峠で大休止。少々疲れた。
女形は、秩父困民党形成期に活躍した柳原正男のいた耕地である。
柳原正男については『日清戦争は義戦にあらず』の読書ノートに少し書いた。
彼は風布村へしばしばオルグに出かけたらしい。
そのときに通った道は、女形-柿沢峠-小川-小川峠-沢戸だろうから、彼にとってここは通いなれた道だったはずだ。
もっとも、昔の人なら、女形から柿沢くらいでは、休むほどでもなかっただろう。
さて、地形図によれば、峠道は尾根上を北上し、途中からトラバースに変じて沢を下るようになっている。
40年近く前の戸井昌造氏の『秩父事件を歩く』も、そのルートを歩いているが、不鮮明な道だと書いている。
前の日に小川で会った人は、柿沢に行く道は崩れたと言っていた。
一方、地形図の破線路とは別に、峠をごく自然に越えて小川方面へ下る踏みあとが、残っていた。
破線路はあまり期待できないので、小川へ下るもう一つの峠道らしき、この道を下ってみることにした。
踏みあとは支尾根をトラバースして、途中から支尾根を下って最後に沢に降りるようだった。
ところが沢に降りる手前に防獣ネットが張られていて、ヤブの中でしばし立ち往生した。
どうにかネットの入口を見つけて脱出したが、もしまた来るなら、ここは神社の上まで尾根を降りたほうがよさそうだった。