台風の甲武信岳

【年月日】

1989年8月27〜28日
【同行者】 単独
【タイム】

8/27 梓山(7:40)−十文字小屋(10:20-2:20)−三宝山(4:30)
  −甲武信小屋(5:20)
8/28 甲武信小屋(6:35)−木賊山(6:50)−笹平小屋(7:50)
  −雁坂嶺(9:57)−雁坂小屋(10:48-11:40)−黒文字橋(14:15)

【地形図】 居倉、金峰山、雁坂峠、中津峡

甲武信岳の黎明

 7時40分に梓山に着くと、雨はかなり激しくなっていた。梓山からは高原野菜の畑の中の農道を歩く。出荷時期にあたっていくらしく、カッパを着てたくさんの人が働いており、軽トラがひっきりなしに行きかっていた。遊びに行くのが申し訳ない気がした。
 農道の端には、いろいろな花が咲いていた。一番多いのがワレモコウ。山の際に来ると、ハクサンフウロ、カワミドリ、クサボタン、ソバナ、クルマバナなど。
 農道が終わると林道。イチヤクソウの花がらが一面に残っていた。

 沢を丸木橋で渡るあたりから次第に傾斜が出てきた。このあたりにはレイジンソウが多い。ずいぶん暗い樹林の中なのに、たくさん咲いていた。
 汗と雨とでからだじゅうがずぶぬれになり、実に不快な登りになった。八丁坂の頭からは尾根道で、傾斜もかなり楽になった。

 服を脱いで始末していると、どこからか十文字小屋のおじさんが帰ってきた。よく登ってきたなあといわれた。甲武信に行くつもりだというと、台風が来ているので絶対に無理だから、橋が流れないうちに下山しろ、自分も今から橋の修理に行くつもりだというのでというので、その気になった。
 でも、おじさんと政治や山のことについていろいろと講釈をしているうちに時間がたち、雨はますます激しくなって外へ出る気がしなくなってきた。

 おじさんがマツタケの汁を作ってくれたので、今夜ここで泊まろうという気になった。
 しかし、2時過ぎに雨が少し小やみになって来、代わって風が強くなってきた。商売気のないおじさんが、「風が出てきたということは台風が行ってしまったということだ。もう降らない」と断言するし、確かにわずかだが青空が覗いていたので、甲武信に向かうことに決めた。

 原生林の感じの良い登りはほんの少しで、再び風雨が強まってきた。登り着いた大山は、風で飛ばされないように岩にしがみつきながらようやく通過した。そこからは、原生林の中をいくつかのコブを登下降していく。小屋を出るときに、おじさんが「風による倒木の下敷にならないよう注意しろ」と言っていたが、風がうねるたびに太い木がなびいていて、その轟音と共に自然の恐ろしさを感じさせられた。

 武信白岩山の巻き道は暴風の蔭になっていたので、ここで一息。道には濁流が流れており、ほとんど沢と異ならず、下っていくうちにひょっとして沢に迷いこんだのではないかと心配になるくらいの水量で、尻岩の道標を見るとほっとした。
 ここから長くて急な三宝山への登り。心のなかで、さて本日のハイライト!と叫ぶ。

 背中のザックが急に重く感じられた。濡れのせいか、それとも疲労のせいか。
 しばらくはがまんして登ったが、手を後ろに回してみると、ザックカバーに水がたっぷり入っていて揺れていた。たぶん1リットルはあっただろう。重荷の上に雨水を背負って歩いていたのだ。
 腰をかがめて水を流すと、ザックは一気に軽くなった。

 しかし、三宝の登りは長い。朝から耳のなかでベートーベンの「田園」が鳴っているが、終わりそうでなかなか終わらない第五楽章がこの登りとオーバーラップして果てもなく繰り返されている。ここでも道は濁流と化しており、豪雨のなかの登りは長い長いシャワークライムだ。三宝の頂上に着いたのは4時半。

 もう迷う心配はないし、長い登りもない。そう思うと心理的に非常に楽になった。
 甲武信の登りはこの日最後の登りになる。ラスト!と気合いを入れた。甲武信の山頂では、この日最もひどい風が吹きまくっていた。こんな所に長居は無用であるなので、甲武信小屋へと急いだ。

