大内沢神社前の広くなったところから、内出登山口へ向かう。
神社に渡る橋のたもとには、ケズリバナが供えてあった。
内出バス停から橋を渡ってすぐに、小沢に沿う仕事道に入る。
最初はいい道だったので、何とかなるかと思ったが、すぐに消滅してしまったので、ヤブから車道に出た。
ショートカットの失敗に懲りて、しばらくは車道を行く。
先日の小林もそうだったが、秩父山地周縁部の丘陵地帯の東〜南側斜面には、みかんがひろく栽培されている。
こちらでも、蝋梅や梅や福寿草が咲いていた。
登山口では見落としていた道標がうるさいほど出てくると、山道と車道を出たり入ったりする。
例に漏れず、草だらけになった畑が多いが、上部には、かつて田んぼだったのではないかと思われ、石垣を積んだ荒地がいくつもあった。
登山道に入ってしばらく登ると、前方から女性の神主さんとおおぜいの一行が降りてきた。
少し上にある七滝祓戸神社で祭典を終えてきたと言っていた。
スギ林の中の七滝祓戸神社には、焚き火の片づけをしている人がいた。
せっかくなので参拝させてもらった。
神社のすぐ裏には、細いながらも水流があり、小さな滝になっていた。
社殿のわきには、太いフジの木が絡んでいて、花の時期にはなかなかみごとだという話だった。
そこからは、急傾斜ではないが、淡々とした長い登りで、別荘地のようなところを経て、二本木峠。
途中は、多いのは植林だが、雑木林も少なくなかった。
峠からは、蓑山の向こうに、両神山が立派に見えた。
二本木峠には牧場のような施設があり、羊が6頭飼われていた。
ここで、施設の人と立ち話をしていたら、ハクセキレイがやってきて、道ばたを跳ね回っていた。
ここからは、公園のように整備されたところを歩く。
木の階段を登っていくと、右手のヤブにミヤマホオジロが群れていた。
登りついた愛宕山には愛宕神社と彫られた石塔が建っていたが、社殿はなかった。
天体観測所のようなものの建つピークを越えて行くと、左側が牧場の柵になった登りで、ルリビタキの雄が飛び回っていた。
皇鈴山の山頂は広い上、あずまやも建っていて、西側の展望もよい。
ここで一休み。
奥秩父から両神山、城峰山、御荷鉾連山、浅間山などが一望できた。
御荷鉾連山の手前には、採石場が見える。
あれは、かつて、雄岳・雌岳のあった場所だ。
かつて皆野町あたりから見えたはずなのに、どうしたのだろうと思っていたが、山そのものが消えてしまっていたのだった。
浅間山は真っ白に冠雪しており、さすがに群を抜いて大きく高い山だけあると思った。
行動中は暖かいが、しばらく休んでいたら、さすがに寒くなった。
ゆるく下り、登りに転じるあたりから左下に、登谷山牧場の施設が見えてくるが、冬季であるためか、施設が稼動しているようにも見えなかったし、もちろん、動物や人間の姿も見えなかった。
登谷山から男体山(大きな写真)
| 登谷山頂の二宮神社石碑
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登谷山からは、東側がよく見えており、関東平野の向こうに、小野子三山、子持山、赤城山、日光連山などが望まれたが、谷川あたりは、雪雲のため見えなかった。
東に下る道がないので、北へ下っていくと、南東へ下る廃林道のような道があったので、そちらに入る。
地形図に明確な記載はないが、登谷山直下は別荘地になっており、現住者はほとんどいないようだったが、建物がたくさん建っていた。
別荘地の手前から、広い舗装道路になる。
どこかにショートカットの道がないかと思うのだが、ここは私有地だから立ち入るななどという表示があちこちに下がっているため、道路を行くしかない。
見るものもないので、鳥を探しながら行くと、ウソが桜の木で、まだ硬い花芽をかじっているのを見ることができた。
かやの湯温泉
| 満開の梅
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別荘地を過ぎると長い車道歩きだが、道路のわきにはキリの木が多い。
雑木同然に放置してあるのだが、なかなかの大木も少なくなかった。
この村の木工職人たちがかつて、家具作りに使うために植えてはみたが、廃業したり採算がとれなかったりしたために、放置されているのかと思った。
結局、ずっと車道歩きで、上ノ貝戸〜白石と歩いて、神社のところに戻った。
帰りに、寄居町との境界にあるかやの湯に立ち寄った。
小さな鉱泉宿だが、風呂はとてもよく暖まる、いいお湯だった。
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