観音山7
【年月日】 |
2023年12月25日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
31番駐車場(11:04)−観音山(12:11-12:39)−日尾城址(13:22)
−牛首峠(13:25)−31番駐車場(13:47)
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【地形図】 |
長又 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可)
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近所の札所31番から観音山・日尾城址へ散歩。
ここへ来るのはこれで七度目だが、山門わきの石仁王が高遠石工の作品だということを最近知ったので、改めて見に行った。
たしかに、仁王の説明板には「信州の石工藤森吉弥一寿の名作」と書かれていたが、藤森吉弥が高遠石工だとは知らなかった。
像高約4メートル。石材は観音山山頂近くから切り出して、同じく中腹で細工したらしいから、藤森吉弥を頭領とする高遠の石工集団の作品なのだろう。
『山里に花開く高遠の石工』には、手間賃の支払いをめぐって石工と地元が揉めたという逸話が書いてある。
お堂周辺の岩窟を始め、要所に石仏が安置されている。
以前より、これらの石仏は名作だと感じていたが、この中には高遠石工の作品が多く含まれているのだろう。
山岳イベントが行われたようだが、後片付けはやらないのかね。
地元の中学校は廃止になったよ。
子どもたちの教育はおおぜいの中でおこなった方が効果的なんだそうだ。
よくそんなウソつくね。
教育は少人数の方がいいというのは、世界のどの国に行ったって当たり前の真理だよ。
ただ単にコスパのことしか考えない単純細胞に、地域や国の将来のことなんか、わかるわけないだろう。
ゴミはそのまま放置して朽ちさせるのがコスパ最高なんだろう。
観音山は、いつ来ても気持ちいい。
今日は、肉まんと餃子を蒸して食ったが、今ひとつ腹にたまらない。
いつものように、帰りは日尾城址へ。
ここで、山岳コントを一つ。
日尾城は、武田軍の侵攻を抑止する重要拠点だったから、北条氏は重臣の諏訪部遠江守定勝に命じて警戒していた。にもかかわらず、その日、定勝はいい気分で飲んでいた。
(けらい1) 武田の軍勢が攻めてまいりました !
(定勝) あいわかった。ご苦労・・。
(奥方) 敵がせめて参ったのですよ。
(定勝) わかってるから、もう一杯・・。
(奥方) バカですか ? あなたは。 あなたの首を取ろうとしてこのすぐ下まで、押し寄せているんですよ。
(定勝) わかってるったらわかってるって・・。もう一杯・・。
(けらい2) 何十人もの敵が登ってきます !
(奥方) みんな、もう少し待ちなさい ! ガケの中ほどまで登ってきたら、一気に石を落とすのよ ! 一、二の三。それ ! 落としなさい !
石に打たれた武田の雑兵が叫びながら滑落していく。
(けらい3) 生き残った兵がまた登ってきますぞ。
(奥方) まだ撃っちゃダメよ。すぐ近くまで引きつけて、確実に殺さなければ。
(奥方) 今だ ! みんな撃て !
武田軍壊滅。諏訪部定勝はこの勝ちいくさで殿さまから褒められたが、たいへん気まずいので、以後酒を絶ったという。秩父の人が好きそうなエピソードだ。
牛首峠からの下山道は、落ち葉のせいか、わかりにくくなっていた。
道は消えても、道標だけは残っていた。
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