古刹から歩く熊野古道
- 大雲取越え -

【年月日】

2007年12月24日
【同行者】 単独
【タイム】

青岸渡寺(8:08)−妙法山分岐(8:20)−那智高原(8:36)−登立茶屋跡
(9:15)−舟見峠(9:57)−八丁の掘割(10:33)−地蔵茶屋(11:33)
−大雲取山(12:13-12:15)−地蔵茶屋(12:56)−石倉峠(13:16)
−越前峠(13:44)−楠久保集落跡(14:47)−小口自然の家(15:50)

【地形図】 本宮、紀伊大野、新宮 ルート地図

青岸渡寺
青岸渡寺からのご来光

 1年前に雨のため断念した大雲取越えに再挑戦。

 今回は、熊野那智大社・青岸渡寺の宿坊、尊勝院に泊まった。
 朝の勤行は義務でないので、前日のロングドライブの疲れもあったので、欠席した。

 ご来光は、朝7時前。
 熊野灘の水平線から昇る。
 山行きで、海からのご来光が見えることはめったにないだろう。

 尊勝院わきの石段を登っていけば熊野古道の入口だ。
 スギ林を登っていくと、イズセンリョウの白い実がちらほら。
 フユイチゴもあるが、あまり元気がない。

熊野の山並み(大雲取山から)

 広い公園のようなところに出ると、那智高原。
 各種遊具が置かれているが、誰もいない。

 坦々としたスギ林を行くと、舟見峠。
 展望台から妙法山と熊野灘が見える。

 那智の滝が飛龍神社の神体。
 背後にそびえるのが妙法山
 これから向かうのが大雲取山。
 三峰修験は、那智をモデルに、スケールアップして構想されたものだということがよくわかる。

 舟見峠からゆるやかに下るのは八丁坂。
 ここを歩いていると、死んだ肉親や知人が白装束で歩いているのに出会えるという言い伝えがあるが、誰にも会わなかった。

 下りきると、八丁の掘割。
 色川集落への道と交差して車道に出る。

苔むした土橋
八丁掘割の無縁地蔵

 安政年間の銘のある無縁地蔵が一基。
 熊野参りで行き倒れた旅人を供養したものか。
 熊野詣では、天皇家や将軍家など諸権力の威光を背景として、有徳のおこぼれを呉れてやるといった傲慢さがない点に魅力がある。

 ここから西へ、小麦街道という道が分岐する。
 小麦辻1.0キロメートル、樫原辻4.5キロメートルなどと書かれた道標があるが、それらがどこをさすのか不明。

 古い土橋を渡ってスギ林を行くと、粥餅茶屋あとで再び車道に出る。
 対岸に山道もあるのだが、古道の道標は、車道を行くよう指示している。
 地道街道という、これまた不詳な道がここから分岐。

牛鬼の滝
石畳の道

 美味そうなわき水を右に見てしばらく車道を行くと、地蔵茶屋。
 トイレや売店が建っているが、ひと気はなかった。

 ここからしばし道草をして、大雲取山に向かう。
 このコースは、ピークに立たないので、もの足りないし、「雲取山」の名のあるピークのそばを通り過ぎるわけにもいかない。
 とはいえ、大雲取山はマイクロウェーブの建つ、平凡なピークなのだが。

 車道をずっと歩いて大雲取山へ。
 電波塔があるので、山頂からの展望はよく、西側から北が一望できる。
 顕著なピークはないのだが、うねうねとどこまでも続きそうな山並みが広がっていた。

 大雲取山の収穫は熊野の山並みと牛鬼ノ滝。
 滝本北谷は見ごたえの多い沢らしいが、この沢最後の見せ場らしい。
 滝の上は、茶色いナメがしばし続いたのち、荒れた渓相となる。

楠久保の地蔵様
楠久保の不動像

 地蔵茶屋に戻り、石畳の道を石倉峠に向かって登る。
 石倉峠にも、明治時代の無縁地蔵。
 ここまでは那智勝浦町だが、石倉峠から熊野川町に入る。

 熊野川町の古道には、要所に真新しい歌碑や句碑が建てられている。
 斉藤茂吉・土屋文明・長塚節らのものは、さすがにいい歌だが、これはどうかなと思わせられる句もあった。

 ちなみに茂吉は、「紀伊のくに 大雲取の峰越えに 一足ごとに わが汗は落つ」
 節は、「虎杖の おどろが下をゆく水の たぎつ速瀬を むすびてのみつ」
 文明は、「輿の中 海の如しと嘆きたり 石を踏む丁(よぼろ)のことは伝へず」と、「風の音 梢の音か瀬の音か 下りの道は心たのしも」
である。

 どの歌がどうということはわからないが、越前峠にあった文明の歌に強く共感する。
 「輿の中 海の如し」とは、藤原定家の『熊野御幸記』にある一節である。
 定家は、ここ雲取越えで雨に降られ、ずぶ濡れになって弱音の限りを漏らしているのだが、彼の輿を担う人足のことなど、一言も書き残してはいない。

クマタケランの下生え
手入れのされたスギ林

 少し下って沢沿いを行き、土橋を渡ると越前峠へのゆるい登り。
 越前峠からは、胴切坂の長い下り。
 下りは楽しいと文明はうたっているが、ここの下りは長くて、足にくる。

 集落が見えてきたあたりで尾根を離れて左への斜面をトラバース。
 一帯はよく手の入ったスギ林だ。

 古い石垣が出てくると、廃村楠久保。
 何軒もの屋敷跡に植えられたスギが大きく育っており、地蔵や不動の石仏が、苔むしていた。

 滝本方面と大山方面への十字路を過ぎるとずいぶん里近い雰囲気となる。
 円座石あたりもスギ林だが、クマタケランが一面に群生しており、赤い実がのぞいていた。

 小口へ出たのは、3時半過ぎ。
 スギ林ばかりだったが、歩きでのあるコースだった。