親川まで行くのに朝早いバスがないので、やむなく自動車でアプローチした。
親川前後に思わしい駐車スペースがなかったので、後山川にかかる橋のところに軽トラをとめ、身支度をして、人家わきにある道標に従って山に入る。
入山地点はほぼ地形図のとおりだが、すぐ先から地形図の破線路を外れて国道に平行して歩くようになる。
急登部分にかかるとジグザグに登って尾根を乗っ越し、今度は尾根の北側をトラバース気味に登っていく。
あたりはほとんど植林地で、道は明瞭な上、道標も多い。
石垣が見えると、高畑の廃村あと。
住む人はいないが、水場はまだ、生きていた。
高く積んだ石垣の上に家が建っており、中には、最近まで使われていたような感じのお宅もあった。
家の周りの傾斜畑はめったに見ないほど急傾斜で、ここをどうやって耕すのかと思うほどだった。
土が大きく流亡した畑もあって、じつに気の毒である。
ここで暮らしていた人々が、農業だけで生計を立てていたとは、とうてい思えない。
ここで作ることができそうなのは、少々の雑穀が精一杯で、主食にも不足する。
考えられるのは、ここの上部の保之瀬天平から丹波天平にかけての傾斜の緩い尾根である。
ここでなら、焼畑を始めとする農作業は可能である。
とはいえ、食糧を確保しただけで生活が可能になるわけではないから、ここで暮らしていた人々は、それ以外に何らかの生業を持っていたのだろう。
高畑から後山廃村へは、地形図のトラバース道通りに行く。
高畑の先からは雪道になった。
後山は、高畑より早くに住む人がいなくなった感じで、屋敷もほとんど残っていなかった。
後山からやや急登で、尾根に上がる。
登りついたあたりが保之瀬天平だが、明瞭なピークがあるわけではない。
アカマツの道
| カラマツの道
|
広い尾根で、ルートが不鮮明なのだが、このあたりには道標がなく、立木につけられたテープを見つけながら緩やかに登っていく。
ガスが覆っていて見通しも悪いが、逆に幻想的な雰囲気もあって、味わい深い。
山の神の祠を見ると、アカマツ林になる。
間伐もしてあるので、アカマツを意図的に育てているようにも見える。
その先、カラマツ林になると、いくらか傾斜が出てきて、丹波への分岐となる。
この地点も、地形図とは異なっている。
踏みあとがまったく見当たらないので、尾根を外さぬよう歩いて行くと、丹波天平の三角点。
ここには、山名板なども下げられてあった。
相変わらず平坦な広い尾根が続き、登山道の位置もさだかでないが、基本的に尾根を行く。
かなり飽きるころに、丹波山展望台への登りとなる。
展望台といっても、ガスが濃い上、樹林が育っていて展望は皆無。
しかし、ここまで休まず来て疲れたので、小休止とした。
竿裏峠の十字路は右折して、三条の湯へ向かう。
このあたりは天然林で、ガスの中にブナやミズナラの大木が何本も浮かぶ。
小菅村の牛ノ寝通りを彷彿とさせるいい感じ。
北面に入るため、積雪は一段と深くなるが、道はよく踏まれており、登り下りも少ない。
傾斜もさほどでないため、滑落したら困りそうなところもなく、のんびり歩いていける。
最初に渡る沢は御岳沢の支流で、その先すぐに、御岳沢の本流を渡る。
水流は凍っておらず、春らしい沢音を立てて流れていた。
桟道に雪が積もっていたので、ここは慎重に行った。
このあたりに分岐があるはずだと気にしていたら、左に登っていく分岐があったが、どうも違うような気がしたので、ここは直進。
88番の巣箱があるところだ。
その先で似たような分岐を見るが、ここには、倒れてはいたが三条の湯への道標があったので、左に入る。
ここで、二人のハンターが追い越していった。この人たちの歩くスピードは、ずいぶん速かった。
