かすかな踏みあとをたどる
− 柿沢峠越え −

【年月日】

2020年5月31日
【同行者】 単独
【タイム】

小川耕地(9:54)−MTB−女形耕地(10:10)
−柿沢峠(10:43-11:10)−小川耕地(11:43)

【地形図】 長又 万場 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可)

 地形図で柿沢峠入口になっているところの近くに軽トラをとめて、自転車で女形に向かう。
 小川戸まではほぼ平坦だが、塚越から合角ダムへはけっこうな登りだった。

 先日と同じく、女形に入ったところに自転車をデポ。
 集落を通り、柿沢への道に入る。  この前来たときには峠から下り始めてすぐに道をロストしたので、今回は慎重に行った。
 峠道は、薄いながらも残っていて、峠の下に開かれたお茶畑のへりに沿って続いていた。

柿沢峠(大きな写真)
モミジイチゴ(大きな写真)

 峠で大休止。少々疲れた。
 女形は、秩父困民党形成期に活躍した柳原正男のいた耕地である。
 柳原正男については『日清戦争は義戦にあらず』の読書ノートに少し書いた。

 彼は風布村へしばしばオルグに出かけたらしい。
 そのときに通った道は、女形-柿沢峠-小川-小川峠-沢戸だろうから、彼にとってここは通いなれた道だったはずだ。
 もっとも、昔の人なら、女形から柿沢くらいでは、休むほどでもなかっただろう。

 さて、地形図によれば、峠道は尾根上を北上し、途中からトラバースに変じて沢を下るようになっている。
 40年近く前の戸井昌造氏の『秩父事件を歩く』も、そのルートを歩いているが、不鮮明な道だと書いている。

 前の日に小川で会った人は、柿沢に行く道は崩れたと言っていた。
 一方、地形図の破線路とは別に、峠をごく自然に越えて小川方面へ下る踏みあとが、残っていた。
 破線路はあまり期待できないので、小川へ下るもう一つの峠道らしき、この道を下ってみることにした。

 踏みあとは支尾根をトラバースして、途中から支尾根を下って最後に沢に降りるようだった。
 ところが沢に降りる手前に防獣ネットが張られていて、ヤブの中でしばし立ち往生した。
 どうにかネットの入口を見つけて脱出したが、もしまた来るなら、ここは神社の上まで尾根を降りたほうがよさそうだった。