消えゆく踏みあと
- 品沢峠・八人峠 -
【年月日】 |
2022年12月7日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
奈倉橋(12:01)−MTB−奈倉館跡(12:03)−MTB−坊平駐輪地(12:41)
−下り藤峠(品沢峠)(12:55)−品沢(13:00)
−天狗山(13:33-14:10)−八人峠(14:17)−首切岩(14:24)
−八人峠(14:27)−首霧龍神碑(14:39)−奈倉橋(15:03)
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【地形図】 |
皆野 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可 青線は自転車走行及び押し歩き)
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奈倉橋のたもとの広くなったところに軽トラをとめて、自転車を乗り出す。
せっかく自転車なので、奈倉館あととか妙見社に寄り道。
奈倉館は戦国時代の城址でなく、平安時代の地方武士・奈倉氏の居館跡である。
赤平川の断崖上に位置し、堀が存在した様子はない。
戦争が日常だった戦国時代とは異なり、とりあえず平穏な日常だっただから、これで十分だったのだろう。
妙見社はその名の通り、秩父の妙見宮から勧請されたお宮である。
奈倉氏の氏神だったと思われ、その後、耕地の産土神になったのだろう。
面白いのは、拝殿に仁王像が祀られていることで、説明板には江戸時代の作品と記されていた。
神仏混淆の好例である。
ずっと以前には、千束峠を自転車で越えるなど何でもなかったのだが、とても苦しく、登りになった途端に自転車を降りて押し歩いた。
下り藤峠(品沢峠)の入口に道標はなく、30年前に来た時の記憶はないが、その時の記録から峠道に入る。
どういうわけか、ここはちゃんと草刈りしてあって、ありがたかった。
峠下の分岐は、以前の記録に左の道は消えるとあるが、左の道もちゃんとしていたので左を行く。
六地蔵の石塔はわからなかった。
峠を下るとすぐに品沢。
養豚場の少しカミに、八人峠入口を示すコンクリート製の道標。
これは昭和初期のものだ。
入口の家の人に八人峠のようすを聞くと、道が崩れているので気をつけたほうがよいという話だった。
最初は地形図の破線のとおりだが、峠道は破線よりやや北、首切岩方面方向についており、峠の位置も異なっている。
これは、地形図の表示が間違っていると思う。
実際の八人峠からまずは天狗山へ。
今まで無名の三角点峰だと思っていたが、ほとんど消えた山名板がかけられていた。
ここで大休止。
天狗山から峠に戻り、直進して首切岩へ。
首切岩は、長若のお船岩をごく小さくしたような岩だった。
峠から小坂下への道は以前のままで、それほど荒れていなかった。
崩壊地がどうなっているか気になっていたのだが、踏みあとができてトラロープなどもかかっており、問題なかった。
首霧龍神碑を見るとまもなく、集落に出るはずなのだが、ここでルートをロストした。
以前の道は草の中に消えたらしく、小沢沿いに下る道もすぐに消滅。
奈倉橋へはいくらか迂回して神社の前を行く道がしっかりしていた。
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