3日目
3000メートルの稜線での幕営だけに寒さが予想されたが、夜じゅう強風が吹きまくっていたわりに寒さは感じなかった。
御池の朝は満天の星空だったのに、この日は星など一つも見えず、ちょっと残念な朝となった。
雨は降っていなかったが、ガスと強風の中、水滴のつく眼鏡を拭いながらの登高となった。
西農鳥まではひと登り。農鳥岳へは石のごろごろした中を縫うように歩く。
このあたりでガスが次第に晴れて、塩見岳や荒川岳が見え始めた。
そうなると、一気に元気が回復するのは当然である。
さほどよい状態ではなかったが、タカネビランジがたった一株、咲いていたのはうれしかった。
農鳥岳に着いたのはまだ6時半。
すっかり晴れて周囲の絶景が開けた上、下山するには惜しい時間だったので、ここで思わず大休止。
昨日来、目にしてなかった間ノ岳は、厖大な山容だ。
鋭角的な北岳の周囲では、再びヘリコプターが飛び回っていた。
塩見岳のドームとそこに至るたおやかな尾根道は、魅力的だ。
南にはひときわ高い三つのピーク。
左から悪沢岳・赤石岳・荒川中岳だ。
あれらの山を歩いたのも、8年前のことになってしまった。
中央アルプスにかかった雲はとれていないので、一つ一つのピークは見分けがたいが、大きくガレているのは南駒ヶ岳だから、空木岳あたりまでは見えていたようだ。
富士山・奥秩父・鳳凰三山はシルエット。
何度か通った天子山地や櫛形山ははるか足元だ。
丹沢や道志は遠くて判別できない。
奥秩父は意外にはっきりしていて、金峰山や甲武信三山は指呼できる。
八ヶ岳には雲がかかっていたが、赤岳上部だけが雲の上に顔を出していた。
花の写真を撮っていたら、西側からちぎれたガスがやってきて、太陽を背にして立つと、ブロッケンができた。
1時間ほども休んだのち、大門沢下降点へ。
ここの下りには、ヨツバシオガマ・ミネズオウ・アオノツガザクラ・イワカガミ・チングルマなど、夏の早い時期の花が咲き残っていた。
天気予報は、下界が猛暑日になると言っていたので、下るのは惜しいが、ごろごろしているのも何なので、下降点からの急下降をゆるゆると下る。
ここの下りも農鳥小屋の水場道同様、ゴゼンタチバナ・タカネヤハズハハコ・ツマトリソウ・ハクサンイチゲ・ウサギギク・ヨツバシオガマなどが咲く、ちょっとしたお花畑になっている。
タカネコウリンカを見たのは初めてだった。
クモマベニヒカゲが何頭も飛んでいたが、小さなカメラではなかなか近づけなかった。
最初はダケカンバ、ついでシラビソの樹林帯に沈み込んでいくと、見るものが少なくなるが、何かの倒木にタモギタケが群生しているのは珍しかった。
沢音が聞こえてき、大門沢が見えてくると、傾斜は急だが、ちょっとした河原に出る。
陽が射しているので明るく、シモツケソウ・タカネグンナイフウロ・クガイソウ・オトギリソウ・カワラナデシコ・イブキトラノオ・センジュガンピ・ミソガワソウ・ホタルブクロ・ヤマトリカブトなどが咲いており、大樺沢と似た風情になってきた。
大門沢小屋に着いたのはまだ10時半だったが、奈良田までまだ3時間の下りを残していたので、予定通りここで幕営することに決めた。
大門沢小屋のテント場は沢沿いの高台にあって、陽が出ているとちょっと暑いが、見晴らしのよい好ロケーションにあった。
この日は日陰で昼寝をして、ゆっくり身体を休めた。
夕方近くなると中高年登山者のテントが次々に設営され、テント場はほぼ満員になったので、さすがお盆だと感心した。
4日目
さすがに標高1700メートルまで下ってくると、夜はやや寝苦しかったが、明け方は涼しくて気持ちよかった。
奈良田発のバスに乗り遅れるといけないので、この日は、4時半過ぎに出発。
怪しい橋で広河内を何度か渡り返しながら、どんどん下る。
5時過ぎに明るくなってくると、周囲はツガ林で、奥秩父にちょっと似た雰囲気。
キツツキのドラミングが響きわたり、アカハラのさえずりが心地よい。
渓畔には、シオジやカツラが目立つようになり、ますますよい雰囲気の森となる。
小尾根を乗っこす標高1616メートル地点で小休止。
斜面はブナ、尾根の上はミズナラの大木が育っている。
ここの下りで、大きなシナの木を見た。
平坦なところを過ぎると大古森沢手前の急降下。
ここでチチタケの大群生を見たが、パーティ行動のため採取はできなかった。
奈良田第一発電所の取水口を過ぎると巨大な三段堰堤を見る。
どうしてこのような工事が必要なのか、理解に苦しむところだ。
林道に出てから小1時間ほど車道を歩いて、奈良田に着いたのは7時40分。
ふだんは9時に開く奈良田の湯は、夏休みの間8時半から営業というありがたい表示。
下界はひどく暑かったが、4日間の汗を流して、着衣をすっかり着替えると、じつにいい気分だった。