|
【年月日】 | 1990年12月26〜27日 |
【同行者】 | 単独 |
【タイム】 |
12/26 梓山(7:34)−八丁坂取りつき(9:35)−十文字小屋 |
【地形図】 | 居倉、中津峡 |
7時半過ぎ、梓山でバスをおりる。何か食べるものでも買おうと思っていたマスヤフーズは閉まっていた。
高原野菜の畑も終わり、広々とした戦場ヶ原にも人影はなかった。バス停でおりたのは私一人だったが、あとから二人連れの若者がおりてきて、黙ったまますぐに追い越していった。
積雪は5センチくらいだが、圧雪になっているところはすべりやすい。山に近づくにし たがって雪も深くなってくるので、毛木平のベニバナイチヤクソウの大群落のあるあたりでスパッツを装着。
約1時間で千曲川林道との分岐。ずいぶん立派になった千曲川の橋を渡り、さらにその支流を渡る。
ここからは積雪もかなり深くなる。それでも、吹き溜まりでは10センチほどだ。いつもよりかなり荷が重いのでストックをつきながら意識的にゆっくり行った。
ここから長い登りだ。雪はあったが、一度来た道だったし、若者がすぐ前で踏んでくれていたので、ルートは明瞭だった。
10時40分、十文字小屋着。若者たちは小屋の前で休んでいた。私は小屋のなかでお茶をわかし、大休止。
小屋の前のエサ場には小鳥がいれかわりたちかわり餌を食べにきていた。いつ来ても十文字小屋はのんびりとした、いい雰囲気だ。
小屋のすぐ先で甲武信への道を分け、さらにしばらく行って股ノ沢林道を分ける。そのすぐ先が四里観音。
四里観音の先のピークは、地図では稜線通し行くようになっているが、見ると切り立った岩峰である。これを登るのはつらいと思ったが、道はピークの北を巻いていくので楽だった。
水場は小屋からすぐのところに細い水流があった。
翌朝は、6時過ぎ、あたりがうす明るくなってきた頃に起床、シュラフに体をつっこんだまま、食事。
この日は、強烈な寒気が日本の上空に入り、冬型が強くなっているとのことだったが、動くのがいやになるというほどのことはなかった。
小雪模様だが、埼玉県に強風注意報が出ているというだけあって、北からの風が非常に強い。
赤沢山の北を大きく巻いていくあたりまで来ると、トレースが消え、しばしけもの道に引き込まれてロスタイム。それからはルートを失わないように気をつけた。
赤沢山を巻き終えて露岩のある尾根の上に出、今度は南側を巻いていく。南側は北側と違って小雪はちらついていたものの、風がなく、ずっと歩きやすい。
前方右に白泰山が見えてきたところで、また小休止。
白泰小屋もよい小屋でストーブが設置してあった。中に入って大休止。
水がなくなったので、雪を融かしてみたが、汚れていて飲む気にならない。
ルートのその先左側にちょっとした展望台。時間を気にしながらそこに寄ってみると、東の方が晴れており、目の前に立派な山。両神山の南面であった。
両神を見ると、家が近くなった感じがする。
一里観音のあたりは栃本周辺のハイキングコースにもなっており、道がきれいに刈ってある。さらにヒノキの美林が出てくると、コースは尾根からはずれどんどん下り、人家の間を抜けて栃本のバス停についたのは2時過ぎだった。
栃本でバスを待っていると、偶然、雁坂小屋の小屋番氏が自動車で通りかかったので、少し立ち話。
大滝バスの待ち時間が30分足らずだったのはついていたほうだろう。三峰口の駅前でようやくビールにありついた。駅舎は寒かったが、ビールはうまかった。
|