静かな古城址
- 国峰城址(甘楽城山) -

【年月日】

2024年2月8日
【同行者】 単独
【タイム】

道の駅甘楽(10:53)−福巌寺(11:09)−国峰城址(12:54-13:37)
−道の駅甘楽(15:50)

【地形図】 下仁田 上州吉井 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可)

 自宅周辺の雪はほとんど溶けていないが、平野に出るとさすがに道路に雪はほとんどなかった。
 甘楽町の道の駅から歩き出す。

福巌寺
表妙義

 甘楽町はもと小幡町で、小なれど陣屋を構えた小幡藩領の中心地である。
 織田氏・松平氏が支配した小幡藩とほとんど関係がないのだが、小幡の地名は、鎌倉時代ころからこの地によった小幡氏と関係する。
 小幡氏が支配していたから小幡という地名なのではなく、小幡を支配していたから小幡と名乗ったのだろう。

 小幡氏が児玉党で秩父氏の一族だったという説はちょっと信じがたい。
 鎌倉時代における小幡氏の動向について歴史になんの記載もないらしいのが、そう考えられる根拠である。

 関東は、室町幕府成立直後から争乱が絶えなかった。
 西上州もまた、その例に漏れず、在地の国衆は、生き延びるための政治戦略構築に追われる人生を送っていた。
 国峰城に拠って北甘楽一帯を支配した小幡氏も、山内上杉氏・北条氏・武田氏と、主君を次々に変えて所領を守り、江戸時代には旗本として生きながらえた。

高窓のある風景
松浦屋敷

 福巌寺にお参りしたのち、その先から紅葉山に登る。
 紅葉山から恩田集落に下る道があるのではないかと想定していたのだが、見つからなかったので、ヤブの中をずり下る。

 恩田からは、長い林道歩き。
 山の北面なので雪がかなり残っており、非常に飽きた。
 恩田のもう一つ先の谷の城集落から登ったほうが早かったと思う。

 城山は、弱小国衆の城とはちょっと次元が違う、かなり大きな山城だった。
 御殿平という大きな削平地には何が建っていたものか、平坦地の広さは八王子の滝山城に匹敵した。

 山頂へは遊歩道があって、登りやすい。
 ところどころに腰曲輪が作ってあり、実戦的だ。

 山頂には説明板が建てられていた。
 好展望を期待したが、雑木越しの展望で、表妙義・榛名山・小野子三山あたりが望まれた。
 ここで大休止。

 帰りは来た道を戻り、地形図にある実線の道を通って車道に出ようと考えたのだが、実線の道は完全に廃道化しており、孟宗竹の倒木ジャングルと化していた。

 雄川沿いの県道に出るところには、頭がぐちゃぐちゃになりそうな変なお店があった。
 ここは何を売ってるんだろうか。

 天狗山入口の看板のあるところの無人販売でキウイフルーツを購入。
 そのそばには、立派な高窓を持つお宅があった。
 すばらしい文化財だ。

 甘楽総合公園わきの郵便局から入ったところに、松浦屋敷。
 とても小さな武士の屋敷だが、家も庭も美的センスが行き届いていて、とてもよいものを見たと思えた。

 この日は下調べ不十分で連石山とか小幡富士に行けなかったのだが、先の楽しみとなった。