八ツ場ダムを考える
−林から高間山−

【年月日】

2001年9月29日
【同行者】 単独
【タイム】

林集落(10:15)−廃林道(12:40)−高間山(13:15)
−炮碌岩(2:30)−林集落(15:20)

【地形図】 長野原

ホッパから望む高間山
 8年前に、笹ヤブでくじけて敗退した山に、再挑戦。
 再挑戦だった先週の山は、ふたたび敗退したが、今日はどうだろうか。
 やや寝坊したので、登山口の林集落を出発したのは、10時を回っていた。

 渋川から長野原にかけての国道を走っていて、あたりの雰囲気が、ずいぶん変わってしまっていることを感じる。
 八ツ場ダム関連の工事が、いよいよ進捗し始めているのだ。

 八ツ場ダム計画は、この半世紀の間、地域のコミュニティを引き裂き、平和な集落に、貰うカネをめぐるいさかいを持ち込んだ。
 くわしくは、『八ツ場ダムの闘い』(岩波書店)を、一読されたい。

 八ツ場ダムの闘いとは何だったのだろうか。
 とうてい勝ち目のない、国家との闘い。
 国家の示すアメに飼い慣らされた、条件派・賛成派との闘い。
 しかも、条件派・賛成派とは、数百年もの間、助け合いながら、喜怒哀楽を共にしつつ暮らしてきた隣人なのだ。

 なんと苛酷な闘い。
 このような苛酷な闘いを強いる国家とは、なんと苛酷な国であることか。

 数年前には、それなりに落ち着いた流れを見せていた吾妻川は、泥流で濁り、今や完全に死んでいるかと、思われた。
 ダムによる水没を免れるかに見える林集落にも、工事車両用の道路が作られていた。
 ことによると、この近くに川原湯が移転してくるのだろうか。

 集落の中を通って、王城山登山道へ。
 これはブルで整備された、一般登山道。
 アブラギク、アキノタムラソウ、ナギナタコウジュ、コシオガマ、シラヤマギクなどが、ちらほら。
 フシグロセンノウのオレンジ色に驚きながら、五合目傘木(からかさき)。
 菅峰方面の展望がよい。

 傘木で道は三つに分かれるが、真ん中と右は、廃道。
 左に登っていくのが、正しい登山道だ。

 6合目炮碌岩で、王城山への道を分けると、その先、道標のたぐいは全くなし。
 沢の源頭状のところがガレて、巻かなければならないところがいくつかあるが、おおむね道は明瞭で、迷うところはない。

 足元にササが目立ってくると、ジグザグ登りとなって、阿弥陀石。
 以前は多少、見晴らしが利いたのだが、今は展望なし。
 樹林越しに高間山が望めるくらいだ。

 巨大なミズナラの木のあるところで、尾根は右に折れ、腰ほどのササの中に入っていく。
 なかなかりっぱなウダイカンバやヤマザクラがちらほらするが、カラマツの植林地に入っていく。
 ササはややうるさいものの、先週の山にくらべれば、踏みあともしっかりしており、たいしたことはなかった。

 植林がとぎれたところからは、榛名連山の遠望が、なかなかよい。
 反対側は展望がないのだが、樹林越しに、草津白根や志賀の山が望まれた。

 高間山との鞍部には、六合村側から林道が登ってきている。
 とはいえ、この林道も完全に廃道で、すでに腰ほどまでのササにおおわれてしまっていた。
 二万五千図にある破線路は、まったく存在しない。
 高間山へのとりつきを、しばらく探してみたが、見つからなかったので、先週に引き続き、笹ヤブのこぎ登りと決めた。

 篤志家がいると見えて、控えめな目印が点在するものの、道は全くない。
 それでも、強引に進むことが可能な程度のササだったので、ヤブの薄いところを拾いながら、こぎ登った。

 山頂直下で、東西にトラバースする踏みあとを発見。
 それを使って、西からの尾根に達し、そこからカラマツ林の尾根通しで、山頂に至った。
 山頂付近もササは濃いが、丈が低いので、歩行に苦はなし。

 高間山の二等三角点は、カラマツと雑木の中の、小さな切り開きで、展望は皆無。
 しかし、静かな三角点に至ることができて、充実感を感じることができた。

 帰りは往路を戻った。
 センボンイチメガサやヤマブシタケも見かけたが、やや古くなっていた。
 キシメジとカノシタがちょうど食べごろだったので、少々とって帰った。

 林集落付近の人家では、以前と同じように、人びとが働いていた。
 あずきの葉が色づき、落花生のさやが広げたむしろの上で干してあった。
 おれもそろそろ、落花生を取り入れようかな。

 巨額の補償金が支払われたところで、心安らかな山村の暮らしは、戻らない。
 国から支払われる補償にプラスして支払われる金銭は、下流の都県の負担だというから、おれの住民税のいくばくかも、ダム建設に使われているのだ。

 今からでもいいから、八ツ場ダムは、やめた方がよい。
 水はすでに、間に合っている。
 関係全戸に慰謝料一億円を払っても、今後完成までの建設費よりは、安上がりだという。

 この道理がわからないのだから、この国は遠からず、滅びるだろう。