白く輝く利根川を眼下に見ながら
−小野子山から十二ヶ岳−

【年月日】

1993年11月17日
【同行者】 単独
【タイム】

小野子登山口(7:38)−雨乞山(8:28)−小野子山(9:20)
−中ノ岳(10:05)−十二ヶ岳(10:30)−入道坊主
(11:15)伊久保観音(12:06)−小野子登山口(13:06)

【地形図】 上野中山、金井

岩櫃山から望む十二ヶ岳
 小野子山の登山口は、上小野子の集落から林道峠山線という未舗装の林道をいくらか行ったところ。

 登山口からすぐに小尾根にとりつくが、えらく急登だ。

 NHKの電波塔の立っているは、ちょっとした広場になっていて、眼下に吾妻川流域の集落、正面には榛名山がとても大きい。
 前方に雨乞山らしきピークが雑木ごしに見ながらやせ尾根を行く。
 アカマツ、コナラ、リョウブなどの雑木にツツジ類、コアジサイ、サルトリイバラなどの潅木、ツル草がまじった樹相で、ムラサキシキブの実などもあっていい感じ。

 雨乞山へも愛想も何もない直登である。
 雨乞山から鞍部に下ると小野子山の肩が見えてくる。
 小野子山から南に張りだしている尾根の末端がなかなか立派な岩場になっている。
 鞍部からはまた急登で、榛名の左に利根川が白くひかりながら蛇行しているのが印象的だ。

 肩からはいったん少し下って10から20センチくらいのきれいなササの下生えのなか、気持ちよく登る。
 小野子山の北面は全面的に伐採され、カラマツの苗木が植えられているので展望はよく、谷川連峰が目の前。
 南側にはアカマツの木があってあまりよく見えないが利根川は相変わらず白く光っている。
 快晴無風、雲はまったくない。
 木が生えていないからか、高山村の学校で1時間目が終わったチャイムが山頂まで聞こえてくる。

 まだ早いので十二ヶ岳に向かう。
 天気がよいので暑いのだが、足元ではなにかの虫が鳴いており、バッタもピョンピョンとびまわっていた。
 このあたりはオヤマボクチの花がらやロゼットも多い。
 標高千メートル付近を境にして上にはカラマツ、下にはヒノキを植えたようだ。
 苗を植えたばかりの広大な植林地では、鳥の声も聞こえない。  ただバッタは非常に多い。
 中ノ岳に登る途中には、みごとに伐採したあとに、「水源涵養保安林 昭和62年」という標識が立っている。
 ずいぶん勝手な言い分だとあきれてしまう。

 中ノ岳直下にキバナニガナが咲いていた。
 葉っぱは完全に枯れているのだが、どこかに花を咲かせるエネルギーが残っていたものだろう。
 この花のおかげで気持ちがとてもなごむ。

 中ノ岳頂上付近のカラマツはいくらか育っており、山頂を過ぎると植林がされてないので、落ちついた雰囲気。
 中ノ岳はまったく展望なし。

 鞍部は峠になっていて、十二ヶ岳まで20分という道標。

 男坂と女坂の分岐は男坂。
 この山の南壁は垂直の岩場になっており、男坂はその南壁にそってまっすぐつけられているので、ときどき潅木を手がかりにしながらの登りとなる。
 その登りも長くはなく、すぐに十二ヶ岳の山頂。

 ここはすこぶる展望がよい。
 その大展望を楽しみながら、ここでこの日三回目のティーブレイク。
 小野子山と子持山の間に赤城山が見える。
 子持のすぐ左は袈裟丸だが、あまり顕著なピークがないのでぱっとしない。
 その稜線を左にいって皇海山はやはり目立つ。
 そして錫ヶ岳、日光白根、武尊、至仏、平ヶ岳、荒沢、中ノ岳、朝日岳、谷川から平標までの連山、苗場山、稲包山から見える白砂山への稜線、そのずっと奥の高いのはひょっとすると岩菅山かもしれない。

 それから草津白根、本白根。その手前には低い山がたくさんあるが、名前まではわからない。
 本白根のとなりの高い山は四阿山。
 さらに浅間連山、四阿と浅間連山の間のずっと遠くには雪をかぶった山脈。
 あとは浅間山、その手前の独立峰は浅間隠山。
 さらに左は角落連山、その向こうのギザギザは妙義。
 目の前は榛名だが、南からもやがかかってきているので、その向こうの御荷鉾連山とともに水墨画のような感じである。

 下山道は西側の女道。
 このあたりにはツルウメモドキの実がなっていて、なかなかきれいだ。
 塩川温泉への分岐をわけ、十二ヶ岳を北から巻く道に入る。
 こちらは男道のような傾斜はないかわりに日もあたらない静かな道だ。
 北の肩あたりで古い石宮を見ると、北東斜面をジグザグに下るようになり、すぐに男坂分岐、さらに鞍部に着く。

 小野上駅方面へは、しばらくアカマツの生えたやせ尾根をゆるやかに下るが、すぐに急降下。
 尾根が尽きたところあたりからはスギ林となり、あとはずっと枯れた沢の中のようなガレたところの下り。
 下までくると下草のヤマブキの葉がまだ青い。

 沢の音が聞こえてくると、入道坊主。
 入道坊主とは登山道が鑷沢と出合ったところにある奇岩のことで、沢の落合に岩があって、その上にたて長の別の岩が乗っており、上の岩のまわりに坊主のケサのようにツタ状のものがからみつき、かつ岩のてっぺんに木が生えているといったものである。
 このあたり鑷沢は小さなイワナがいてもおかしくないような、感じのよい流れだが、林道の終点に出ると、雍壁工事のようなことをしており、感じのよかった鑷沢は堰堤に次ぐ堰堤でぐちゃぐちゃになっていた。

 ここからは簡易舗装の林道を歩く。
 林道谷ノ口程久保線、林道谷ノ口伊久保線は、伊久保集落の北を通る。
 道の左に「叙勲記念 小野英多寿蔵碑 喜寿慶祝」とあり、横に「自然と人生」という随筆ふうの文章を掘り込んだ碑とレリーフ。
 「自然と人生」の裏には、昭和43年11月の「住めば都」という文章が彫ってあった。
 さらに行くと伊久保観音と百番様という立て札の立ったお堂。
 「観応(1350)のころ建立」とある。
 ゆっくり歩いていると、いろいろなものがあるものだ。

 伊久保地区住民センターの前から寺沢川を渡って村道1号線に入ると、庚申塔や双体道祖神などの石仏も多い。

 自動車をおいた登山道入口まではずいぶん遠かった。