難峰に苦しむ
− 塚山2 −
【年月日】 |
2020年5月9日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
太田部観光トイレ(11:30)−古墳群道標(12:10)−塚山神社跡(13:35)
塚山(13:59-14:27)−塚山入口(15:26)−太田部観光トイレ(15:36)
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【地形図】 |
万場 ルート地図(マウスホイールで拡大・縮小可)
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土坂峠からこのピークに登れたのも、二度目のチャレンジでだった。
地形図を見る限り困難とは思えないが、行ってみれば地形図に存在しないブル道や林道があって、なかなかうまくいかないのだった。
今回は、正しく太田部からとりつこうと考えた。
東北尾根を下るつもりで、太田部分校近くに自転車をデポし、太田部観光トイレから歩き出す。
ルート的には久保田耕地から登るのがよさげだが、道標もなく、どの道も人家に行く道らしくて、結局、北耕地との境界にある小沢に「古墳群入口」とある道標に従ってコンクリ道を登ってみた。
まもなく十字路。
左に行くと、人家の庭に着く。
右の道も同じ。
中央は水道の管理道だと思われたが念の為行ってみると、やはり水道施設で消滅。
もう一度左の道に行き、地形図の破線路に入ってみると、広いわらび畑に出て、塚山への登山道に合流した。
歩き始めてから登山道に入るまで、小1時間ほども過ぎていた。
登山道の周囲はスギ林で、見るものはなにもないが、モミジガサがいくらか出ていた。
林道を渡るところに、古墳群への道標。
もう問題はなにもないと思われたが、甘かった。
その先、登山道はブル道によって寸断され、痕跡も見当たらなかった。
しばらくブル道を行ってみたが、塚山登山道は完全に破壊されたと思われる。
塚山直下に到達したのは間違いないので、古墳群を探そうとしてしばらくスギ林をさまよったが、徒労に終わった。
地味な赤テープにしたがって北へ行くと、塚山神社跡。
御神燈が二基、建っていた。
かつてはにぎやかだったと思われる境内跡を登っていくと、不審な石積み。
自然のものなのか、人工的なものなのか、よくわからないが、なぜか栃の大木が生えていた。
ここから山頂までは一投足なのだが、えらく急な登りで苦しい。
息も絶え絶えになりながら、7年ぶりの塚山で大休止。
新緑が清々しい。
北東尾根を下るつもりだったが、それはやめて、来た道を戻る。
古墳はやっぱり見当たらない。
わらび畑から登山道を下ったが、下りついた上耕地から東に行くとまたも人家の庭。
戻ってコンクリ道を南に向かうとようやく、自動車をおいたトイレ前に戻れた。
自転車をデポした分校前から、十八神社にお参りしてみた。
かつてはにぎやかだったと思われる舞台付きの拝殿だった。
説明板には、もとは名主新井家の屋敷神だったとあり、中世や近世の時代がここでは生きていたのだとわかった。
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