ハンターは、権現谷出合付近へ下る尾根を直進していったが、こちらは登山道を行く。
このあたり、足元が凍りかけていたが、軽アイゼンを出すほどでもなかった。
権現谷(地図上のカンバ谷)を渡ると、大した登りではないが、登り返しがとてもきつい。
小尾根を回りこむと、カンバ谷に出る。
こちらは、なるべく下らないようにしてあるのか、ずいぶん上流まで行って沢を渡る。
三条の湯までは、すぐだった。
二食付きの宿泊を頼んで、まずはテント場を見に行った。
テント場は、建物の建っている台地から急降下し、橋を渡った対岸にあった。
ここは谷底なので、雪がたっぷり積もっており、とても寒そうだった。
この日の宿泊者は一人だけだった。
腹がへったので、ラーメンを作って食べたあと、風呂が沸くまで、部屋の石油ストーブをつけてしばらく本を読んでいた。
小屋番の方は、地元の人ではないと言っていたが、何かと手際がよかった。
風呂は建物から一段下がったところにあり、薪焚きで、とてもいい感じだった。
浴槽には湯の花が浮いていて、多少の硫黄臭があり、炭酸泉らしいヌルヌル感もあって、いかにも効きそうだったが、それ以上に、冷え切った身体を思う存分温めることができたのがありがたかった。
三条の湯
| 三条の湯の風呂棟
|
夕食後、部屋で芋焼酎「龍呑」のお湯割りを飲んでいたら、すぐに眠くなった。
8時くらいには寝に就いたと思うが、それでも、10時間近く眠れることになる。
空いた山小屋とは、なんと贅沢なものかと、しみじみ感じたことだった。
翌朝は、5時すぎに目を覚まして天気予報を聞くと、午前いっぱい晴れという予報だった。
前の日はずっと曇り按配だったのだが、尾根に上がる日に晴れるというのも、ラッキーだった。
夜半にいくらか雪が舞っていたので、積雪が案じられたが、行ってダメなら戻ればいいので、あまり心配しなかった。
小屋を出発したのは6時半。
この時期としては、十分早い時間に出ることができた。
三条の湯から北天のタルまでのルートは、地形図とは全く異なっていた。
最初は、落石に気を使う急なところだが、尾根上を直登するのではなく、尾根東側のトラバースになる。
まわりは、相変わらずブナ・ミズナラ・トチの自然林で風情がよい。
小動物の足跡
| これもミズナラ
|
新しい雪の上に、小動物やカモシカの足あとがたくさんついていた。
登山道を横断しているのは少なく、ほとんどの動物が人間と同じように、登山道を利用しているのだった。
中ノ尾根を乗っ越すとしばらくトラバースして孫左衛門尾根へ急登すると思いきや、トラバース道が意外に長い。
何ヶ所も出てくる桟道には雪が積もっていたが、これが凍ると、かなり厄介だろうと思われた。
両尾根の間の谷の源頭を越える地点は、地形図にあるより標高差にして150メートルも上の地点だった。
トラバースとはいえ、ずいぶん登ってきたので、この源頭で小休止。
融雪期とあって、岩の間から微量だが、水が垂れていた。
トラバースはさらに続き、結局、北天のタルまで緩やかに登りつめるのだった。
間近く見上げる飛竜山は雪をまとってとても美しく、道沿いの潅木には、枝先にまで樹氷がついて、青空に映えていた。
縦走路が近づくと、気分的にずいぶん楽になってき、ようやくの思いで北天のタルに出た。
登ってきた南面の道とは異なり、積雪はずいぶん深く、部分的には膝くらいまで吹き溜まっているところもあった。
こうなると、進むのに多大なエネルギーを要するのみならず、踏み抜いたり滑落したりしないよう、神経を使わねばならなくなり、スピードが一気にダウンした。
桟道は相変わらず冷や冷やもので、ピークを二つ越えたところが尾根の直下だったので、尾根上の樹木についた雪が頭に降りかかるのが嫌なので、ずっとトラバース道を行った。
