石仏の道
- 連石山から小幡富士 -

【年月日】

2024年2月12日
【同行者】 単独
【タイム】

甘楽総合公園(11:53)−連石山(12:52)−小幡富士(13:05-13:51)
−甘楽総合公園(14:32)−甘楽総合公園(14:36)

【地形図】 下仁田 上州吉井 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可)

 国峰城址に行ったときに、こちらも登りたかったのだが、けっこう疲れてもいたし、小幡富士登山道がどこにあるかもわからなかったので、断念した。
 結果的にいえば、ここは二度に分けて登って正解だった。

子持山と武尊山

 甘楽総合公園からスタート。
 大きな案内板がある。これならわかりやすい。

 作業道のように広い道をジグザグに登っていくと、すぐに展望台。
 小幡の市街地と関東平野・春奈・赤城連山などが一望できる。

 登山道に戻って東側斜面には石舞台という道標。石舞台とは何か。
 石舞台とは、富岡製糸場を建設したときに、この山から石を切り出して運んだ、石切り場あとだった。
 日本の産業遺産の一つと言えよう。

 そこからひと登りで、連石山の最高点。
 ここはスルーしてさらに進むと、石の六尺観音が立つ。

 ここからが連石山石仏群の核心部だ。

 まずは下りながら石仏鑑賞。
 十一面観音が多い。

 お寺の屋根が見えるところまで下り、今度は登り返す。
 すぐに巨大な磨崖の仏顔。
 仏顔の前に巨大な龍と亀の彫刻もある。

千手観音
聖観音

 三十三観音を見ながら登っていく。
 破壊されたのもあるから、明治以降に再建されたものもありそうだ。

 最高点から先には道なし。
 踏みあとはかすかだが、尾根の上を行けばよいので問題なし。
 富士山の肩が陽当りよく、気持ちよかったので、大休止。

 下りは轟集落方向へ尾根を行く。
 このあたりから方角をミスって、フラフラしながらもなんとか、実線の道に出ることができた。

 その後、長厳寺の前を通って、元の駐車場へ戻った。

長厳寺
織田信雄墓

 下山後、崇福寺横にある、織田家七代の墓所へ。

 織田信長の次男で、信長死後一時は事実上の当主となった織田信雄は、豊臣政権になったあとも100万石の大大名だったが、改易の憂き目にあって小大名となって小幡領2万石を与えられた。
 大和にも領地があったから、ここに在住することはなかったが、訪れることはあっただろう。

 江戸時代中期に再び改易処分を受け、織田家は大名でなくなった。
 織田家の当主の中には、割り切れない思いを持つ人がいたかもしれない。