早春の雲取山

【年月日】

1989年3月21日〜22日
【同行者】 単独
【タイム】

3/21 留浦(8:41)−堂所(10:45)−ブナ坂(1:55-12:40)
   −雲取山(2:05-2:25)−雲取山荘(2:40)
3/22 雲取山荘(6:25)−霧藻ヶ峰(9:55-10:35)−三峰神社
   (11:50)

【地形図】 丹波、雲取山、三峰

大ダワにて
一日目(留浦〜雲取山荘)

 留浦のバス停で降り、鴨沢から尾根に取りつく。

 前方に高丸山が見えるところで、ひといき。
 ずいぶん、深山らしい感じ。

 空は真っ青、初夏のような陽気で暑い。

 七ツ石山を巻いていくと、西に堂々たる大洞山。
 非常に印象的、魅力的だ。

 ブナ坂の十字路からは、意外と急だが展望に恵まれた尾根歩き。
 小雲取の登りで、初めて雲取の山頂を見る。

 頂上直下の登りは、きついが、先が見えているので、ゆっくり登った。
 避難小屋は、なかなかしっかりしていた。
 山頂はほぼ三六○度近い大展望。

 次第に雲が広がりつつあったとはいえ、西側目の下に三ツ山から大洞山、さらに奥秩父縦走コースの稜線がうねり、遠く甲武信岳、国師岳などの盛り上がりが認められた。

 北西には、和名倉山の巨体が周囲を圧倒し、北には、両神山がずいぶん低くギザギザした頂稜を逆立てているのが見える。

 両神は、秩父盆地から見る雄大かつ象徴的な姿とはきわめて様相を異にしており、それほどぱっとしない。

 深雪のなか、雲取山荘に着いたのは、2時40分。

 この日の客は思ったよりはるかに少なく、今日は10人来りゃいいほうだんべ、といっていた。

 ふと窓の外を見ると、いつのまにか、小雪。
 意外だった。

 かなり寒くなってきたが、こたつに炭を入れてもらったので、もぐりこんでいれば暖かかった。
 しばらくうとうとしていたが、5時過ぎにこたつから出て、一階の土間で一人で食事の支度。

 何人かのハイカーが雪のなか小屋に飛び込んできたが、自炊は私一人だった。

 暗くなりかけると、小屋の主人がランプに火を入れてくれたが、私は7時過ぎには寝てしまった。

 雲取の夜の寒さは格別で、ずっと丸くなっていたが、ときどき寒さで目がさめた。

二日目(雲取山荘〜三峰神社)

 翌日は5時過ぎに目覚めた。
 まわりはまだ誰も起きてこようとはしない。

 夜明けはまだだが、周囲は雪明かりでほの明るかった。
 あいかわらず、小雪もよう。

 布団をたたみ、食事の支度。
 お腹はちっともすいていないが、無理につめこんだ。

 小屋の主人がまき割りをしている音が聞こえる。
 ご飯はまだですか、などといっている人もいたが、主人はまーだまだだよ、といっていた。

 それを背中で聞きながら、アイゼンをつけて歩き始める。
 小屋を出たのは、6時25分だった。

 20センチくらいの新雪で、足跡は完全になくなっているが、少しくぼんでいるので、道のあるところはわかる。
 雪もさほど重くなく、下りが多いので、思っていたよりは快調に歩けた。
 白い世界を一人で歩く。

 まもなく、大ダワ。
 セーターなどを着込んでいるため、暑い。
 樹氷が美しかった。

 芋の木ドッケの巻き道の左が、切れ落ちてて、ちょっと危険な感じ。
 ここはやや緊張して通過。

 芋の木ドッケ、白岩山を過ぎ、ひとしきり下って白岩小屋。
 少し登った前白岩山からは、非常に急な下り。

 お清平からこの日最後の登り。
 三つ目のコブが霧藻ヶ峰で、休憩舎がある。
 猛烈な空腹をおぼえたので、少し早いがここで昼食。

 妙法ヶ岳への分岐点を過ぎる頃から、スズタケが多くなり、やがて三峰神社の鳥居。

 ロープウェーの駅に着いたのが、お昼。
 大輪から三峰口へのバスの連絡が悪く、大輪から三峰口まで、歩かされたが、午後には家に帰ってくることができたので、仕事にも間に合った。