最後の登りにかかる直前に崩壊地があり、その通過に気を使ったが、まもなく、山頂への近道分岐が見つかり、急傾斜だが安全な道に入ってほっとした。
標高差50メートルほどの急なところを登りきると、平坦な頂稜に出る。
コメツガの樹林の中で、展望はない。
枝に触れると、雪が頭にかかるので、とても冷たい。
北天のタルから望む雲取山
| 飛龍山三角点付近
|
枝を避けながら登って行くと、「飛竜山」と書かれた道標が目に入った。
登りの途中なので、どうしてここに三角点があるのかと訝ったが、地図をよく見ると、三角点は最高点より少し下にあるのだった。
展望もないので、ここは通過し、さらに最高点をめざしたが、最高点には道標もなかった。
飛竜権現へは、右折して樹林の中を南下する。
コメツガのヤブ道をしばしで、飛竜権現の小さな祠のある広場。
飛竜権現とは、熊野にある、那智の滝である。
那智からこんな所にまで飛んできたのだから、もう少し大きな祠であってもよさそうな感じもした。
ところで、飛竜権現は修験の神だが、誰がお祀りしているのだろう。
本来なら三峯神社なんだろうが、今、三峯からここまで、祭祀のためだけにわざわざ来るのは、たいへんだろう。
前飛竜に向かって少し下ったところの西側に、ちょっとした岩場があった。
登山ガイドで言う禿岩とは別の岩だが、よじ登ってみると、富士山や南アルプスがよく見えた。
朝早くには、富士山が無傷で見えていたのだが、大菩薩連嶺の上部に雲がかかって、富士山は頭だけになってしまっていた。
この岩から少しの間は急だが、すぐに平坦な登り下りとなり、前飛竜に着く。
ピークから少し下ったところに露岩の展望台があり、ここからは、東から南にかけての展望が広がる。
ここからは、奥多摩北部の山を始め、石尾根・大岳山・御前山・三頭山・丹沢山塊・大菩薩連嶺・富士山などが一望できる。
奥秩父のモンスター(大きな写真)
| 雲取山と芋木ノドッケ
|
ここで小休止。
岩の端まで行けば、雁坂峠方面も見えそうだったが、雪の乗ったところなので、岩の上を歩きまわるのは、自重した。
この展望台からは、転がるような下りとなる。
傾斜が緩むと、コメツガにブナやミズナラなどが交じるようになり、いい感じの道になる。
熊倉山は巻けないので、登って越えなければならない。
ここでまた少し休んだが、時刻はいつの間にか、お昼を回っていたので、2時前のバスに乗るのは厳しいかもしれないと思った。
竿裏峠までは、カラマツの植林地も出てくるが、基本的に自然林が続く。
巨木というほどの木は見なかったが、老若のブナやミズナラが枝を広げているようすは、とてもこころ安らぐものがあった。
竿裏峠から丹波へは、ほぼ地形図通りである。
ひどい急斜面で、ここを登ってくるのは勘弁だと思うほどだったが、トラバース道なので、さほどひどい下りではない。
はるか下に、丹波山村の町並みが見えており、まっすぐ下ればすぐにも着きそうだが、そんなわけにもいかない。
長いトラバースを終えると、トラロープで柵をしたところとなり、ここからふたたび急降下が始まる。
飽き飽きするほど続く急降下ののち、山王沢という道標を見ると、杉の植林地で、里山の風情となる。
前方に巨大な堰堤が見えるところで、どうも登山道を外したらしく、踏みあとを下って、国道に出た。
そこから丹波のバス停までは、10分ほどだった。
13時40分の奥多摩駅行きのバスには、かろうじて間に合った。
乗客はおれ一人だったが、運転手さんに「親川で下ろして下さい」と言うと、「熊谷ナンバーの軽トラの人かね」と言われた。
運転手さんは、自殺者の車かと思ったらしい。
少し話をしていたら、車をとめたところの前で下ろしてくれた。
|