北相木から上州への道
− 栂峠から新三郎 −

【年月日】

2012年7月16日
【同行者】 単独
【タイム】

ぶどう峠(7:04)−MTB−貯水池(7:18-7:25)−栂峠(9:07-9:34)
−新三郎(9:58-10:03)−ぶどう岳(11:25)−ぶどう峠(11:56)

【地形図】 信濃中島 海瀬 十石峠 浜平 ルート地図

 明治17年に起きた秩父事件の際、信州北相木村から菊池貫平・井出為吉の二人が、困民党幹部として参加した。
 両人を招聘に走ったのは三沢村小隊長を務めた萩原勘次郎で、彼は、剣道指南の名目で以前から北相木と行き来しており、自由党員とは既知の間柄だった。
 彼らが歩いた道がどこかは多分、史料には出てこない。

 現在、秩父から北相木に行くには、国道299号線の志賀坂峠を越えて群馬県に入り、楢原集落で神流川本流筋を行く県道124号線に入ってぶどう峠を越える。
 中津川から川上村に抜ける三国峠と国道299号線十石峠は未舗装の悪路なので、自動車で行くとなると、通常はぶどう峠越えしか考えられず、北相木に直接出ることができるのも、この道しかない。

 ぶどう峠がいつ頃から使われていた道なのか、十分調べてはいないので断定的なことは言えないが、少なくとも、生活道として多くの人々が行き来する道ではなかったと思っている。
 そう判断する理由の一つは、現在の上野村から北相木に至るメインルートとして、白井関〜十石街道水ノ戸〜栂峠というきわめて歩きやすい道が存在した一方、ぶどう峠道は、仮に存在したとしても(もちろん今の自動車道ではない)たいへん険阻で、途中に安心して休むことのできる茶屋や旅館もなく、一般人が歩くには厳しすぎたと思われるからである。
 もう一つ、この道が古道であれば、その痕跡程度は残っているように思うのだが、現在それらしき道形が全く見えないのも、そう判断する理由である。

 一方、栂峠〜水ノ戸〜白井関のルートは、例えば1989年版『アルペンガイド別冊 東京周辺の山』(山と渓谷社)に、1泊2日のハイキングコースとして紹介されているくらいだから、その後も歩く人が存在し、道も維持されていたのである。
 武装蜂起前に困民党幹部が歩いた道は、当時のメインルートだった栂峠〜水ノ戸〜白井関だった可能性が強い。

 今回歩いたのは、そのコースの一部である。

 ぶどう峠に軽トラをデポし、MTBで信州側の道を下る。
 ホタルブクロやキバナノヤマオダマキなどが目に入るが、とりあえずどんどん下った。

ウツボグサ咲く(大きな写真)
チダケサシも咲く(大きな写真)

 栂峠道は加和志貯水池の前あたりなので、貯水池のわきに自転車をデポして、登山口を探した。
 現在の地形図には破線路が記されているのだが、山道は存在せず、栂峠川に沿って栂峠林道が続いていた。
 道には、ウツボグサ・チダケサシ・キバナノヤマオダマキ・ホタルブクロなど、ありふれてはいるがほっとする草花が咲いており、つい最近開削された道ではないことがわかる。  ウドの木もかなり多い。

 かなり歩いたところで、下刈に向かうらしき作業員の方に会った。
 朝からひどく暑い日だったので、作業はさぞ、暑くてひどかろうと思われた。
 その人に聞くと、栂峠道はまだ、通行可能だという話だった。

 地図上の水線が消えるあたりに作業小屋の残骸がある。
 ひしゃげかかってはいるが、まだ倒壊してはおらず、ガラス戸がはまっていた。

ハナビラタケ(大きな写真)
屋根の上にモリノカレバタケ

 屋根の上にカラマツの落ち葉が堆積し、モリノカレバタケが群生していた。
 屋根の上にきのこが出ているのは、珍しい風景だった。
 水流はまだ健在だが、ここで、水をたっぷり補給した。

 かつての峠道と思われる踏み跡には夏草が茂り、この季節に歩くのはあまり適切ではなかったと思ったが、ルートが全くわからなくなるほどではなかった。
 ハナビラタケ・ウスヒラタケなどを見たが、手は出さなかった。

 最後の水流を見るあたりまで来ると、疎林となり、ずいぶん歩きやすくなる。
 しっかりした道形が部分的に残っているところもあったが、ツメの部分は、破線路とは多少違っていた。

ウスヒラタケ
栂峠の地蔵(大きな写真)

 比較的丈の低いスズタケの中を歩いて行くと、峠らしき地点に、地蔵の石仏が立っていた。
 それを越えたところには、廃林道があり、水ノ戸への道標も立っていた。
 まだ早いが、荷物を軽くするため、ここで大休止にした。

甲武信ヶ岳遠望
ザックとキマダラヒカゲ

 尾根には不鮮明ながら踏み跡があり、小尾根をしばらく行くと、アズマシャクナゲの密生した新三郎にとりつく。
 佐久町の抜井川支流に、新三郎沢という沢があるが、その沢は、栂峠北に突き上げる沢であって、新三郎は新三郎沢の源頭というわけではない。
 となると、どうしてこのピークが新三郎なのか、今ひとつわかりかねる。

 上州奥多野と接する佐久の国境一帯は、ほとんどがカラマツの植林帯なのだが、このピークだけシャクナゲのヤブだということは、元の植生が残っているのが新三郎だということである。
 山頂への急登にかかる手前に露岩があり、西側が一望できる。
 このコース最初の展望地で、八ヶ岳が望めるのだが、この時にはまだ、雲がかかってよく見えなかった。
 コメツツジ咲く新三郎の山頂も、西側が開けていて、八ヶ岳にかかった雲が、少しずつ晴れていくのがわかった。

御座山
不穏な雲に洗われる八ヶ岳

 新三郎からぶどう峠への尾根は、地形図にはあらわされない突起がいくつもあって、見た目ほどらくではなく、しばしば出てくる岩峰は巻いて過ぎなければならないが、基本的には下り気味なので、問題はない。
 名残のヤマツツジが咲いているが、ミヤマママコナはまだつぼみだった。
 美しく咲いていたのはイワキンバイで、樹林帯の岩場に黄色の花が鮮やかだった。

名残のヤマツツジ(大きな写真)
イワキンバイ咲く(大きな写真)

 しばらく行くと、197号鉄塔の分岐に着く。
 ここはマムシ岳方面に直進する踏み跡のほうが緩やかなので、思わずルートミスしてしまったが、鉄塔方面へ急降下するのが正解。

 すぐに鉄塔で、ここも八ヶ岳方面がよく見える。
 御座山もすばらしく立派なのだが、送電線が目障りだ。

 樹林帯でサナギタケを発見。
 このきのこは、蛾の蛹から発生する。

サナギタケ1(大きな写真)
サナギタケ2(大きな写真)

 ぶどう岳の展望はないが、そこから下る途中の露岩からは東側や北側の展望が広がる。
 北側には甲武信三山が存外に近いが、金峰山は御座山の陰に隠れていて見えなかった。
 一方、両神山や西上州はよく見えていた。

表妙義・榛名山・鹿岳(大きな写真)
背丈を没するスズタケ

 ぶどう峠が近づくと背丈を没するスズタケのヤブに突入するが、半ば以上は枯れているので、全く問題なし。
 ぶどう峠は人為的な切通しになっているので、降り立つところは、樹の枝を掴んでずり降りた。

 暑い日だったが、水を沢山持ってきたので、快適に歩くことができた。