 甲武信小屋でまず、着替えをすませ、ストーブに火を入れてもらい、服とバンダナを乾かした。この日の宿泊者はもちろん一人だけ。
 広い小屋のなかで、荒れ狂う風雨の音しか聞こえない、快適な夜であった。10時頃に一度目がさめたが、その頃には雨が屋根をたたく音はかなり小さくなり、かわって強風による木々の悲鳴が響き渡っていた。

甲武信岳山頂から富士山
 次に目覚めたのは翌朝の4時。夜には部屋の中も真っ暗であったが、次第にあたりが白んでくるのがわかった。台風一過のご来光を期待して窓から外を見たが、ガスが早い速度で流れていた。
 しかし、4時半過ぎ、東が急に赤くなった。いそいで身仕度を整え、カメラだけを持って山頂に向かった。
 ガスが時々切れて、富士山や三宝山、木賊山などが全身を現わしつつあった。冷たい強風が吹き抜けるので岩蔭でご来光を待った。
 5時過ぎ頃、赤くかすんでいた東の中空に突然真っ赤な太陽があらわれた。こういうご来光は初めてだったので、胸がときめいた。
 ガスのなかのご来光は、晴天の時のように晴れがましく、祝意に満ちたものではない。しかし、太陽が暴風雨による生けるものの痛手を慰めるかのように静かに昇ってくるさまは、実にこころ暖まるものだった。

 国師岳の頂上付近の雲が切れるのを30分以上も待ったが、その雲だけはどうしても晴れず、あきらめて小屋に戻った。
 甲武信からは雁坂峠に向かった。木賊の頂上は樹林におおわれており、見るべきものはなかったので通過。鶏冠尾根分岐を戸渡尾根分岐を過ぎたあたりから急下降。
 かなり下るとガレ場で、展望が開ける。ここの展望も実に楽しい。秩父方面を見ると、変な形をした武甲山がはっきりわかる。武甲がわかると周辺の山はいもヅル式に判明する。丸山、大霧山、蓑山、登谷山から鐘撞堂山までが見えていた。

 破不避難小屋でトイレ休憩。水場は山梨側に20分下るとあり、縦走中の補給には適さない。
 破不山の頂上直下は森林限界を抜けており、展望がよい。ここからは今下ってきた木賊山がよく見えるが、木賊の東面には顕著な縞枯現象が見られた。東破不を越え、長い登りを登り切ると雁坂嶺。
 樹林に囲まれ展望はないが、三角点のようなものが置かれており、一息入れるにはよいところだ。
 ここからは峠ずっと下り。峠が近づくにつれて、次第に花が多くなってきた。雁坂峠についたのは10時半。イブキトラノオ、シモツケソウ、ウメバチソウ、イワインチン、オオバギボシ、ハナイカリ、アキノキリンソウ、ミネウスユキソウ、シラネアザミ、ノギク、ヤマハハコ、シモツケなどが咲き乱れていた。

 雁坂小屋で川又までの道がどうなっているか尋ねると、自分も今から下るところなので一緒に行こうといわれた。それも川又に自分の自動車が停めてあるのでそれで秩父まで送ってくれるという。こんなにありがたい話はない。喜んでお世話になることにした。

 小屋番氏はかなりの大荷物を背負っている。私は、雁坂で1時間も休んだので完全に疲労がとれた。黒岩尾根は通行不能とのことで、突出峠へ行く道をとる。
 次第にガスがかかってきつつあったが、大滝村の方向は晴れており、右手には和名倉山のすばらしい巨体がそびえていた。

 突出峠はブナやミズナラなどの大木がうっそうと茂った、美しい原生林。この周辺は東大の演習林になっており、学生がブナの実を取りにくるのだということだった。
 しだいに傾斜を増す道をどんどん下り、30分ばかり行くと、黒文字橋への分岐。川又へはまっすぐ行ったほうが近いのだが、彼の自動車はそれより近い国道に置いてあるという。ここは、東大の造林道で、造林小屋もあった。
 下に自動車道が見えてきたが、一番最後で滑沢が増水していて渡渉となった。ここまで来て靴を濡らすのはいやだったので靴を脱いで腰にぶら下げ、楽そうなところを渡った。

 国道に出たところに自動車がおいてあり、道路を歩く必要がないとは、登山者にとってこんなにありがたいことはない。
 しかし、小屋番氏の車は、後ろのドアのガラスが割られ、中のものが盗まれていて、車の内外にガラスの破片が散乱していた。全くひどいことをするのがいるものだと腹がたった。