をわたると、路面は固く凍結しており、寒さの厳しさが思いやられた。
大日堂へ渡る橋の上も溶けた雪が再凍結して、ちょっと嫌な感じになっていた。
昨年はほとんど雪がなかった下部の登りから、今回は雪上登高を強いられた。
上部の深雪が思いやられた。
登高に苦しむほどの積雪でなかったので、歩くのに問題はなく、57号鉄塔まで至極順調に登ることができた。
この日は二つ玉低気圧の予報だった。
この気圧配置になると、高い山は大荒れになり、身動きできなくなって大変なことになるから、登山には最も不適当な状態である。
しかし、今回の低気圧は足が速く、猛スピードで訪れては去っていく予報になっていた。
また、降りだしは午後になるらしかったので、登山開始時刻を一時間早めて、早めに幕営地に着くなら雨に捕まらないで幕営できると考えていた。
実際には、登っているあいだ薄日が射し、周囲はおろか、樹間からは、浅間山や上越国境の山さえ望めるほどの好天だった。
大楢に着いた時もっとも気になったのは、上部の積雪だったのだが、雪は浅く、登高に全く問題ない状態だった。
当然のことだが、せっかく持ってきたワカンが使えない残念さよりも、雪に苦しまずにすむという安堵感のほうが大きかった。
仙元峠直下の登りは、取付きがやや不鮮明なのだが、先頭の若者が上手にルートどりしてくれたおかげで、快調に登ることができた。
仙元峠に着いてみると、雪は全くなく、夏道の状態だった。
昨年の様相とのあまりの相違に、積雪予想の難しさを思い知らされた。
とはいえ、この時期の仙元尾根を登ることは、今後もしばしばあるはずだから、いい勉強になった。
一杯水周辺の積雪は、降水量に大きく依存する。
市街地が雪であれ雨であれ、降水量が多いと大雪の可能性がある。
降雪後の気温が高いか低いかや、降雪後の日数経過などを勘案して積雪を予想する必要がある。
いずれにしても、降雪を見たあとには、仮に無駄になったとしても、ワカンを持って行くことは必要だろう。
快適な水源林道を歩いて、一杯水に着く直前に、霰が降り始めた。
小屋には誰もおらず、天気予報からして他の登山者が来る確率は低いと考え、小屋泊まりと決めた。
最大の問題は、一杯水が涸れていたことだった。
炊事用水と翌日の行動用水を取るために、谷を下るのは気が重かった。
実際、水が湧いているところまで、ずいぶん下った。
水を入れた大きなコッフェルを慎重に運びながらガレ場を登るのは、かなり苦しかった。
この時の登りで大汗をかいたために、小屋に着いてから身体を冷やしてしまい、ひき始めていた風邪が一気に悪化した。
水取りに行っているあいだに男女五人連れの中高年ハイカーが到着していた。
しとしと雨が降り始めていたので、こちらのパーティとスペースを分けあうことにした。
さらに真っ暗になり、雨も本降りになってから、タワ尾根を登ってきたという単独の若いハイカーが飛び込んできた。
こいつは困ったなと思っていたら、その人は、これから下山しますと言って、しばらくしてから出て行った。
最終バスはもう行ってしまっているから、日原あたりにマイカーをとめてあるのだろう。
それにしても、到着時間が遅すぎる。かなり無茶な人だと思った。
中高年パーティはずいぶん早く静かになった。
こちらの若者たちも周りによく気を使って、早くに静かになった。
この夜の睡眠時間は、いつになくたっぷりだった。
翌朝は、4時前にトイレを兼ねて外に出てみると、星が出ており、東京の夜景がくっきりと見えた。
予報の通り、二つ玉低気圧は去っていったようだ。
となるとこの日は冬型で、冷たい北風に見舞われるが空は澄んでいるはずだ。
三ツドッケに着いてみると、五月に来た時と同じようによく晴れており、真っ白な富士山が目に飛び込んできた。
奥多摩はもちろん、丹沢・道志山塊が殊の外近く見え、東京の都心や東京湾、房総半島あたりまでが見えていた。
三ツドッケはじつに好展望のピークである。
蕎麦粒山も東京方面がよく見えるはずなのだが、東から雲がわき始めて、都心あたりはもう見えなくなってしまっていた。
蕎麦粒山からの防火帯は、ぬかるんだところと凍結したところが交互に出てきて、転倒する人もいた。
道の状態に応じてリズミカルに歩いたほうが安全だし、疲れも少ない。
そのためには、もっともっと「慣れ」が必要なのかもしれない。
仁田山付近の笹ヤブは、ほとんど消滅していた。
初めてこのルートを歩いた25年前は、1メートル先も見えない密ヤブだったことを思うと、隔世の感がある。
この日も51号鉄塔で小休止したが、この次来るときには、仁田山で休んでもよいと思う。
有間峠から次々にピークを越えていくのだが、東からガスがやってきてまたたく間に稜線を覆ってしまった。
快晴の尾根歩きと思っていたので、これは意外で、残念だった。
タタラの頭は展望のピークではないのだが、ガスの中だったので、薄ら寒い小休止となった。
橋小屋の頭の急降下から先は新しい植林地で、展望がいいのだが、ガスが切れた時にも、谷を隔てた三ツドッケ周辺はガスに包まれてしまっていた。
そろそろ帰りのバスの時間が気になってきた。
16時のバスに間に合うのは確実なのだが、14時のバスがじつに微妙だったからである。
若者たちは、14時のバスに乗りたそうにしていたが、登り下りがまだ残っており、転倒して怪我でもしたら元も子もない。
危険箇所は慎重に、そうでない箇所ではスピードを上げるという、メリハリのある歩き方が必要なのだが、急遽SLになった若者が、なかなかうまくリードしてくれた。
冠岩を過ぎ、車道に出た段階でも、微妙な時間だったが、自動車に注意しつつ、スピードを上げていった。
残り200メートルくらいで時間切れになりそうになったが、先行していた若者がバス停に駆け込んでくれたので、運転手さんが、ラストが到着するまで待ってくれた。
バスが秩父市内に入ったころに、空が再び晴れてきた。
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