黒山熊野神社
| 柚子の里
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越生駅から黒山行きのバスに乗るのだが、熊野神社をじっくり見たいので、「神社前」のバス停で下りた。
本殿は最近の再建だが、鳥居わきの杉はなかなか立派だった。
少し戻って、「火の見下」バス停のわきから龍隠寺への道標に従って、北への道に入る。
あたりはずっと柚子園で、どこにも鈴なりの柚子ができているが、こんなに大量の柚子をいつ収穫するのかと思ってしまう。
横吹峠には四寸道入口を示す、小さな道標がある。
この道は、ピークはほとんど巻いて通る、歩きやすい道だから、最近できた登山道ではない。
しかし、石造物はほとんど見あたらないから、生活の道・信仰の道でもなさそうだ。
三角点とその次のピークを巻き過ぎると、植林地の中に杉の巨木。
ちょっと荒れた里山で見る樹型や大きさではないので、度肝を抜かれる。
車道に出てすぐにまた尾根に戻るが、再び車道に出てからは、しばし山腹の林道を行く。
道が南にカーブするあたりが尾根への登り口だが、手製の道標も消えかけているので、ややわかりづらい。
道わきに寛政10年の馬頭尊。
これは、18年前には見逃していた。
「施主 岩田権之進」とあるので、高山の人だろうか。
道がその名にふさわしく狭くなると、尾根の上。
花立松峠方面と奥ノ院との分岐だ。
奥ノ院まではすぐだった。
新しげなお堂の中を覗いてみると、線刻された不動の石像が置かれていた。
この日、晴れてはいたが、靄がかかっていて、あまり遠くは見えなかった。
お堂の前には「皇紀二千六百年記念」と彫られた石祠がおかれていた。
高山不動は寺院だから、祠を建てるのはおかしいような気がする。
そもそも、時流に便乗した石造物など、意味が感じられない。
奥ノ院から下っていくと、高山の集落。
高山不動の門前村だが、今、ここで暮らすのは大変だ。
不動堂は、少し下にある本堂(常楽院)よりはるかに立派な建物だった。
江戸時代末の建築だが、どっしりしており、いかにも風格がある。
石段を下ったところには、イチョウの巨木。
この木が存在するというだけで、高山不動が古い密教寺院だということがわかる。
ちなみに、こちらは慈光寺とは異なり、真言密教のお寺である。
石の不動像がおかれていたが、役の行者らしき像は、見あたらなかった。
西吾野へという道標に従って、西への尾根に入る。
間野への道が一般的だが、今回は地蔵の石像の立つ萩ノ平から「パノラマコース」を下る。
パノラマコースと言っても、ずっと植林の中で、展望は皆無だ。
間野分岐の石地蔵
| 三社峠の道標
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すぐに車道に出るが、しばらくで三社峠の入口。
手製の小さな道標があり、つい最近、刈り払われたばかりのようだ。
三社峠は十字路になっていて、古い石の道標があり、「右 たかやまミち」と読める。
西へ登っていくのが西吾野への近道だが、せっかくなので直進して、峠道を下る。
車道に出たところが奥武蔵あじさい館の前だったので、西吾野へは少々の歩きとなった。
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