8年前に、笹ヤブでくじけて敗退した山に、再挑戦。
再挑戦だった先週の山は、ふたたび敗退したが、今日はどうだろうか。
やや寝坊したので、登山口の林集落を出発したのは、10時を回っていた。
渋川から長野原にかけての国道を走っていて、あたりの雰囲気が、ずいぶん変わってしまっていることを感じる。
八ツ場ダム関連の工事が、いよいよ進捗し始めているのだ。
八ツ場ダム計画は、この半世紀の間、地域のコミュニティを引き裂き、平和な集落に、貰うカネをめぐるいさかいを持ち込んだ。
くわしくは、『八ツ場ダムの闘い』(岩波書店)を、一読されたい。
八ツ場ダムの闘いとは何だったのだろうか。
とうてい勝ち目のない、国家との闘い。
国家の示すアメに飼い慣らされた、条件派・賛成派との闘い。
しかも、条件派・賛成派とは、数百年もの間、助け合いながら、喜怒哀楽を共にしつつ暮らしてきた隣人なのだ。
なんと苛酷な闘い。
このような苛酷な闘いを強いる国家とは、なんと苛酷な国であることか。
数年前には、それなりに落ち着いた流れを見せていた吾妻川は、泥流で濁り、今や完全に死んでいるかと、思われた。
ダムによる水没を免れるかに見える林集落にも、工事車両用の道路が作られていた。
ことによると、この近くに川原湯が移転してくるのだろうか。
集落の中を通って、王城山登山道へ。
これはブルで整備された、一般登山道。
アブラギク、アキノタムラソウ、ナギナタコウジュ、コシオガマ、シラヤマギクなどが、ちらほら。
フシグロセンノウのオレンジ色に驚きながら、五合目傘木(からかさき)。
菅峰方面の展望がよい。
傘木で道は三つに分かれるが、真ん中と右は、廃道。
左に登っていくのが、正しい登山道だ。
6合目炮碌岩で、王城山への道を分けると、その先、道標のたぐいは全くなし。
沢の源頭状のところがガレて、巻かなければならないところがいくつかあるが、おおむね道は明瞭で、迷うところはない。
足元にササが目立ってくると、ジグザグ登りとなって、阿弥陀石。
以前は多少、見晴らしが利いたのだが、今は展望なし。
樹林越しに高間山が望めるくらいだ。
巨大なミズナラの木のあるところで、尾根は右に折れ、腰ほどのササの中に入っていく。
なかなかりっぱなウダイカンバやヤマザクラがちらほらするが、カラマツの植林地に入っていく。
ササはややうるさいものの、先週の山にくらべれば、踏みあともしっかりしており、たいしたことはなかった。
植林がとぎれたところからは、榛名連山の遠望が、なかなかよい。
反対側は展望がないのだが、樹林越しに、草津白根や志賀の山が望まれた。
高間山との鞍部には、六合村側から林道が登ってきている。
とはいえ、この林道も完全に廃道で、すでに腰ほどまでのササにおおわれてしまっていた。
二万五千図にある破線路は、まったく存在しない。
高間山へのとりつきを、しばらく探してみたが、見つからなかったので、先週に引き続き、笹ヤブのこぎ登りと決めた。
篤志家がいると見えて、控えめな目印が点在するものの、道は全くない。
それでも、強引に進むことが可能な程度のササだったので、ヤブの薄いところを拾いながら、こぎ登った。
山頂直下で、東西にトラバースする踏みあとを発見。
それを使って、西からの尾根に達し、そこからカラマツ林の尾根通しで、山頂に至った。
山頂付近もササは濃いが、丈が低いので、歩行に苦はなし。
高間山の二等三角点は、カラマツと雑木の中の、小さな切り開きで、展望は皆無。
しかし、静かな三角点に至ることができて、充実感を感じることができた。
帰りは往路を戻った。
センボンイチメガサやヤマブシタケも見かけたが、やや古くなっていた。
キシメジとカノシタがちょうど食べごろだったので、少々とって帰った。
林集落付近の人家では、以前と同じように、人びとが働いていた。
あずきの葉が色づき、落花生のさやが広げたむしろの上で干してあった。
おれもそろそろ、落花生を取り入れようかな。
巨額の補償金が支払われたところで、心安らかな山村の暮らしは、戻らない。
国から支払われる補償にプラスして支払われる金銭は、下流の都県の負担だというから、おれの住民税のいくばくかも、ダム建設に使われているのだ。
今からでもいいから、八ツ場ダムは、やめた方がよい。
水はすでに、間に合っている。
関係全戸に慰謝料一億円を払っても、今後完成までの建設費よりは、安上がりだという。
この道理がわからないのだから、この国は遠からず、滅びるだろう。